国家とその擁護のための予備的諸考察(3)

●前書

本論及び三編の考察は、先の二編に比べると抽象的な考察ではなく、具体的な事柄や言説に色々と言及するために、最初にどういったことに触れるのかまとめておく。本論「統合と主権」ではヨーロッパにおける中央集権化の歴史を概説し、近代国家が齎した利点を指摘する。つまり、国家なくして市民社会は近代的足り得ないことである。「主権と契約」では所謂“契約説”の論者について概説する。一括りにされやすいホッブズ、ロック、ルソーらの思想の違いを説明しつつ、その問題点について大雑把に述べておきたい。加えて“契約説”の根幹概念である“主権”において、ホッブズから今日に至るまで、論理の飛躍点があることを指摘おきたい。つまり、“人民主権”と“国民主権”の違い、“国家形成の契機”と“統治権力の正当化”の違い、それらの論理的整合性の問題などである。これらの問題から、“契約説”を超えるフィクションが必要であると考えているのだが、残念ながら我輩の構想力の及ぶところではない。付帯して内田樹氏の憲法解釈及び制定史理解、不戦条約等の国際法理解が間違っていることを指摘しておく。「国家と社会」では、ロック以来の“信託”乃至“信頼”概念を軸に主権国家と自力救済権について述べる。そして、社会や共同体もまた我々に危害を加えうるということ、国家は尊重されるべき存在であることを強調する。付随して内田氏と宮台真司氏の安倍政権批判は妥当ではないこと、またそうした見解の根本にあるであろう、両氏の日本政治外交史理解の間違いを指摘しておく。



この三編全体で『思想地図』の共同討議における国家観や「ナショナリズム」と「アウシュヴィッツ」解釈を巡る東浩紀氏の所説への反駁とし、氏と『極東ブログ』の終風翁(――HNや雅号に添える言葉は色々と悩んできたのだが、子の場合、翁でよいと思うようになった。すでに芭蕉より長生きされておられるのだし、失礼には当たらぬだろう)との議論に加えて、それに付随して複数のブログが提出した論点について、問題点とそれに対する見解を記したい。東氏にしても、終風翁にしても、見識があり敬意を払うべき方ではあるが、見解を異にする点が少なくない。なお、今回の主たる批判対象である三氏にしても、まったく評価していないわけではない。それぞれ、非常に優れた仕事を残されているところもある。しかしながら、まことに遺憾なことに、今回批判している点に関しては、概説書を一冊さっと目を通すだけでも避けられたような、聊か粗忽な言説が眼につくのである。それが残念に思われると同時に、彼らに反感を覚える所以となっている。冀わくば本論が彼らへの諫鼓たらんことを、顧みて自らの戒めとせんことを。


●歴史的文脈における「市民社会」(地域共同体)


ある種の欧化主義者が、「市民社会」という特殊ヨーロッパ的なものを礼賛したために、「市民社会」というものの歴史的な理解に奇妙なねじれを齎している。「市民社会」というのは西欧に見られる特殊な社会形態の一つに過ぎず、また、ヨーロッパの全てが市民社会であった訳ではない。さらに言えば、「市民社会」を近代的なものと看做すことが多いが、実際には中世都市に端を発しており、むしろ前近代的な面においてこそ、その特徴が存する。だからこそ、ヘーゲル市民社会の超克(Modernization)としての民族共同体(Nation State)、即ち「国民国家(Modern State)」を彼の思想において目指したのであった。フランスに対する“後進国”ドイツの現状を憂え、さらにはイエナにおいてナポレオンを目撃した彼にとって、市民社会は超克されるべき対象なのである。そして、近代国家の下にあって「市民社会」は、はじめて“近代的”足り得たのだった。つまり、今日の我々が考えるようなヨーロッパの市民社会というのは、前近代の都市共同体が近代化され、再編成されたものなのであって、そこには分厚い歴史的な堆積層が存在するのである。



この前近代的(近代国家以前)としての「市民社会(共同体)」的なニュアンスを感じるのが、今回の論争に付帯して叙述しておられる『地を這う難破船』というブログのエントリ「マフィアの論理とナショナリズムの論理(正義の実装)」である。独特の断言を回避する生硬な文体故に、ところどころ我輩には理解しかねる部分があるが、少なくとも「マフィアの論理」というものは、レトリックとして少々不適格であるように思われる。そもそもマフィアというものは、イタリアの近代化の特殊な文脈として理解されるべきであって、一般的な概念として用いるべきではない。「マフィア」は純粋に前近代(封建時代)のものではないし、無論のこと、近代のものでもない。それは近代化によって歪みが生じた、言うなれば、近代化によって変質した前近代性なのである。その歪みが近代社会にとって有害なだけなのであり、その歪み以外は単なるならず者、何時如何なる時代にも存在する法からの逸脱者に過ぎない。おそらくこの「マフィアの論理」なるものが指しているのは、一般に言うところの「自力救済権」のことであろう。たとえば、我が国で言えば「仇討ち」などがそうである。奇異に聞こえるかもしれないが、近代以前の社会の方が(――私人格と公人格が明確に分離されてなかったが故に)むしろ個人主義的な面が存在するのである。それは自力救済権であったり、自治などであったりするわけだけが、それらが個人主義的に見えないのは、外面的な身分制のせいである。これらに関しては次々回時に詳しく述べる。



歴史的文脈から言えば、イタリア北部が古代からの都市国家性を温存し、まさに「都市は人間を自由にする」という空気のもとに共和主義的な市民社会を形成していたのに対し、南部、特にシチリアを支配した外国勢力(ノルマン、カスティリヤ、ブルボン)は、極めて専制的な支配を布いていた。この苛烈な専制支配の後遺症が、今日におけるイタリアの南北問題(――南北経済格差、マフィアやカモッラなどの犯罪組織、忌々しい北部の分裂主義者どもの跋扈)なのだが、すでにルネサンスの時代から、ナポリ王国のような市民的平等が存在しない地域では、共和政体が樹立されることはありえないだろうとN・マキアヴェッリが喝破している。ところで、『君主論』の第二十六章を以って、彼をイタリアのナショナリストと見る向きがあるが、フィレンツェでの就職に拘って他国からの誘いを断り、『フィレンツェ史』などの著作などもある彼の人は、やはり骨の髄までフィレンツェ人であったと見るべきであろう。要するに第二十六章などというものは、ニッコロが就職予定先のメディチ家に対して、けれん味たっぷりの大見得を切って見せただけのことである。



あだしごとはさておきつ。ここでいう市民的平等というのは私人的なそれではなく、公人格における平等である。公人格において自由と平等は背反しない。反アパルトヘイトの闘士ネルソン・マンデラ南ア元大統領は、自治の基本はすべての人が自由に発言し、市民として同等の価値を認めてもらうことだった」と述べているが、これは公人格の自由と平等を的確に表した言葉であるように思われる。つまるところ、政治参加の平等性のことである。「ソーシャル・キャピタル」論の有力な論者ロバート・D・パットナムは市民共同体を小さな親密な前近代的な社会に結び付けるのは誤りで、むしろイタリアにおいて市民度が最も低いのは伝統的な南部の村々に他ならず、伝統的な共同体の住民エートスは理想化されて描かれるべきではないと述べている(参照:『哲学する民主主義』NTT出版)。市民的な州ほど経済的に豊かな状態から出発したわけでもなければ、そうした州が必ずしもより裕福だったということもない。市民的な州は、十一世紀以来確実により市民的でありつづけた。これらの事実は、市民的な積極参加が経済的繁栄の結果にすぎないという考えとは両立しにくいと指摘している。つまるところ、経済的繁栄が市民的自由を齎したのではなく、経済的繁栄はイタリアの北部から中部に至る近代市民社会の伝統に因るところが大きい。それは中世市民社会の良き遺産(――そして、その副産物としての愛すべき「ヘタリア」というお国柄)なのである。


●歴史的文脈から見た「統合」乃至「中央集権」


市民社会」と同じく誤解を受け易い歴史的文脈にヨーロッパ各国に対する中央集権のイメージがある。即ち、フランスやドイツが強い中央政府を有した集権的な体制であり、イギリスが弱い中央政府と分権的な体制を有していたという誤解である。『アングロサクソン年代記』という古文書によるとノルマン・コンクェストの結果、原住のサクソン人貴族は数名を残して悉く殺害されたという。そのため、このノルマン人による征服王朝は当時のヨーロッパの諸国とは比較できないほど強固な王権を有していた。このノルマン王朝の形式上の主君であったフランス王はパリ近郊の大貴族に過ぎなかったし、無数の領邦が散らばり、ほとんど象徴的な意味しかなかったドイツ皇帝などと比べ様が無かったのである。そのために以後のイギリス史というのは、弱小な貴族達の強大な王権に対する挑戦であった。それが「マグナ・カルタ」であり、「模範議会」であり、「大諫奏」であり、「権利の請願」であり、王殺しのピューリタン革命という臨界点の後に、緩やかに「議会の中の王」という着地点を見出して今日に至っているのである。これと逆の運命を辿ったのがフランスであり、ドイツであり、イタリアであった。フランスは王権の絶対化とパリ一極集中の真最中に革命が起こるという混乱が生じた。或はド・トックヴィルにならって、すでに集権は完了しており、革命によって強化されただけと看做す事も出来るかもしれない。革命の最中に起こったヴァンデ戦争は、まさに集権化に抗う共同体と隆盛する国民国家との(――過渡期的な事件としての)戦争であったと言えよう。


●思想史解釈の難しさ――議論の前置きとして

一般に私は歴史に対する見方として、その中における人間の意志の現象としての行為の能動性――それは主体性という言葉で呼ばれることもある――、歴史の進展に対する個人の役割を重視する立場に立つ。科学性を標榜する歴史家はとかく、たとい「必然理論」の唯物史観をとらなくても、事物の結果からそれ以前の経過を判断する傾向があり、歴史の中に存在した複数の可能性、その中における人間の決断とその行動の責任性を見逃すおそれとしない。私は人間を集団的に考察する社会史を軽視するものではないが、しかもなおその中で歴史学が本来課題とした個々の事物、事件の究明とその解釈を重んずる所以もそこにある。


――林健太郎『昭和史と私』文春文庫

思想史的解釈の難しさは、まず書かれたことだけが当時の現実ではない(――書かれなかった現実の存在が捨象される)ということ、名称と実相が一致しない可能性があること、そして、何よりも今日生きる我々自身がそうであるように、必ずしも言動というものは一致しない(――甚だしきはイデオローグやプロパガンティスト、口舌の徒といった人々の位置付けの難しさ)という当たり前の事実に起因する。こうしたことから、思想の文献解釈を巡って大きく二つの立場が現れることになる。つまり、ただ抽象的な思索のみを重視しその普遍性を強調する立場と、歴史性を加味してその特殊性を強調すると立場である。我輩は必ずしも前者を否定するものではない(――哲学や思想そのものであるならば、むしろそうすべきである)が、本論では後者にやや重きを置いて、「ナショナリズム」の歴史について叙述し、アウシュヴィッツとイコールで結び付けることに抗議したい。「ナショナリズム」そのもの解釈を巡っては、東氏と終風翁との間の論争では、あまり突っ込んだ見解が示されなかった(――単なる軽いツッコミに東氏が過剰に反応したことが大きな要因だが)ため、『過ぎ去らない過去』というブログの「ナショナリズムとアウシュヴィッツ、あるいは国民統合の歴史」というエントリに対する反駁を中心に据える。



本筋から少々逸れるので、先に指摘おくが、「物騒な話題の雑感」で終風翁の指摘しておられる「聖絶」という概念は面白くはあるのだが、しかし、それでは、神がアウシュヴィッツを創り給うたのであり、そこにあるすべては神に帰せられると言うのに等しいのではないか。大量虐殺が古代からあるのを指摘するのならば、「聖絶」という神掛かった概念で捉えるよりは、組織化と技術革新が大量虐殺を容易にしたことについて指摘する方が、まだしも妥当な解釈であるように思われる。また、おフランス思想というのは、単純にいうと田舎の思想で、ドイツの引け目のなかにいたわけで、基本的にはこれもマルクス主義の亜流みたいなものだったのだろう」という指摘も、ナショナリズム理解への連関としては、留意が必要であるように思われる。何故なら、ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタインといった実務家から、「馬上の世界精神」を仰ぎ見たヘーゲルなどの思想家に至るまで、先進国フランスに対する後進国ドイツという危機意識によって突き動かされていたからだ。思想の分野にしても、ルソーを筆頭にフランスの啓蒙主義者たちは、ドイツの文人たちに強い影響を与えている。



少々極論になってしまうが、いち早く近代化を達成したイギリスがたいした思想を編み出さなかった(――E・バークはアイルランド出身、啓蒙学派は名前通りスコットランド。繁栄するイングランドでは、ジョンソン博士が中心になって文芸遊びに熱中しておられた)ように、思想などというものはむしろ後進性のあらわれに過ぎないのではないか。よく言えば、時代の先駆者、覚醒者、危機感をいち早く察知する明敏な知性と言ったところだが、実際どこまでそれを評価しうるか、我輩はかなり難しいと思う。殊に、我が国においては、尚更現実に対して“虚構が先走る”のである。たとえば、『冬枯れの街』というブログの執筆子が、何でもかんでもナショナリズムに結び付けて論じる大澤真幸氏のことを「ただの若者には興味がありません。この中に脱社会的存在、動物化ネトウヨ、アイロニカルな没入した若者がいたら…」という具合に、涼宮ハルヒのパロディで茶化しておられる。少々やりすぎの感もないわけではないが、かなり的を射た皮肉と言えるのではないか。或は北田暁大氏が2ちゃんねらーのことをアイロニズムの消尽の果てに生ずる、ロマン的意匠を施された、確信犯的ナショナリズム以上の『厄介な(そして危険な)政治的投企』」と評しているのに対し、古田博司氏がそんなものはただ「茶化し(ティーゼーション)」と言えばいいのであって、「(そうした批判は)彼ら(2ちゃんねらー)の『ナショナリズム』を西洋思想の言説から云々するばかりなのであり、それでは彼らの『ナショナリズム』を左翼的な枠で日本に植えつけてやるようなものではないか」と指摘しておられる(参照:『新しい神の国ちくま新書)。こうした過剰な読みとか、意味付け、あるいは思想性の付与というのは、かえってある種の歪みを生じさせてしまうのではないか。赤木智弘氏の「希望は戦争。」といった言説なども、丹念に原文を読み解いていけば、至極単純なことが書かれているのであって、プロの批評家が自分の頭で考えずに、そういう「希望は戦争。」とかいうフレーズに釣られてはいけないと思うのである。赤木氏は心とか実存の問題ではなく、ただ単に「生活」について訴えているのであって、物質的、功利主義的に解決する問題が、どうして思想的でありうるのだろうか。或はそうした問題をどうして斯くも観念的に捉えるのであろうか。赤木氏の訴えを肯うか否むかの判断は別として、少なくとも件の論文に始まる論争において、歪んでいたのは氏ではないと我輩は思うのである。この点、本章の冒頭でも引用した林健太郎がかつて発した警告は、今日でも通用しうるのではないだろうか。少々長いが本章の結びとして仮託したい。


自由主義の強調が戦後の日本においてとくに必要とされるのは十分の理由がある。それは一口にいって、日本では明治維新によって社会の近代化を開始して以来一世紀近くを経ているにもかかわらず、その基礎をなすべき近代精神の確立がはなはだ不十分だということにある。このことが現代日本の社会に独特の歪みを与えているのであるが、この歪みというのは現実と精神の間のギャップから生じているのであって、これまでしばしばいわれたような現実の歴史過程そのものの中にあるのではない。明治維新は不徹底な革命であったとか、この革命における民衆の要求が資本家、地主によって抑えられたためにその後の歴史が誤った過程を辿ったとかいうようなことがよくいわれたが、それは正しい歴史の見方ではない。かえってそのような歴史の考え方自身に認識の歪みと立ちおくれが存在するのである。皮肉なことに現代日本の社会において一番おくれているのは民衆や実業家あるいは政治家ではなく、みずからもっとも進歩的なりと称している一部の知識人である。しかもそれらの知識人がオピニオン・リーダーとして相当の勢力を持っているところに、現代日本の最大の問題が存するのである。


――林健太郎「現代における保守と自由と進歩」筑摩書房

●ドイツにおけるナショナリズムの“困難さ”


『過ぎ去らない過去』というブログの執筆子はライヒ概念を敷衍しつつ、ドイツにおけるナショナリズムの歴史を叙述しておられる。確かに16世紀以降の帝国は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」と称していたのだが、今日的な「国民」のイメージに引っ張られ過ぎるきらいがある。何故なら、14世紀のボヘミア王カレル一世が皇帝に即位して以来、当の16世紀の神聖ローマ帝国ハプスブルク家出身の皇帝だったルドルフ二世の治下においても、帝国首都であったのはチェコプラハであったという事実が存するからだ。冷戦以降に生きている我々は、惰性でチェコなどを「東欧」という言葉で捉えるのだが、今日のチェコ人などにとって「東欧」という言葉は、一種のタブーやトラウマとなっている。彼らに言わせればチェコは歴史ある「中欧」の一員なのであって、冷戦期においては、中欧の都プラハが東欧の霧に消えた」(ミラン・クンデラ)と嘆いていたのである(――我輩はニコニコ動画の某春閣下シリーズを涙なしで観ることが出来ない愚民の一人である)。日本の文人漢籍を嗜んだように、三十年戦争に起因する17世紀以降のチェコに対する弾圧があったということもあるが、チェコ文人たちもかつてはドイツ語を嗜んでいた。例えば、20世紀のチェコが生んだ、偉大なポスト・モダンの小説家であるフランツ・カフカは、ドイツ語で作品を書いている。蓋し「ドイツ」という観念は、シナにおける「中国」乃至「中華」という概念に似ているのではないか。それは明確な領域性に欠いており、文化共同体とでも呼ぶべきものに過ぎなかった。



先に結論から申し上げれば、ワイマール共和国が民主主義の不徹底からではなく、一種の行き過ぎから自滅したように、ナショナリズムの派生や暴走として、ナチスアウシュヴィッツがあるのではなく、むしろナショナリズム民族自決や近代国家(Nation State)の拒絶反応として、それらはあるのではないかと我輩は考えている。中央集権化で触れたフランスにしても、フランス人という意識は元々ほとんど存在しなかった。自分たちは征服者ローマの子孫なのか、それとも被征服者ガリアの子孫なのか、はたまた解放者ゲルマンの子孫なのか。革命以前のフランスの文人たちは、こうした議論を延々と繰り広げていたほどである。それが革命を経て、何より革命戦争による外国勢力の侵入が、彼らを結び付けることになった。国内的な求心力というのは、日本の攘夷などのようにやはり対外的なものによるところが多い。歴史家の三谷太一郎先生風に言えば、「忘れえぬ他者」(仮想敵)というやつである。ちなみに今日でも地方の差異というのは残っていて、南部のプロヴァンスや北西部ブルターニュなどは、独自の言葉や文化を保持していることで知られている。加えて、口語と文語の乖離から、彼の国では近代以降も長きに亘って、代筆屋というのが存在していた。要するに国民統合というのは、まったき同質性を意味しない。現実問題としてそのような同質性の強い集団というのは、この世界では極々限られているからだ。だからこそ、国民統合の思想、運動としてのナショナリズムというのは、契機性以上に、むしろその目的性、志向性に重きが置かれるのである。その点、伝統ではなく、憲法=国家への忠誠に重きをなす、ユルゲン・ハーバーマスの「憲法愛国主義」というのは、さほど突飛な発想ではない。



さて、問題はドイツである。ドイツはフランス以上に混迷を極めていた。ドイツのナショナリズム領邦国家だけでなく教会権力とも同時に戦わねばならかった。そもそも、ナチスが台頭した時、ナチの指導者たちがまず直面したのは、地方が中央の言うことをまったく聞かなかったことであったのである。それほど集権と統合というのは難しい。独裁体制が布かれやすい国というのは、むしろ“中央政府が弱い”のである。今日のパキスタンなどがその好例であろう。こうした世俗社会の分裂ばかりでなく、俄かには信じ難いのだが、H・プレスナーの『ドイツロマン主義とナチズム』によれば、「アウグスブルグの和議」以降、“領主”が領国の宗教を選び、個人で選ぶことは出来なかった。なんとこの一種の領国単位での国教会は“第一次世界大戦の敗戦時”まで存続し、その後のワイマール体制の下で解体せられたとはいえ、補填として政府は所得税の“一割相当の教会税”(まさに十分の一税)を代理徴収し、この制度は何と“現在でも続いている”のである(1995年現在)。この聖俗の天地を縦横に走った亀裂を埋めることは、かの偉大なるビスマルクをして不可能たらしめた。北部プロテスタントと南部カトリックポーランドの汽水域としての東プロイセン、さらにはベルリンとウィーンの二者択一。小ドイツ主義以外は選択の余地が無かったにも関わらず、それでもこの奇妙な捩れは今日でも解決されないであろう。一体、ドイツ人の国とは何処までを指すのか。ドイツ国民とは何ものであるのか。元よりこれらの地域では、長らく「帝国」という体制を布いて来たのであって、人為的で強制的な変更を迫る国民国家への道程は、酷く困難なものであった。先のハーバーマスの「憲法愛国主義」という考え方は、こうした特殊ドイツ的な事情を加味せずに理解することは困難である。つまり、国家統合の求心力として契機的同質性を求めると、その不明確な領域性が膨張するか、或は分離へと逆転してしまう。同質性などというものに拘泥すれば、集団は収縮し、やがてむくつけき「我」が露呈する。そして、最後には己をも失うであろう。我は我をもって我たりえないのだから。ハーバーマス東ドイツの吸収合邦に反対したことには、確かに一面では理が存するのである。



前世紀のドイツのこうした状況をさらにややこしい事にしたのが、ネオコン或はリベラル・ホークとでも言うべき、ウィルソン大統領の掲げた「民族自決」と、ベルサイユ条約で禁じられたドイツとオーストリアとの合邦との原則上の“捩れ”である。そういう意味でプロテスタントが多かったナチにあって、ヒトラー自身はカトリック系のオーストリア人であった事実は興味深い。先のプレスナーカトリック下の世俗主義(フランス)とルター主義(ドイツ)下の世俗主義を対比して、後者にナチズムの遠因を求めているのであるが、フランス革命ジャコバンのテロル政治を考慮すれば、必ずしも妥当な見解とは言えない。ただ、日本で好まれるベンヤミンの「政治の美学化」という見方よりも、こうした「政治の神学化」といった見方のほうが妥当である様に思われる。つまり、世俗的かつ反自由と言う意味で普遍的な、政党という名の“教会”が、地上の統治に乗り出したのである。一面においてナチズムは、断片化したドイツ人が散り散りになるのを留めていた。しかし、その実態は前代の思想の寄せ集めに過ぎなかった。彼らのイデオロギーは何より「否定の優先」だったのであって、そうした意味でナチズムは極めて虚無主義的であった。彼らが否定したもの――個人主義自由主義、民主主義、議会主義、資本主義、カトリシズム、マルクス主義、そしてユダヤ人。彼らの特徴はその否定面の強調であり、だからこそ、東西分裂後にナチズムのマルクス主義との対抗という側面が、逆説的にはあるが、強化されて理解されてしまうのである。


●党派という病と政党政治の擁護


フランス革命における恐怖政治、ボルシェビキによるロシア革命、そして、ナチスによる保守革命。これらは人類の負の歴史とでも称すべきものだが、これらが我々に教訓を与えているとすれば、それはナショナリズムの危険性ではなく、「党派」が齎す弊害とその根治の困難さである。いずれの革命においても、国家そのものというよりは、国家をある党派が乗っ取り、他の党派を弾圧壊滅させて、一党独裁体制を布いたことにその特徴が存する。フランス革命のように、短期間に各党派が抗争、分裂、粛清、自滅を繰り返したものもあれば、ソ連のように長期間維持したものもある。体制維持のために独裁体制を布き、野党を認めないということは多々ある。古典的共和主義などに至っては「党派」の存在を認めないか、或は考慮に入れすらしなかった(――数少ない例外がN・マキアヴェッリである)。E・バークが『現在の不満と原因に関する省察』(――有名な「政党」の定義が記されている。「政党とは、ある特定の主義、または原則において一致しているいる人々がその主義または原則に基づいて国民的利益を増進させるために、協力し、結合した団体である」)で擁護するまで、政党(Party)という言葉ですら、党派(Faction)と区別されずに用いられていたのである。我々は「民主主義」という概念ばかりに注目を向けがちだが、「政党政治」も自由な社会のために擁護されるべきものであり、それ自体をもっと評価されてしかるべきであろう。フランス革命と同時期のアメリカにおいて、フェデラリスト政権である第二代大統領ジョン・アダムズから、リパブリカンのジェファーソンに、政権が平和裏に移行されたことをもって「1800年の革命」と称していることが、過大な評価とは言い難いのはこのためである。昨今、民主党に対する風当たりが(――自業自得とはいえ)厳しいが、彼らが国民の党たらんとする限り、支持していようがいまいが、それはやはり我々国民の政党なのである。“公的であるということ”とは、それが“我々自身であるということ”を一旦は認める態度に他ならない。



違憲立法審査権アメリカ憲政上確立させたジョン・マーシャル判事が、「マカロック対メリーランド州事件」に際して、「この規定は、来たるべき時を超えて持続し、その結果、人間に関するさまざまな危機に当てはめるべきものとして憲法に盛り込まれている」のだと述べるにはじまり、今世紀のハリー・ブラックマン判事が「ロー対ウェイド事件」における判決文で憲法とはそもそも基本的に異なる見解をもつ人々のためのものであり、ある見解が自然で聞き慣れたものだとか、あるいは斬新で衝撃的でさえあると私たちがたまたま発見することによって、それらを具体化する法律が合衆国憲法に抵触するかというかという問題についての私たちの判断を結論付けるべきではない」と述べるに至るように、国家も、憲法も、飽くなき抗争の歴史から得た人類の叡智であったはずだ。我輩が国家を擁護するのも、党派そのものを根治することが不可能な以上、党派の弊害を是正するには、国家がやはり不可欠であろうと考えるが故である。そもそも、国家が、憲法が、政治が、我々自身の反映でなくして何であるのか。我々を守るものでなくして何であるのか。我々自身の問題でなくして、一体何であると言うのだろうか。国家が不名誉な八つ当たりじみた批判を受け、非道徳の塊であるかのような扱いを被るのは、我輩には堪え難いのである。何故なら、国家や政治が低劣であるのならば、それは我々自身を映す鏡でしかありえない以上、その言葉は我々に還って来るからだ。国家を如何に論じようと、あるいは如何なる思想を編もうとも、我々自身が有限な存在であることは変わらないこと、思想の中にあっても人間であり続けるということを、我々は忘れてはならない。


最後に、党派対立の現実に立ち向かった、アメリカ「連邦憲法の父」J・マディソンの言葉を引用して本論を締めくくりたい。


政府の悪用を抑制するためにそのような手段が必要であるということは、人間の本性を反映するものかもしれない。しかし、政府自体が、人間性の最も偉大な反映でなくして何であろうか。人間が天使であったならば、政府は必要ないだろう。天使が統治するならば、政府に対する外的な統制も内的な統制も必要ないだろう。人が人を統治する政府を構築するに当たって最も難しいのは、まず政府が統治の対象を統制できるようにし、続いて自らを統制するようにしなければならないことである。
――『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』第五十一篇「抑制均衡の理論」

国家とその擁護のための予備的諸考察(2)

●モラルなき時代


オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』は大衆社会論の嚆矢とか、自然的貴族の議論ばかりが注目されがちである。甚だしきは彼の「自然的貴族」と「大衆人」の対比から、大衆人への一方的断罪という字面をなぞっただけの解釈すら為される。「運命というものはすべて、その根底においてはドラスティックであり悲劇的である。時代の危機を自分の手でしっかりと把み、その脈打つのを感じたことのない人は、運命の核心に到達したことのない人である。彼はその病み衰えた頬をなでたとしかいえない」という一文はある種の皮肉のようにすら感じられる。確かにオルテガの筆鋒は大衆に対して厳しいのであるが、彼にとって「大衆の反逆は、生命力と可能性の信じがたいほどの増加を意味する」ものでもあった。問題は、この大衆人が過去のモラルに対して敬意を払わず、しかもそれを超克する新たなモラルを形成する能力を有していなかったことにある。



ここでいうモラルとは、倫理的な意味合い、特に“全体性”という意味で用いている。つまり、狭義における倫理においては、個々の規範を包括するものである(――道徳は個人の良心と集団の倫理によってなる)。全体性は、信仰においては神であり、生活においては文化であり、政治においては国体として現われる。こうした謂いが知的においてはホーリズム的、政治的においては全体主義的であることを否定はしない。「自由」の“原理化”にはなお留保すべきであると考えているからである。殊に「選択の自由」において、それは成功者の自由でしかありえない。成功を事後的に正当化するに過ぎないそれは、端から失敗者を疎外しているか、或は失敗に対する担保を有していない(――だが、同時に「平等」なるものも結局はこの「自由」に対する消極的な修正主義的見解に過ぎない)。昨今話題になった赤木智弘氏の「希望は戦争。」という言葉に表れているのは、単純な意味での「戦争」ではないのだ。勿論、発言した当人はそうした背景を意識して述べたものではないだろうが、ロックなどの言説における所謂「戦争状態」であると理解した方がよい。「戦争状態」とはただ単に干戈を交えるという意味ではなくて、社会において相互保全や信頼が成り立たない事である。ここではもはやシステムは機能せず、原子化した個々がただぶつかり合う。権力は規範性を失い、ただ力として振舞われる。


●モラルなき歴史


モラル(全体性)が存在しないということは、要するに我々が、我々の思想や営為が断片化しているということである。思うに、それは今日の現状とて変わりは無い。果たして今の日本に、或は諸外国に、全体性を持ったモラルなど存在するだろうか。我々は実に気楽な調子で「現代」とやらを語り、「世代」とやらを論じる。然るに、果たして我々に「現代」と言うほどの同時性があろうか。「世代」と言うほどに何かを共有しているだろうか。「現代美術」を称している児戯に、枕詞以外に一体如何なる共通性があろうか。現状のグローバリズムなる概念への理解もまた奇妙である。ソ連の崩壊は確かにマルクス主義の発展的な歴史観を打ち砕いたかもしれない。しかし、それは同時に自由主義(ホイッグ)的な進歩史観の夢想すらも破壊するものではなかったか。我々は「歴史の終わり」(F・フクヤマ)に到達したのではない。歴史の目標(目的)が見失われた時、それは「『歴史の終わり』そのものの終わり」(J・ボードリヤール)を意味したのであって、我々が真に失ったのは「歴史性」という全体像なのである。(――歴史的意義のあるものとして)湾岸戦争はなかった」というボードリヤールの言には、ある種の茶化しを超えて真理が存すると言えよう。



ところで、理想主義の思想や原理そのものの現実性を問うことに、意義はあまりない。問題は理想主義者が現実においてどのようなアクターとして在るのかにある。現実主義者であっても“主義”である以上は、現実そのものではありえない。同様に理想主義だからといって、現実と何ら接点なくして考え出されるような思想などありはしない。どのような思想であれ、現実との接点なくして我々に認識されえない。我々が思想の中身だと思っているものは、実際には思想と現実とが接した時に現れる“反映”に過ぎないのである。この“反映”という意味においてのみ言葉は躍動し、思想は思索者や机上を離れすらする。実際の思想的営為において、「正統」だとか、「異端」であるとかいった文献的解釈は、ほとんど意味を成さない。なぜなら、静止するのは我々の精神であって、思想や言葉というものは静止しないからである。歴史的、思想的誤解もその限りにおいて我々を前進させるであろう。ガリレオが異端であろうとなかろうと、「それでも地球は回っている」のであって、ガリレオが異端であるか、否かは、大して意味を持たないのである。時に、保守を自任する人々によって、共産主義が如何に現実離れしていたかを強調する論説に出くわすのであるが、実にくだらないことだ。より問われるべきは、ソ連倒壊を予言したとか、この手の与太話ではなく、何故このような体制が実に七十年以上もの間存続できたのかということにあろう。これこそが大問題なのである。そうした現実離れした考え方や圧制、暴政を強調すればするほどに、何故この様な体制が持続できたのかという問が大きな意味を持ち、かつそれに答えるのを甚だ困難にしている。



オルテガ「国家は一つの事物ではなく、運動である」と言った。「国家はすべての運動がそうであるように、起点と目標をもっている」。ところが、目標を見失えば、起点への信頼も当然薄れてしまう。ただ、現在に至る無数の分岐点のみが、ただ時間のみにおいて付加逆な流れに拡がって行く。国家の統一性は所与の統一を絶えず超克するという目標に掛かっている。仮初にも「より以上のものへと向かうこの衝動が衰退すれば、国家は自動的に死滅してしまうのであり、物理的に基礎が固められていたかに見える既存の統一性――人種、言語、自然の境界による統一性――ももはやなんの役にも立たない。つまり国家は分裂し、分散し、アトム化してしまうのである」。今日における道州制などの分権論などがそれの良い例であろう。進歩なき“現在”において歴史は常に退歩の可能性を秘めている。中欧の都プラハが東欧の霧へと消えた」(ミラン・クンデラ)ように、歴史上退歩は枚挙無く繰り返されて来たのである。我々が生きる時代はそれが退歩であるかさえ、その時点では明らかではない。だが、一寸先が分からないからこそ生きることは楽しいのであり、同時に不安でもあるのだろう。


●モラルなき知識


このような時代において、ある種の情熱が溢れた理念(範型)の時代から、歴史学が冷めた実証主義へと還って行くことは必然であろう。たとえそれは「獣が残した毛の痕跡をたどり、けもの道を見つける狩人」(カルロ・ギンズブルグ)のようなささやかなものであったとしても、それは我々に新しい視座を提供してくれるだろう。昨今であれば、井上寿一先生が『日中戦争下の日本』(講談社選書メチエ)で、従来大きな意味を与えられて来なかった史料を渉猟して、日中戦争下の民衆の姿を鮮やかに描き出してみたと思えば、逆にランケ以来の王道とも言うべき政治、外交史において、小林道彦先生が『桂太郎』(ミネルヴァ日本評伝選)で、「ニコポン宰相」と蔑まれて来た従来の桂太郎を大きく変えるような、斬新な桂像を描き出している(――遺憾ながら、ウィキペディアの「桂太郎」の項目は、従来然とした実に古臭いものである)。歴史学においては細部に亘る研究が、既存の実証主義という大きな枠組みに寄与しえるのである。一方、社会学は最早学問として立ち直れないのではないだろうか。連譜字社会学(「××社会学」のような)の氾濫からはじまって、今や無数の個別的事例研究に過ぎないものが、あたかも一つの学問体系の如く振舞っている。ここでは、もはや大きな枠組みとしての社会学は、ほとんど顧みられていない。何故なら、モデル(規範)なき時代にモデル(類型)を求めることは、端的に言ってアナクロニズムである。現に東大の情報学環の人々は社会学者を自称してはいるが、やっていることと言ったら、その多くは哲学の真似事に過ぎない。京大の大澤真幸氏もその著作にはなお見るべき点があるとはいえ、自我論やら国家論やらと、社会学とは随分縁遠いものである。ポスト・コロニアルなどに至っては所詮転倒した歴史哲学に過ぎまい。



思うに、彼らやポスト・モダンの思想家というのは、我らの時代のシニク(犬儒派)だったのではあるまいか。シニクは「何も創造しなかったし、何も成しはしなかった。彼らの役割は破壊であった。というよりも破壊の試みであったというべきであろう。なぜならば、その目的さえも達成しえなかったからである。文明の寄食者である犬儒主義者は、文明はけっしてなくならないだろうという確信があればこそ、文明を否定することによって生きているのだ」(オルテガ)。彼らは隠された権力を暴き出し、国家や共同体は想像の産物に過ぎず、伝統は捏造されたものであり、自我や個人さえも懐疑の眼差しを向ける。しかし、現実に我らは我らとして(――或る程度自己同一性を維持した存在として)生きているし、権力は厳に存在し、国家とて健在である。某国などに至っては、自国のビルが二棟ほど倒された腹いせに、二つばかし国を滅ぼすほどに活発だ。なるほど確かに、彼らの思想は彼らが自称する通り、そうした知識(――それは事実や情報ではなくて“判断”である)に「反省」を促しはする。だが、それでは、彼ら自身は一体どうなのか。彼らが内省的であると言えるのか、我輩は大変疑問に思う。何事も起点と目的を必要とする。さすれば彼らの思索的運動は、同じところをただ延々と回っているだけに過ぎないのではないか。


●モラルなき信仰


信仰の問題を語ることは難しい。それは往々にして「党派(宗派)」の問題になりがちであり、人間というものは、自分が本当に大切に思っていることに関しては、中々寛容になれないものである。この種の党派対立そのものをなくしてしまうことは難しい。かつての全体主義者がそうしたように、異なる党派を全て潰してしまって、強制的に一個のものに統合してしまえば、確かに党派の問題はなくなるかもしれない。しかし、それでは歴史的に漸次獲得されてきた自由を放棄せよと言うのに等しい。個人の自由を考慮せぬことで、公的な自由を確保するというわけである。しかしながら、自由の下での政治とは、純粋な意味での統合ではありえない。統合の原理には常に排除が付き纏うからである。したがって、統合の原理を既存の如何なる事実、即ち人種や民族、文化、宗教、或は自然的境界に求めることは誤りである。純粋であり、同質的なものであるそれらの要素は、たちまち分裂の要素に変わるであろう。起源は政治的統合の原理足りえない。統合の原理は常に目標にこそ担われてきたのである。こうした「政治」の漸進性(――絶えず、前へ前へと突き進む意志)において、同じく統合的、集合的な性格を持つ宗教(教会)と区別しうる。



宗教とは単純化すれば「生と死」に関する教説のことである。意志なく生まれ、否応なく死なねばならぬ人間にとって、「生‐死」は一繋がりの連関であり、両者はまったくの不可分の関係でしかありえない。政治の流れが頭上を飛ぶ無数の矢の如きものであるとするならば、宗教における流れは川の如きものである。宗教はこの流れの先にある「死」を意味づけることで、遡って「生」の意味を保証する。だからこそ、宗教的「生」において、「死」なくして「生」足りえず、逆もまた然りである。ところが、現代人は過剰なまでに死を恐れる。そうであるからこそ逆説的に、「生」の意味もまた希薄化していく。“死の自由”を失ったがために、生はたとい自由であっても、何のための自由なのかを見失ってしまった。当然の帰結であろう。生そのものに目的性や完結性などありはしない。だからこそ、前世紀において実存主義は颯爽と現れ、そして、完膚なきまでに敗北したのである。今日に至っては自由のための自由といった奇妙なことすらもしばしば起こる。政教分離とは、元来の言葉「The separation of church and state」が意味する通り、「教会」と「国家」を分離するものであったが、世俗的な自由が宗教的な自由に代わることは、ついに出来なかったのである。世俗的原理は諸個人に「個人の自由」を与えたが、人々の信仰から全体性を失わせた。「個」という特殊性が自由によってあらわされているのならば、それは「世界」の普遍性を剥奪した結果に過ぎない。自由の獲得によって、人々は世界との繋がりを断ち切ってしまったのである。今や人々は外在的に取り扱うこと(――世人はこれを“批評”だとか、“批判”などと称している)しか出来ず、無能な彼等は何の内在的な主張も持たず、また何を創造すべきかも知らない。


●モラルなき道徳

問題は今やヨーロッパにモラルが存在しないということである。それは、大衆人が新しく登場したモラルを尊重し、旧来のモラルを軽視しているというのではなく、大衆人の生の中心的な願望がいかなるモラルにも束縛されずに生きることにあるということなのである。諸君は若者たちが「新しいモラル」を口にする時はそのいかなる言葉も絶対に信じてはならない。わたしは、今日このヨーロッパ大陸のいずこにも、一つのモラルの外観を示している新しいエトスをもった集団は存在しないと断言する。人々が「新しい」モラルを口にする時、それは一つの不道徳行為を犯しているのに他ならないのであり、彼らは、密輸入のための最も容易な方法を探しているのである。


――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)

オルテガは、反動の仮面を被った大衆人(ファシズム)と、革命の仮面を被った大衆人(サンディカリズム)との対立に隠れていたものを、その破局以前に喝破していた。彼等は断片に過ぎないのである。彼らのモラルはただ前時代の否定を意味するに過ぎず、それは19世紀の自由主義が獲得したものを自ら投げ出し、退歩せんとする否定的意志の発露であった。ニヒリズムは全てに対する否定である以上は、思想足りえず、それは単なる状況と化す。決断しないということすら決断したと看做せるように、何ら規範を有していないことも二次的な規範性を有せざるをえない。ここに付け入ったのが、近代の機械的組織である。アウシュヴィッツという“工場”は、機械的な男ルドルフ・ヘスが操縦し、計算機的な男アイヒマンがそこに軌道を敷いた。彼等はユダヤ人を“殺害”したのではない。彼等はユダヤ人を“処理”する工場をただ“管理”していただけなのである。少なくとも「生死」に関するものは、すべて宗教的なものであり、そうした裏づけになしに「生死」の倫理を保つことは出来ない。ナチスという世俗的擬似宗教は、期せずしてそれを証明したように思われる。しかし、「生」における永続性と完結性とを、同時に実現しようとする無謀な試み(――「宗教」とはそれを可能だと思わせるドグマである)は、今後も続けられるだろう。



人間は神になれないし、その代わりも勤まらない。神性を帯びた独裁者も、最後には死すべきものとして終わる。では、我々は機械になることは出来るか。ある功利主義者は「神は必要か」などという文章をさらっと書いてしまった。かのブログの多くの読者は、それを重要なことと看做さなかったようである。しかし、ルソーのような支離滅裂なことをのたまった全体主義者(乃至は個人主義者)よりも、功利主義者の「陰鬱な科学」(カーライル)の方が、我輩には脅威に感じられるし、何より功利主義に対する有効な反駁が浮かばない。だからこそ、大変に悩ましいのだが、機能に対して原理は“留保”させるという点でなお擁護しうると考えている。しかし、それでは原理そのものはまったくの無意味であり、それすらも機能として収斂してしまうことを否定し切れない。つまり、「原理」擁護のはずが、それをその「効用」で把握する以上、功利主義に嵌り込んでしまう。だが、それでも、なお、やはり、功利主義なるものを「倫理」と呼ぶことには、非常に抵抗を感じる。それは代用品ではあっても、純正品などでは断じてない。それは生きている人間に対してしか用いることが出来ない。なるほど、確かに我らは機械のように振舞うことができるであろう。しかしながら、我々は機械そのものになることができない。我々は機械のように振舞おうとすればするほど、否、機械化され、その振る舞いが機械らしくなればなるほど、その乖離は我々を苦しめるであろう。何故ならば、それでもなお、我らは「人間」以外の何ものでもないからだ。しかし、何よりも吐露すべきは、我らの孤独である。我らの背後には何も存在せず、我らの隣には生ける死者が居ないのだ。世界の広さを知ったというのに、我々はみな独りぼっちになってしまった。



国家とその擁護のための予備的諸考察(1)

●思想と空間


そもそも「思想」とは一体何であろうか。我々がもし懐疑主義を取るのであれば、思想とは何であるかについて、まず考え始めなければならないだろう。我々はよく思想に関して、見取り図の様にリストを作成してみたり、対立軸を設けて分類してみたり、或は『思想地図』とか、『批評空間』といったような空間的な概念を以って把握しようと試みる。なるほど、確かに西洋思想史だけでなく東洋の諸思想においても存在論は重要な位置を占めてきた。しかしながら、それでは宇宙以前に何かしらの空間を認めると言うに等しい(――つまり、生成それ自体が、認識に先行していなければならない)。我々はそこに当て嵌めたり、抜き出したりするだけというわけである。今日の懐疑主義者は、常識、国家、自我、伝統、歴史とあらゆるものを懐疑しているかのように見えるが、何の事はない、彼等は自らを外に置くか、ただ単に外在するものを斥けているのに過ぎない。彼等は自らの背中を支えているものに頬かぶりを決め込むか、自らの足下に無自覚であるかのどちらかでしかありえない。思索が運動(操作)である以上は、起点と目標が必要だからである。そして、それ故にこそ、あらゆる概念や原理は、仮定の上ですら背反する要素を孕まざるをえないのだ。



思想は現在から未来を語らなければならない。ここでいう未来とは時間的志向性のことではなく、既存のものを内包し、超克して行こうとする運動体的な意志のことである。思索とは精神と思想(――それは“考えられたこと”である)との間で繰り交わされる運動であり、それはある特殊な地点から普遍的な高みへと上って行くことだ。なるほど、我々は概念が語る事物そのものについて何も知りえない。我々の知識の本質は事物ではなく連関(関係と運動)であり、法則(神の見えざる意志と遍く理性)ではなく予期(仮定と確率)である。しかしながら、事物の実在性が斥けられたからと言って、その存在が否定されたとは言えない。外在するものはただそこに存在している(――つまり、認識者にとって、生成それ自体が存在していることになる)。我々は我々自身の中に内在しているのではない。我々は自身すら我々でないものに投げ掛けられることによって現されるのである。今日、エゴイズムが「表現の自由」なり、何なり、「自由主義」の仮面を被って闊歩しているのであるが、そもそも“自我の覚醒”とは、“観る自己”であると同時に、“観られる自己”への自覚であったはずだ。主体的な存在としては観る自分であり、客体的な存在としては観られる自分なのである。両者はまったく不可分の関係であり、言うなれば、それは自らをも対象化する思想なのである。我々は異なるものとの間を通して、普遍的なものへ運動する。思索者は特殊な私から、普遍的な私を目指す。そういう意味において、エゴイズムは思索の停滞以外の何物でもない。生きていく事とは、己以外に己を見出すことであり、純粋なエゴイストはついに己を知りえない。「私」という存在は遍在する。意識はそれを束ねる紐の如きものに過ぎない。


●「存在」と「存在すること」


存在は「もの」に、実存とは「存在すること」に向けられている。我々が精神(――思索が運動であるために、それは如何なる意味においても静止していると仮定されるべきである)を起点にしてものを考えるように、「存在すること」に対して「存在そのもの」は先行している。我々が「物事」を語るというのは、実際には事実そのものではなくて、事実について解釈を講じているのである。存在とは驚異的なものであると同時に、まったく不条理なものでもある。それはいつも我々に先んじているのにも関わらず、我々は平行することも、追い抜くことも出来ない。だからこそ、カントは「ものはただそこに在る」のだと、哲学から形而上学を放逐してしまった。アリストテレスの時代からハイデッガーに至るまで、一次的な形而上学が成立しえたことはただの一度もない。我々が形而上学だとか、存在論などと称しているものは、全て実存か、二次的な形而上学に過ぎないのである。一次的な形而上学が不可能であるからこそ、逆説的に我々は神学を欲するのであり、哲学に神学紛いの要素が混入する。「知らんがために、わたくしは信ずる」という、今日の我々からすれば転倒しているかのように見えるアンセルムスの信仰告白は、理性はおろか信仰そのものの不可能性も示している(――アンセルムスは神が存在することを証明するのではなく、神が存在しないという命題の否定を証明した)。理性を優先させたカントにせよ、信仰を優先させたアンセルムスにせよ、一次的な存在が先行せざるをえないという点で何ら相違ないからだ。



今日の科学はこの種の一次的、二次的な問題に関心をほとんど持たない。科学は事実の体系を持たないし、それは方法であって何がしかの中身を擁するわけではない。実のところそれはあらゆる学問の中で最も多くの仮定を持っている。一般に「法則」として理解されている知識というのは、この仮定の体系なのである。科学者とその他の質問者が対立するのは、答えの中身ではなく、この体系を有するか、否かの問題に過ぎない。科学というのは“知識のホムンクルス”なのである。“仮定のフラスコ”なしでは生きていけないのだ。たとえば、我々は未だ「進化」という現象そのものを目撃していない。それでは何故この進化説が多くの支持を集めるか。それは生物の多様性や変遷をよく説明しうる「思想」だからである。同様に我々は今や地球が丸いということを自明の事実として見ている。しかし、我々が現実に見ることが出来るのは、たとえ宇宙からの写真であれ動画であっても、それは“丸い”ではなくて“円い”地球である。地上にあっては円ですらなく、ただ凹凸のある平面に過ぎない。要するに科学とは「眼」ではないのである。それは我々に遠くを見たり、近くを見たりすることができる「眼鏡」を与えてくれる学問なのである。したがって、それが示すのは事実ではありえず、予期の可能性に過ぎない。だからこそ、万物の根源を究めんとするかのように見えるこの学問は、実際のところ二次的な理論研究よりも、三次(もの‐こと‐こと)的な事柄の探求に熱心なのである。道具や技術に近い性質を持つそれは、もとより補助的な意味合いが強い。つまるところ、それが究めんとするのは「もの」それ自体に関してではなくて、「もの」の見方それ自体を研ぎ澄まさんとしているのである。



元来、「知識」とは分別の事であった。知識を豊かだとか量的概念で捉える事はまさに知識がないといえる。知識とは質的な概念であり、それは有か無かのいずれでしかないからだ。諸君らの部屋の中にカバが居ないという命題は、ウィトゲンシュタインが言うように成り立たないかもしれない(――形而上学は“在ること”のみを対象としてきた)。しかし、我らの眼前にある馬と鹿自体の存在が担保されようがされまいが、感覚器官の伝えるところに従って、我々はそれが別の生き物である事を容易に認識出来るであろう。何かを区別する力は個々の概念を認識する力に先立つ。我々は実在性そのものに対しては証明する術を持っていないのであるから、それを懐疑する事は信ずる事と何ら変わらぬ、先行する信念のようなものに過ぎない。例えば、「我輩」という存在は単に想定し、予期されて現われる「姿」に過ぎない。その「姿」は「事物」そのものではありえないが、慣習的に束ねられ、認識しうる「運動体」ではある。しかし、我輩という存在の中心は常に空虚でしかありえない。我輩が見るのはその空虚な中心を廻る周縁部に過ぎない。だが、それがどうしたのというのだろう。そうした問はただ“問い掛ける”ものであって、“問い掛けられた”ものではありえない。何故なら、そうした問に答えは存在しないのだから。我々がまず検証せねばならないのは、命題に対する答えではなく、命題そのものの妥当性なのである。したがって、元より我々の理性や知性は積極的ではありえない。認識においては生成が先行するという「回帰性」(――我々が認識しているものは存在そのものと関係がない)、さらに個別の事物を慣習的に再構築することに対する反省という「再帰性」(――循環するもの、相互排除するものとして、区別から構成への飛躍)。つまり、理性の性質は創造的ではありえない。それは意志が創造したものを認識するに留まる。理性は創造されたものと捏造されたものの区別が出来ない(――すべては“在るもの”として認識される)。


●思想と時間


我々は如何なる意味でも静止している精神(――故に精神において「発展」などというものは存在しない)から発せられる思索や思想といった営為に、幾何学的な空間を持ち込んだり、時間の観念を持ち込もうとする。そうした試みは、持ち込もうとする概念や観念を足場に思索をすることを可能にはするが、思想そのものにそうした観念を合成しえたことはただの一度もない。たとえば、「歴史哲学」というものはヘーゲル以前に、すでにカントの「普遍史」(――それは世俗化した救済史である)にその端緒が見られるが、歴史に理性は貫徹されるなどというのは、あまりに無謀な想定であった。そもそもそうした考え方は、歴史に正しいものが存在すると考えるようなものである。歴史とは人の営みと意志を汲み取り受け継いで行くものなのであって、そこにロマンや正義、ましてや救済などありはしない。歴史は言うなれば横方向(――これはあくまで付加逆な時間の流れの意味のみであって、横の広がりがあるわけではない)に流れるものであって、何らかの階層を見出すことはできないのである。



哲学などの思想はもはやその時代的な使命を終えたのではないだろうか。と言うのも、カント、ヘーゲルに代表されるような近代西洋思想の根底にあるのは、“近代社会を如何に生きるか”という主題であったからだ。彼らの歴史哲学や普遍史への試みというのは、キリスト教的な救済史への対抗ないしその代替物であった。すでに前世紀初頭のオルテガですら、過ぎ去ったものとして「近代」を評価している。「近代文化への信仰は悲しくも淋しい信仰であった。明日もその全本質において今日と同じことであることを知ることであり、進歩というものは、すでに自分の足下にある一本道を永遠に歩み続けるということにのみあるのだということを知ることであった。こうした道は、むしろ、どこまでいっても出口のない永遠に続く牢獄のようなものである」。現在はもはや「近代」ではない。哲学は時代の先導者、未来の予言者たることが困難になってしまった。いや、そもそも時代を先導するものなどありはしなかった。神も、理性も、我々自身の歴史を導いてはくれない。しかし、オルテガの弁を再び借りれば、「今日われわれは、明日何が起こるか分からない時代に生きている。そして、そのことにわれわれはひそかな喜びを感じる。なぜならば、予測しえないということ、つねにあらゆる可能性に向かって開かれているということこそ、真正な生のあり方であり、生の真の頂点というか充実だからである」。まさに「夢もなければ、怖れもない」(イザベラ・デステ)。


●期待と諦念


我輩が、東浩紀氏や宮台真司氏、宇野常寛氏らによる批評に反発を覚えるのは、彼らが個々の作品を個々の作品において掘り下げていくのではなく、余人には理解し難い珍妙な理論を作り出し、そこから同時代の諸作品を選別した上で語り、それを批評などと称している事だ。東氏であれば先にフランス流の現代思想とやらがあり、宮台氏であれば「再帰的」だとか社会学的用語があり、宇野氏であれば「ゼロ年代」とかいう時代的なキーワードが常に先行している。受容する側の読者もまた、彼らの言説のキーワード的な部分ばかりを摂取し、彼らの具体的な思索の足跡を辿ろうとしない。こんなことが批評だとか、思索などと言えるのか。自分の頭で考えず、外在的な素材と戯れているだけではないか。「われ(かれ)の物語」でも、「われわれ(かれら)の物語」ですらなく、批評する個人の物語に諸作品を従属させるような行為に、堪え難い不快感を覚えるのである。彼らはホーリストではないが、同時に個人主義者でもありえない。この奇妙なキメラ達を前に強い反発を抱きながら、明確に表す言葉を持てない。或は、彼らに対して抱いているのは反発ではなくて、違和感というか戸惑いなのかもしれない。



以前書いたエントリに「ぼくがハルヒ決断主義にハマったのは、つまりぼくがいい加減な人間だからなんだろう?」というブックマーク・コメントが寄せられていた。勿論、我輩が言わんとしたのはそうではない。『涼宮ハルヒの憂鬱』やその主人公に共感を覚えることがいけないのではなく、それを外在的な「決断主義」という言葉で納得してしまうことに、異議を唱えているのである。思想などというものは別段高尚なものでも何でもないのだから、自分で考えたことにどうして優劣があろうか。共感であるならば、なおさら自己の問題として考えるべきであろう。肯うことも、否むことも、彼自身の意志であり、精神の問題なのだから。時として「物語」が読者たる我々を拒絶することがあるし、「読者」が「物語」を拒絶することも当然にあろう。



我々は不用意に「現代」なるものを語る。しかして一体、そもそも「現代」とは何であるのか。「現在」を貫く何がしかもの(――理論であれ、概念であれ、思想であれ、文化であれ、宗教であれ)を我々はなお想定しうるであろうか。歴史においてある種の特殊性が優越性と履き違えられ易いように、単なる性質に過ぎない問題が、理由や目的と看做されてしまう。それでは意識に先行する何かがあると言っているようなものである。しかも、そうした全体像は常に個人主義に、自由主義に、全く反するのである。だからこそ、今日悉く一切の物が断片と化し、消費する物は豊かになれど、生活は益々部分化されてしまう。それでも、我々が営みとして何かを語ろうとする事は、果たして可能なのだろうか。



あんパンなんていらない。(Ver.Unteazated)

別館の方で宮台真司氏が赤木論文に寄せた
コメントをあまりに凡庸過ぎると評した所、
このようなトラックバックを頂いた。
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20071113/p1
ここで展開されている論争や立場への不信感が、
『Something Orange』というブログの
アイデンティティなんていらない。」
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20071116/p1
というエントリの内容に通じるものがあるように思えたので、
後者のエントリを軸に論理や倫理、
個人や集団の問題について論じたい。

実存主義と社会的承認

コメント欄にも指摘があったが、
海燕氏の「アイデンティティ」は
定義が少々曖昧過ぎる。
社会科学や人文科学において
キーとなる概念の定義付けは重要である。
何故なら論理の前提や根本を成すからだ。
定義が曖昧だとどうしても
その理論の想定や仮定も曖昧になりがちであるし、
かつその理論の適用の易さは定義の強さに比例する。
そもそも議論が最も起こりやすい点が、
この基礎的な定義付けの段階である。


定義の曖昧さもさることながら、
その適用される範囲もまた問題である。
思うに、海燕氏は本稿において、個人と集団、
その関係性の峻別が出来ていないのではないか。
つまり、個人対集団のほかに、
個人対個人、集団対集団もあり、
帰属意識」について述べられている割に、
むしろ個人対個人の記述に偏っている嫌いがある。
言い換えれば、アイデンティティの下に、
自我論と社会的承認が混交されてしまっている。


ただ、海燕氏の意見の内容自体はそれほど突飛ではない。
「社会的承認」に関して言えば、
自意識が自分を失って、
 他者こそ本当の自分だと考える一種の疎外
などとヘーゲルが述べているし、
自我論の方は実存主義の自己決定原理であり、
(端的に言えば、「オレはオレだ」という思想)
前世紀における主流の思潮であった。
問題は両者が混じった結果、
集団に対するほど自我に対する懐疑が深くない事だ。


海燕氏の意図を読み解くに、
アイデンティティなんていらない
と言った時に放棄されているのは、
社会的承認としてのそれなのであろう。
誤解を恐れずに換言すれば、
「オレはオレで、それだけでいいじゃないか」
という事になろうが、
ここで定義付けの弱さが特に露呈する。
社会に存在証明を求めないにしても、
デカルト以来の古めかしき言葉、
「我思うゆえに我あり」が立ち現れて来る。
つまり、社会によらなくとも、
自分が自分をアイデンティファイしている以上、
アイデンティティ」は放棄されてなどいない。


アイデンティティ」というのは
近代的自我以降に現れたものである。
近代的自我、すなわち、
同一性と連続性と主体性のある自我の事である。
これが確立されたのは実はそう古い事ではない。
「我思う故に我あり」と言ったデカルト以降、
少しずつ強化されていった観念であり、
実のところそれは必ずしも自明でもない。
近代哲学においてもD・ヒュームなどは、
自我の同一性を一切認めず、
そうした存在は虚構であると断ずる。
彼によれば知覚と記憶と想像の結果として、
自我の同一性が“想定”され、
我々はそれを“信じて”生きているのに過ぎない。


所謂『想像の共同体』以降、
国家や民族の自明性というのは確かに揺らいでいる。
そうしたものは確かに曖昧で、
蜃気楼の様に実体の無いものに見える。
だが、そうした議論は往々にして、
事物を研究する際に設定する理論や仮説を、
 具体的事実そのものと誤認する」という
K・ポパーが方法論的本質主義と呼んだものに陥り易い。
さらに言えば、実体論的には証明できなくとも、
我々は現にそれが機能している事を目の当たりにしている。
それは「私」という存在にすら言える事だろう。


自我への信仰が膾炙された現代において、
必ずしもアイデンティファイは
内部からではなく外部からの要請による場合がある。
たとえば、彼の人の存在が昨日と明日とで違うのでは、
契約などを交わしたりする事が出来ない。
「私」が「私」であると意識していない時も、
「私」が「私」であると認識されてしまう。
この段階において、もはや、
内部から要請されたアイデンティファイと
外部から要請されたアイデンティファイとを
はっきり区別する事は難しい。
「私」とは必ずしも「私」のみよって
成り立っている訳では無いのである。

●「もの」と「こと」の方法論試論

存在するものを想定することは、思考し推論しうるために必要である。論理学は恒常不変のものにあてはまる公式のみを取り扱うからである。このゆえに、こうした想定は実在性を証明する力をまだもってはいない。すなわち、「存在するもの」は私たちの光学に属する。存在するものとしての「自我」(――生成や発展によって触れられることがない)。主観、実体、「理性」などという虚構された世界は必要である――、すなわち、秩序付け、単純化し、偽造し、人為的に分離する権力が私たちの内にはあるのである。「真理」とは、多種多様の感覚を支配しようとの意志に他ならない、――かくして諸現象は一定の範疇にもとづいて配列される。そのさい私たちは事物の「それ自体」を信ずるところから出発する(私たちは諸現象を現実的なものとみなす)。定式化されがたいものとしての、「偽」としての、「自己矛盾する」ものとしての生成の世界の性格。認識と生成とは互いに排除しあう。その結果認識は何か別のものとならなければならない。すなわち、認識しうるものたらしめようとする一つの意志が先行していなければならない、一種の生成自身が存在するものという迷妄をつくりあげなければならないのである。


F・ニーチェ 『権力への意志』 理想社


「白馬非馬」という公孫竜の有名な言葉がある。
これは「こと」と「もの」の悪質な混在であり、
差し詰め古代中国版ソフィストと言ったところか。


  白とは色の概念であり、
  馬とは動物の概念である。
  であるからこの二つが結びついた
  白馬と言う概念は馬と言う概念とは異なる*1


これはつまり、「白」と「馬」は
それぞれ「もの」(概念)であるが、
「白馬」と言った時、「白」は「もの」でなく、
「馬」という「もの」に対する判断、
つまり、「こと」になっているのである。


普遍的な「もの」と特殊な「こと」との間で、
我々は思考の運動を為す。
そこにおける多様性とは手段や目的、
ましてや理想などではなく、
正に現実そのものに他ならない。
即ち現実という存在する「もの」の解釈が
多様性という「こと」なのである。
「もの」それ自体は実証不可能であっても、
現実に対して理念は「こと」の領域に止まる。


ところが気の早い不可知論者は
「もの」と「こと」を峻別しないままに判断してしまっている。
理念その「もの」においても
個々の現実に当てはめる際には
手段という「こと」の領域に収まるのであって、
その合理性を問う事は可能であるし、
「こと」同士の比較もまた可能である。
不可知論は「もの」に対しては単純にあてはまるが、
「こと」に関してはその個別において妥当性を問いうる。
不可知論においてすら「こと」の判断における
検証や反省を逃れる事は出来ない。


中立性と多様性がしばしば混在されるのは、
この「もの」と「こと」が絡み合うからだ。
現実その「もの」から解釈を直接引くのは困難であり、
あらかじめ何かしらの理念や
問題意識(直観)に沿って行われる。
したがって合理性は「こと」に対する
「こと」に対して問われる。
この実際の個別判断である所の
二次的な「こと」に対するのが中立性であり、
理念としての一次的な「こと」に対する
並存や寛容が多様性なのである。


ニーチェが『権力への意志』において喝破した様に
「学問とは数学と解釈」であり、
「事実なるものはなく解釈のみ」ではある。
しかし、事実そのものではない解釈であっても
明晰性を持たせる事は可能であり、
その努力を怠るのは単なる知的怠慢に過ぎない。
我輩が「もと」と「こと」で
三段階に分ける方法論を掲示したのは、
ある種の批判がその判断自体に対してではなく、
その判断の方法や立場に向けられる、
あるいはそういう風に看做される事が多いからだ。


そうした議論において
「もの」に対する「想定」に過ぎない
方法や直感といった立場(足場)は、
往々にして絶対的になりやすい。
だからと言って、我々は想定なしに
いかなる存在も認識する事は叶わない。
それ故に何かしらの立場を取る事自体は
是非の対象にすべきではないのだろう。
しかし、個別具体的な判断や、その行為、
影響は合理的に比較する事が可能なのであるから、
その比較判断する姿勢は堅持されなければならない。
議論の有効性に関しても
個別に当てはめる際にはその合理性は問いうる。
裏を返せば概念そのものの是非を問うのは難しい。
要するに右翼だからどうこう、
左翼だからどうのこうの言っても仕方が無いのである。


かつて松本健一氏は、
右翼思想に内在的にアプローチしているが、
ミイラとりがミイラになる危険があるのではないか
とある評論家に言われたそうだ。
それに対して松本氏はそうした批判者は
他者の言論や精神をマルクス主義など外にある
他の思想によって別の思想を批判する外在的批評を旨としている、
だから批判者はすこしも傷をおわないのだと言い返しておられる。
言葉や対象は違うが福田恒存氏は
進歩主義に端的に表れていた
外在的批評の気軽さを「自己抹殺病」と呼び、
それはあらゆることがらから、
 自分自身の存在そのものからさへ、
 自分を抜き取ってものを考へるばかりでなく、
 さうしてはじめて公正なる判断に到達しえた
 といふ安心感をえる風習
と評しておられた。
要するに無関係性と中立性は異なるのである。

●今日における倫理の困難さ

問題は今やヨーロッパにモラルが存在しないということである。それは、大衆人が新しく登場したモラルを尊重し、旧来のモラルを軽視しているというのではなく、大衆人の生の中心的な願望がいかなるモラルにも束縛されずに生きることにあるということなのである。諸君は若者たちが「新しいモラル」を口にする時はそのいかなる言葉も絶対に信じてはならない。わたしは、今日このヨーロッパ大陸のいずこにも、一つのモラルの外観を示している新しいエトスをもった集団は存在しないと断言する。人々が「新しい」モラルを口にする時、それは一つの不道徳行為を犯しているのに他ならないのであり、彼らは、密輸入のための最も容易な方法を探しているのである。


オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ちくま学芸文庫


倫理とはその本質から言って、
集団から個人への一方的命令であって論理ではない。
したがって、個人から個人へ発したり、
合理的に論ずる事は困難を極める。
倫理は私においてはそれに従い、
他に対してはそれを問い掛けるという形を取る。
ところが今日跋扈しておるのは、
倫理的脅迫とでも呼ぶべきものであり、
そのようなものはもはや倫理とは言い難い。
それは倫理というよりは単に権利の主張であり、
オルテガの言う、権利はあっても
義務があるなど考えもしない「大衆」の姿を髣髴とさせる。


この種の人間はもはや正当化も説得力も欲しないだろう。
ちょびひげ伍長よろしく彼は
ただ断固として己の意見を強制させるだけだ。
決断主義なる不愉快な言葉が一時局地的に流行ったが、
何の事は無い、単に野蛮と呼べばよい。
一切の説得もせず抗議も受け付けぬ輩の戯言に、
世人はどうしてかくも微温的に付き合っていられるのか。
情状酌量、動機を理解する事が
寛容だと思い込んでいる節があるようだが、
心情などそれこそあってないようなものだ。
行為や結果のみで判断するに如くは無いではないか。


たとえば、今回の発端となったブログにしてもそうだが、
甘やかされなかった事を逆恨みしているだけではないか。
あくまでもそれは個人の領域の事なのであって、
そこにアイデンティティやらなんやら持ち込んでも、
ややこしくさせるだけだ。
後付の言い訳などそれがどうしたという話に過ぎない。
社会的規範に関して云々しながら、
個人の後ろめたさや良心を盾にして
その規範から逃れようとするなど言語道断であろう。


さらに不愉快な事に今回の件に関して古澤克大氏は
いつもの「非モテ」ネタとして昇華しておられるが、
我輩は氏に強く「常識に還れ」と言いたい。

F-1レースはあるレギュレーションに沿ったフォーミュラーカーを用いて、進路妨害等をしないといった規定を遵守しながらよりよい成績を残すべく闘うレースである。しかし、そもそもレースに参加できない、ないしレースに参加しても敗北が決定しているプレイヤーにとってはこのようなルールに従う義理はない。つまりそもそもそのルールで勝てないと判断されるプレイヤーにとっては戦車で殴りこんでも一向に不利益はない。


中略


現実としては19世紀末から20世紀前半の労働者は様々な争議を起こし、資本主義のルールをねじ曲げてその利益を勝ちとっていった。この著者に言わせればこのような行動に対しても「戦ってる人間の邪魔をするな。」と言えるのだろうか。この19世紀末から20世紀前半の労働運動と同様に、我々非モテが既存のルールをねじ曲げ勝者からパイを奪いとることは悪ではない。これを悪と断罪するのは現行のルールで利益を得ている者である。しかし、その言葉は悪を示しているのではなく、自らにとって害になるということを示しているに過ぎない。つまり、これは闘争状態を示しているに過ぎず、我々は一点の道徳的瑕疵もなければ、自らの利益に基づき行動することを実力以外を以って害される理由もない。


引用:http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20071112/1194859019


「F-1に戦車」などというナンセンスな譬え話を用いておられるが、
そもそもルールなきところに勝負など成り立たないではないか。
たとえば、ボクシングでルールがなくなってしまえば、
それは単なる殺し合いに過ぎない。
こういった古澤氏の思想は危険であると同時に
酷く慢心しきったお坊ちゃん的な発想である。
規則は確かに我々が他人を害するの律してはいるが、
同時に他人から害される事も律している。
その規律が無くなった時、
どうして自己が害されないと言い切れる。
こうしたルールそのものを壊そうとした時、
ジェノサイドとホロコーストは我らの前に顕現するであろう。
その矛先が誰に向くかなど誰にも分かりはしない。
誰だって加害者になりうるし、被害者になりうる。
ホームレスをただ汚いという理由だけで、
火炙りにしようとした高校生が居たが、
発端となった意見や古澤氏の意見はそれに近い。
自分にとって醜いもの、不都合なものを、
ねこぎ取り除こうとする心性である。
世人はそれを「全体主義」と呼ぶ。


非モテの闘争、決断主義恋愛至上主義の打倒、
差別を無くせ、出産の事を書く事の是非云々、
こういう小賢しい屁理屈と固定観念が跋扈して、
昨今は常識と現実に対する想像力が失われている。
現実を変えようなどと思ってはいけないのだ。
我々は常に現実に従って生きてきたのである。
「常識」とは現実に教わる態度に他ならない。
ボクシングがそのルールによってボクシング足るように、
我々もまた曖昧な可能性などではなく、
我々を制約し、制限するものに生かされている。
そうした制約をマイナスとみなして、
それをゼロに近づけていけばプラスと思うのは間違いだ。
単にマイナスがゼロになっただけの事である。
これは幸福と不幸についても言える事ではないだろうか。
全ての不幸を無くそうと躍起になるばかりに、
自分がすでに持っていた幸福までも
見失ってしまっているのではないか。
そういう危惧を我輩などは抱くのである。

*1:ウィキペディア「公孫竜」から引用

「決断主義」なるものの再検討(5)

◎追記

思いのほか長文になってしまったので、
読み易いように二種類の小見出しを使い、
小題を目次風に記しておく。


◎前書――「傷口に劇薬を。」
◎現代における精神の様相
 ●「Anti-intellectualism」
 ●「教養」の困難さ
 ●「文化」と「様式」
◎「倫理」の意味と本質
 ●「制度言語」と倫理
 ●同調圧力と倫理
 ●共同体と倫理
◎現代の精神の病症
 ●コップの中の嵐と安楽への逃避
 ●あれもこれも
 ●馬鹿は死ななきゃ治らない
◎筆のすさび――「箸」と「筆」


◎前書――「傷口に劇薬を。」

この続き物の論考もこれで終りにしようと思う。
番号を振っているもののほか、
その前の2本のエントリから内容的に続いていると言えるので、
これで7本目のエントリとなる。
まとめ的に概略を記しても良かったが、
7本通しで読んでいるのは少数であろうから、
まとめと言うよりも補遺的な内容を記したい。
もちろん七本とも問題意識や認識自体には変わりは無く、
単に論じている対象が異なるだけに過ぎない。


事象の上っ面だけを眺めていても仕方が無い。
仮面を被っていようが素顔というのはある。
尻尾の無い蛇などは存在しない。
頭だけを見つめてその先にあるものを見ないなど、
そんなもの見たとは言えないであろう。
歴史性、伝統、文化、そうしたものというのは、
個々において見出しうるものではない。
我々は個々の断片の如きものではなく、
「連関」や「堆積」、「流れ」といったものを、
歴史や思想に見出すべきなのである。


ところで、「何を言っているのか分からない」
というようなコメントを頂いているが、
誤解を恐れずに言えば理解する必要性はまったく無い。
「理解」とは他者を自己の内に包摂する。
この種の同化は必ず反撥としての異化を伴う。
他者があるいは自己自身がそれを拒絶する。
考えること、思うことというのは、
必ずしも「理解」には向かわないのである。
精神や思想というものは内発性に根差した営為である以上、
(――前のエントリで引用した荷風の言葉にあるように)
知識の欲求なきところに受け入れたところで何の意味も無い。
思想の端緒にはまず直観的な問題意識があり、
問題を引き起こすものを思索し、混乱の本質を掴もうとする。
それは単純な疑問や好奇心より発せられたものに過ぎない。
自分にとって何が重要で、何が重要でないのか、
思索するもの自身が自ら問いかけねばならないだろう。


先走った問題意識や解決策は所詮一時的な気休めに過ぎない。
空想に空想が重なりやがて問題そのものが閑却されて、
混乱の上に混乱が重なるといった事態に陥る。
解決し得ない問題、沈黙を選ばざる得ない命題、
そういうものが存在するに至ったとき、
自らの内に受け止めざるを得ないだろう。
己の及ばぬところに至ること、
解き得ない問題に突き当たること、
つまりは分かることと分からないこと、
そうしたことこそがその人の本質なのである。
そういう意味で個人主義の根本的な錯誤は
理解し得ない部分を認めなかった点にあったと言えよう。
そうした錯誤を代償に人間の認識を限界にまで押し広げ、
数々の発見を齎した、そういう意味では評価しうるだろう。
もっとも、その世界の無限の広がりの内に、
主体性も体系も雲散霧消してしまったのではあるが。


世の中には傷口に包帯を巻くように、
優しく手を差し伸べてくれる人が居るようであるから*1
そうした救いの手すら掴もうとしない者に対して、
我輩はその傷口に劇薬を塗りたくることにした。
「やさしさ」というのは「理解」ではないし、
「理解」することに「やさしさ」は伴われない。
したがって、これより先の一切の記述は、
薬にも処方箋にもならないものだ。
不安の解消にはならぬだろうし、
生き辛さが和らぐといったこともない。
さらには教えられることすらもない。
各人がそれぞれ避けるなり、撥ね返すなり、
受け止めるなり、考えるなりしかない。
結局、「理解」はそれぞれにおいてなされなければならず、
それを他人や集団に委ねてはならないからだ。
己の影を辿っていけば自ずと自らの足に達する。
そうして我らは自分が止まっているのか、
前に進んでいるのか、後退しているのかを知るだろう。


◎現代における精神の様相

●「Anti-intellectualism」

「右傾化」だの「保守化」だの
そういう安直で不愉快な言葉が未だに用いられているが、
少なくとも我輩の知る限り80年代から言われ続けている。
思えば「改革」だとかそういう威勢の良い言葉も
80年代から延々繰り返されてきた。
むしろそういう明確な対立軸の不在や、
精神的に未熟な者たちが技術の進展によって
知的世界に広く参与してきたことが
根本的な原因なのではないだろうか。


つまりはホイジンガオルテガが危惧し、
警鐘を鳴らした20世紀前半の欧州における
「大衆」たちの「小児病」的「精神」に類似しているのではないか。
たとえば、「決断主義」などというものは、
かつてのファシズムの陳腐極まりない「英雄主義」が、
ただ外面や意匠を変えたのに過ぎない。
その古色蒼然たる様相にもかかわらず、
あたかも新しいもののように歩き回っているのは、
それこそまるでゾンビや亡霊のようにすら思える。
決断主義」なる言葉を用いた批評家にせよ、
その名を冠せられし作品群の登場人物にせよ、
その批評家の言葉に踊らされ、
あるいは自ら踊り狂う者たちの幼稚さは、
その外見の仰々しさに反して実に凡庸なものだ。


  神よ、変えることのできるものについて、
  それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
  変えることのできないものについては、
  それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
  そして、変えることのできるものと、
  変えることのできないものとを、
  識別する知恵を与えたまえ。*2


神学者ニーバーの詩はよく引用されるが、
「保守」と「変革」が錯乱している現状において、
我々は変えるべき事柄について考えるよりは、
我々は“何を変えよう”とし、
そして“何を変えるべきでない”としたのか、
あるいは何を変えようとして“変えられなかった”のか、
それについて今一度顧みるべきであろう。
我々が何を目指して現在に至ったかを知らねば、
これから起こり得る事を理解する事も出来ないであろうから。


そもそもキリスト教徒でもない身で
こういう言葉だけありがたく受け取るのは
我が国の思想態度を端的に示している。
つまり、「呪(まじな)い」なのである。
あるいは「言霊」でもよかろうか。
ニーバーの祈りは我々の無関心をよそにこう続く。


  いっときに、一日だけを生き
  いっときに、一瞬だけを喜ぶ。
  苦しみも平和へ続く道として受け入れ
  エスの如く、この罪深い世界をあるがままに理解して後悔せず
  主の意志に身をゆだねれば、
  すべてをあるべき姿にしてくれると信じて
  そして、現世では適度の幸福を
  来世では、主と共に至高の幸福を感じることができるように。
  アーメン


一体我々の内の何人が彼の祈りの切実さを理解できようか。


切込隊長BLOG(ブログ)〜不滅の俺様キングダム〜』
山本一郎氏が『巨船ベラス・レトラス』の
優れた書評を書いておられた。*3
『巨船ベラス・レトラス』自体を読んでいないので、
ここで詳らかに立ち入らない。
魏武の詩にある「烈士暮年 壮心不巳」の如く、
作者筒井康隆氏の志というのは変わっていないだろう
と楽観的に(ある意味では悲観的に)見ているからだ。
ここでは小題にあるように山本氏も軽く触れておられる
「Anti-intellectualism」について述べたい。

  筒井氏が業界の成熟と共にあったことに対する考察の一切は
  「哲学」に類するものであると思う。
  1952年のアメリカ大統領選挙みたいなものだ。
  「知性」と「俗物」の対立の上で反知性主義が沸き起こる中で
  置き去りにされたものは知性を支える知識や教養とは
  そもどのようなものであったのかという規定である。
  筒井康隆氏がやろうとしていることは、
  自身を小説に出陣させることではなく、
  より体系的な知識や教養を構築するための哲学を
  適切な形で表現することのようであって、
  そうしようと思ってできないのか、
  できるけど何か面倒があってやらないのか
  よう分からん状況になっている。


ここでいう1952年のアメリカ大統領選挙の概観*4というのは、
1932年以降、野に甘んじてきた共和党が、
民主党政権の行き詰まりに乗じて、
政権を奪取しようとしていた状況下の出来事だ。
共和党はミスター・リパブリカンとよばれた
最も共和党候補らしいロバート・タフト上院議員*5ではなく、
アメリカ的な立身苦学出世の典型であり、
平均的アメリカ人を代表し「アイク」の名で愛された
ドワイト・アイゼンハワー陸軍元帥を指名した。
一方で民主党は知的な、それこそ
知識人が政権に多数参与したニュー・ディール的な*6
アドレイ・スティーブンソン(イリノイ州前知事)指名する。


朝鮮での戦争は38度線を一進一退する膠着状態に陥り、
49年には国民党が台湾に離脱し中国を喪失した。
中欧地域が「東欧」*7として瞬く間に共産圏に飲み込まれ、
自分達の正義を疑わぬ“良心的な”アメリカ国民は、
その原因を、不安の克服を求めていた。
こうした混乱の最中の選挙戦において、
共和党はニュー・ディール以来の
民主党の主流をなすリベラル派と知識人の結び付きを捉えて、
ニュー・ディールの「しのびよる社会主義」から
中国の「喪失」にいたる「諸悪の根源」を知識人に求め、
知識人を「egg‐head」と呼んで嘲笑し、
ティーブンソンをその象徴として攻撃したのである。
この混乱は狂信的反共主義マッカーシズムの素地となり、
またマッカーシズム自体がその一つの頂点として噴出した。
これがアメリカ史における「Anti-intellectualism」の一例である。


「Anti-intellectualism」を訳すのは難しく、
文脈に応じて使い分けるほかなさそうだ。
翻訳語としては「反知性主義
「反主知主義」「反知識人主義」などがあげられる。
主知主義」というのは知性に重点を置く哲学上の一派だが、
知性に重点置こうが置くまいが、
人間は間違えるし、正さねば容易にドグマと化す。
そういう文脈で「反主知主義」を批判しても意味が無いだろう。
以前の論考で引用したニーチェが言うように、
存在を想定するもののそれを証明する術は存在せず、
事物それ自体があらかじめ存在するかのような
迷妄を信じているのに他ならないからだ*8
「全てを破壊する」*9と恐れられたカント以降、
形而上学は死に体も同然であり、
「ものはただそこにある」*10のである。


概念としての「Anti-intellectualism」というのは
定義が難しく捉えどころがはっきりしないが、
現象としてのそれは比較的鮮明であるように思われる。
たとえば、昨今「右傾化」などと呼ばれたりする
ネット上での極端な言説の数々は、
「Anti-intellectualism」と評するのが的確であろう。
というのも、必ずしも左翼ばかりでなく、
右翼の知識人や政治家もバッシングの対象となっているからだ。
池田信夫氏はいわゆる「ネット右翼」が
朝日新聞を攻撃する理由は政治的な保守主義ではなく、
知的エスタブリッシュメントへの反発なのだ*11
と述べておられるが我輩も同意見である。


かつてホイジンガはブルクハルトを批判するにあたって、
  現代の文化史にとっては
  ブルクハルトの偉大さをできるだけ傷つけずに
  また我々が捧げる感謝の念を減らすことなく、
  ブルクハルトから袂を分かつことが
  多くの観点からの課題となっている
と述べている*12
この種の先達への敬意というものが、
昨今の物書きはプロアマを問わず欠けているのではないだろうか。
彼らは叩くために読むか、あるいは、
彼らの卑小な理論を補強するために物を読んでいる。


たとえば『マンガ 嫌韓流』や『マンガ 中国入門』などは、
多くの有名無名の研究者達の地道な研究成果を
断片的に反映しているにもかかわらず、
まとまった参考文献表すら作っていない。
『マンガ 中国入門』はジョージ秋山氏が書いたせいか、
人肉食風俗の話が頻出されるが、
あれの種本は間違いなく京都帝大の教授で
支那*13の大家であられた
桑原隲蔵先生の論文である*14
読めば分かると思うが極々普通の研究論文に過ぎない。
なお、青空文庫で読めるので脚注にリンクを張って置いたが、
漢文の知識がないと少々読みにくいかもしれない。

●「教養」の困難さ

「教養」とはそもそも何であろうか。
言葉の意味というものは往々にして
地域や歴史的背景抜きには語りえぬものである。
例えば、「教養」に当たる西洋語はいくつかある。
英語であれば主に「Education」や「Liberal Arts」、
「Culture」(ドイツ語では「Kultur」)、
ドイツ語の場合は主に「Buildung」がそれに当たる。
言葉の成り立ちから考えると「Culture」は文化で、
Liberal Arts」は自由人に相応しい学問となり、
「Buildung」は人格形成とでも言えるであろうか。
なお、ゲルマン語系の「Culture」(修養・教養・文化)は、
言葉として「Cult」(私淑・崇拝・礼拝)に通じ、
「Cult-Lore」(宗教上の学識・教訓・伝説)に連なる*15
英語の「Fiction」(虚構・想像・仮説)は、
成り立ちから言って「fic<つくる>‐tion<もの>」であり、
おそらく「文化」というものは「Fiction」
――この「つくられたもの」を信じるということにあり、
その精神を定め陶冶するのが「教養」というものなのだろう。


呉智英氏によれば「教養」とは「教育の素養」略であり、
また「Building」の翻訳語であり、
つまりは輸入された西洋的概念であると指摘している*16
近代的パラダイムに規定された「“近代的”教養」は、
その規定に遵って知識の有用性を定める。
たわいもないテレビや漫画に描かれる人間像が、
実のところその近代的枠組みから一歩も逸脱しておらず、
実のところ教養の危機や断絶は存在しない。
それどころか、教養はまさに実現されており、
だからこそ教養人は不要になりつつあるのだ。
ただし、その教養は水ましされた生ぬるい教養なのであり、
大衆社会は言わばプチ教養人が跋扈する社会なのである、
と呉氏は彼特有の皮肉交じりに述べている。
現在ではもはや他に訴求する力を持たないような
矮小な知識で満足した似非教養人が跋扈している。
彼らは意見を述べこそすれ説得しようなどと思っていない。
彼らは彼らの取るに足らない意見を押し通すだけだ。
このような現状において、
80年代末の呉氏のシニックな教養論は
正鵠を得ていたと言えよう。


呉氏は近代的パラダイムに規定され、
有用性を公認された「近代的教養」という謂をしているが、
これは極めて示唆に富んだ直観であるように思う。
というのも、ヨーロッパの精神史を紐解いたとき、
我々が伝統的であると思い込んでいた西洋の教養などが、
必ずしもその時代において主流をなしていなかったからだ。
我輩がここで述べる一つの仮説とは、
ヨーロッパの精神は近代によって想像され、
その古代、中世、近代の流れにおいて、
不可思議な断絶と連関を見ることである。
たとえばラテン語ギリシア語、
あるいは古代ローマの後裔といった部分だ。


ルネサンスレオナルド・ダ・ヴィンチは、
今日では科学の源流であるとか、
万学の人であるとか、教養人の典型と見なされるが、
おそらく当時において彼はそうは見られなかっただろう。
と言うのも、ユマニスム(ヒューマニズム)、
つまり人文学の全盛期に生きていたにも関わらず、
彼はラテン語ギリシア語をほとんど解していなかった。
当時、教養人としての「求められるべき素養」を
レオナルドはほとんど持っていなかったのである。
これは同時代人で官僚であり文人であった、
ニッコロ・マキアヴェッリについても言えることで、
彼はラテン語を解したがギリシア語を解していなかった。
彼は名文家ではあったがとりたて教養があったのではない。
彼がもしギリシア語を解していたならば、
彼の『ディスコルシ』*17は『ローマ史』のリヴィウスではなく、
『戦史』のトゥキディデスを取り上げることが
彼の思想からすると自然であっただろう。


ここで何を言いたいかと言うと、
ヨーロッパはヨーロッパが考えているほど、
古代ローマギリシアの遺産を相続していないという事実である。
ルネサンスの古典主義以前において、
ヨーロッパはまったくのラテン語文化圏であった。
それは最大の教父であったアウグスティヌス(5世紀)が
ギリシア語をまったく解しなかったことからも明らかであろう*18
さらにはルター以前において聖書とは
もっぱらラテン語訳の『ウルガータ』だったのであり、
ギリシア語で書かれた聖書の原典は縁遠いものであった*19
一般にキリスト教聖典の宗教と呼ぶが、
実のところルター以前において聖書は
さほど重要ではなかったのである。


5世紀からルネサンスに至る14世紀に亘る
長い長い空白期間においてギリシアの遺産を
一体誰が守ってきたのか。
それは皮肉なことに今日では主流から外れた
とみなされるビザンツイスラム圏である。
イタリアで華開いた所謂ルネサンスの根本には
スペインのトレドを中心とした「12世紀ルネサンス」なり
欧州の長期間に亘る漸進と蓄積が広く横たわっている。
たとえばその頃に発明された「複式簿記」は
ヴェネチア式などとも言われるが、
ヴェネチア商人たちと交流のあったイスラム商人由来であり、
さらに言えばイスラム商人と交流のあった
インド人にルーツ(元ネタ)を持っている。
同様に支那起源の紙や火薬の類もこのルートを辿る。


物以上に錯綜複雑を極めるのが哲学である。
古代ギリシアの哲学といえば、
我々はソクラテスプラトン
アリストテレスなどを思い浮かべる訳だが、
実のところこれらは当時の主流からは外れている。
古代ローマにおいて主流だったのは、
ゼノンを始祖とするストア派であり、
権力者であり文人であったキケロ
マルクス・アウレリウスアントニウスら、
名立たる頂点の時代の知識人たちは皆その影響下にあった。
プラトンキリスト教神学者
理論補強に引っ張り出されてきたのに過ぎない。
それは「万学の祖」アリストテレスなどにも言える*20


キリスト教とは無関係に見える西洋諸思想は、
元より神学によって再構築(分離‐結合‐構築)
されたものであることを忘れてはならないだろう。
極端な話、西欧における哲学、思想が、
キリスト教神学の影響を脱したのは、
せいぜい20世紀に入ってからであり、
それでも完全にとはいかなかったのである。
たとえば、「科学」であるが、
初期における近代科学の思想には、
明確にキリスト教神学の影響が見受けられる。
「万物に理性が宿る」と見たヘーゲルなどに至っては、
科学法則を「神の意志」と解していたようだ。
他にもニュートン錬金術師であったし、
ガリレオは敬虔にして従順なキリスト教徒であり、
コペルニクスに至ってはカトリックの司祭であった。
つまり、我々が考えているほど科学は異端ではなかったのである。


さらに「哲学史」というジャンルがあるが、
これに至ってはせいぜい200年ほどの歴史しかない。
これを始めたのは先のヘーゲルシェリングなど、
いわゆるドイツ観念論の哲学者たちだ。
彼らは古代から近代に至るまでの哲学を、
近代的パラダイムをもって規定し再構築したのである。
「自由」なり「平等」なりのイデオロギーをもって、
時空を超えた一貫性を創り出した。
そういう意味でヘーゲル以降の哲学史家は、
「百科全書派」的様相を呈しているのである。
だからこそ、その一貫性を見ようと思ったら、
その「流れ」が拾い上げたものだけではなく、
取り零したものについて探求すべきなのだ。
たとえば北イタリアの古代に起源を持つと思われる豊穣信仰が、
中世に異端として排斥される過程を描いた
カルロ・ギンズブルグの『ベナンダンティ』は、
そうした掌より失せたる砂の小さな一粒の発見であろう*21


少々話が脱線してしまった、
一般的な「教養」の話に戻りたい。


ここで「教養」の我輩なりの定義を述べたい。
それは「役に立たないもの」ものである。
近代以前の社会においては、
例えば漢籍が必須であったように、
求められている素養が、
つまり「教養」の中身がはっきりしていたと言える。
現代に翻ってみると、良かれ悪しかれ
そのような求められるはっきりした素養がない。
「教養」は益々社会から乖離して、
曖昧な存在にならざるをえなかった。
だからこそあえて我輩はそれを自分の専門以外の
役に立たない知識、素養であると考える。
商品化できず、有用性も無く、
また消費(使用)する事もできないもの、
つまり、徹頭徹尾役に立たないもの。
だからこそ、ただ自分のためだけにある事が出来る。
これは学問などでも言えることだろう。


我々が在る事、為す事について考えれば、
無慈悲なまでに無意味なので不安に襲われるのだが、
人間など意味や目的も無く生まれてくるのであって、
生きる事に意味や目的などはありはしない。
だからこそ、生きていくには自分で目的を立て、
それに向かって絶えず選択していかなければならない。
それこそが自由と呼ばれる状態なのであり、
それゆえに自由な状態は不安な状態でもある。
「個人」の裏側に「孤独」が潜んでいるように、
「自由」と背中合わせにあるのは「不安」なのだ。
その不安の中で生きていくには、
絶えず自ら選択し、目的を立て、意味付けし、
疑問を持ったりする訳なのだが、
そうしたものは自分の内より生じさせていくしかない。
自己の内を埋め、かといって外に流れ出ることの無いもの、
空虚さから人間を救ってくれるもの、
それこそが我輩の考える「教養」なのである。


しかし、この種の高尚さの無い「教養」というのは、
極論すれば「趣味」と大差が無いのではないか。
自らに用いることすらできないという点で、
「趣味」と区別することも出来るだろうが、
所詮、その程度の違いに過ぎない。
つまり、我が国において知識人とは、
所詮趣味人の延長にあるものに過ぎないのではないか。
仮に大衆がそれを高尚と評したときでさえ、
それは必ずしも褒め言葉を意味しない。
時にそれは自分達に無関係という意味で
実のところ無視しているのである。
専門分化した学問の姿を「蛸壺化」している
と評したのは丸山真男であるが、
今日「おたく」だろうが何だろうが、
断片的で統合する体系などはなく、
散漫な集合体に成り下がっている。


所詮我が国の知識人の思想などは
意匠が豪奢であろうが、なかろうが、
それを弄んでいることには変わらず、
知的スノビズムに堕さざるを得なかった。
かつての俗流マルキストを思い起こせばいい。
彼らにはマルクスその人の思想などはなく
あったのはその影響だけである。
マルクスその人の孤独な戦い(思索)を無視して、
その結果だけを抜き取ってしまう。
彼らはマルクスの息遣いを感じ取ることもしないし、
マルクスその人が持っていた緊張感も持ち合わせてはいない。
マルクスその人は居ても居なくてもよい。
あるのは道具としてのマルクス主義だけである。
つまり、マルクス主義自体が物化、あるいは
マルクス主義用語で言えば物神化したと言えようか。
要するに彼らは知的フェティシストなのである。

●「文化」と「様式」

95年、96年のベストセラーに『トンデモ本の世界』という本がある。
UFOやオカルト、ユダヤの陰謀といった
トンデモない本ばかり次々と紹介している本だ。
実に楽しく読める。
が、ここに出ている本を実際に読んでみると、
単なるくだらない本の場合が多い。
本当におもしろいのは「トンデモ本」ではなく、
それを紹介する人間の視点なのだ。


「何がどうおもしろいのか、語ること」
の重要性がここにある。  


オタク文化の頂点に立つのは教養ある鑑賞者であり、
厳しい批評家であり、パトロンである存在だ。
それは作品に美を発見する「粋の眼」と、
職人の技巧を評価できる「匠の眼」と、
作品の社会的位置を把握する「通の眼」を持っている、
究極の「粋人」でなくてはならない。


オタク学入門』 岡田斗司夫


オタキング」こと岡田斗司夫氏は
「オタク」は日本文化の正当継承者であり、
オタク文化」の頂点は鑑賞者であると絶叫する。
彼の発言は一面では偏見や抑圧の打破という
啓蒙家や煽動家としての側面を持つから、
誇張であるという批判も生じるであろう。
ここで彼の言う「オタク文化」の素晴らしさ云々を
肯定的にも否定的にもとやかく述べる積もりは無い。
それが無条件に素晴らしいものだとは我輩自身思わない。
だからと言って、貶めるつもりもまったくない。
そもそも文化ほど評価が難しいものはないからだ。


まず、「文化」とは何か。
それについて述べなければならない。
これはあらゆる文化論の前提として必要である。
なぜならこの定義が無ければ、
各論としての文化が、総論として、
一体何を意味するのか理解出来ないからだ。
観念の全体という枠組みを示さなければ、
個別の観念はただぶつかり合うだけである。
つまり、ある特定の何かを示したところで、
全体の何かを証明出来ない、
あるいは証明したとは言えないという事だ。
それは見取り図のようなものであり、
もちろん全体そのものではない。
しかし、把握を一層容易にするという点では、
見る対象と見えざる対象とを明示する必要がある。
全体とはその両方を包括するものだ。

T・S・エリオットは「文化の定義のための覚書」の中で、
『文化とは、たんに幾種かの人間活動の総計ではなく、
ひとつの生き方である』という簡明な定義を下している。
これは目にみえる形のあるものや、
われわれ自身の外部に対象化しうるものを
文化とよぶことはできないというほどの意味である。


文化財」という言葉がこのことを一番はっきり示している。
それは「財」であり、形のあるものだ。
だから、技術や芸のないものには、
わざわざ「無形文化財」と名づけた側にはそういう意識は全くない。
無形文化財」も有形の一変種とみなされているにすぎない。
つまり、それも保護すべき業績であり、客観的な対象であり、
私たちの外部にあって、私たちが観察・観賞できるものである。


T・S・エリオットは、さらに
『文化とはわれわれが意識的にそれを
目的とすることのできない唯一のものである』
という別の定義も下しているが、
これは文化という概念の本質を言い当てた言葉だ。
文化とは、その中にくらしているものには
必ずしも意識化されていないが、
社会生活全般にしみわたっている
「生き方」の様式のようなものである。
社会や国家が、有機体としての統一をたもっているときの、
一定の生の様式である。
とすれば、文化とはあらかじめ計量したり
目的化したりできないものであって、
標識や見取図をかかげて文化が目標化されたときは、
もはや文化が存在しないときである。


『反近代の思想』所収の福田恒存の解説より


先の岡田氏の意見が「眼」という比喩に
端的に表れているように外在的である。
一方、エリオットと福田の意見は
極めて内在的な文化論で、
この種の考え方を全体論(ホーリズム)という。
念の為に記すが優劣を問うているのではなく、
見方の違いを指摘しているのに過ぎない。
良い点を得ようと思ったら、
その悪い点も受け入れざるを得ないのである。
時としてその悪い点が、その見方の限界こそが、
逆説的にその見方を特徴付けてすらいる。


たとえば岡田氏の「オタクは死んだ」という発言*22
あれは彼自身に対する絶望の叫び(ポーズに過ぎないが)でもある。
それは今一度出口の無い地獄へ舞い戻ろうする
庵野秀明氏についても言えることであるが、
駆け抜けた果てに自分の周りに誰もおらず、
周囲を見渡せば廃墟であったという
一種の敗北感や虚無感が漂っている。
彼らの西洋の「自己完成」と中核を除いた個人主義が、
数々の優れたあるいは先駆的な作品を
作り出してきたのは事実ではある。
しかし、初期の『オネアミスの翼』からいって、
彼らの「おたくの自画像」*23は受け入られはしなかった。


庵野氏はそうした流れを一度リセットしようとして失敗し、
岡田氏に至っては古色蒼然とした修養主義を注入して、
「おたくの教養」を活性化させようとし、
そして、挫折したのである。
より正確に言えば、「挫折」すら疑わしい。
「挫折」は試みが定着していたからこそ起こるのであって、
その試みすら定着していなかったのであれば、
それはむしろ「剥落」とでも言うべきであろう。
この論考で何度か述べているように、
日本に個人主義は根付かなかったのであり、
畢竟個人を基調とする思想の多くは
鍍金のようなものに過ぎない。
塗るのは簡単だが剥がれるのもまた容易である。


岡田氏の「オタクは死んだ」以前に
伊藤剛氏が「“オタク”が終わったあとに」という論考の中で、
「生き方」や自己に対する認識としての“オタク”は
「終わった」という興味深い指摘をしている。
ここで氏の言う“オタク”とは一般に使われているような
「オタク」「おたく」からは限定した意味のものである。
その“オタク”に社会的な有効性があるかのように感じられていた、
ある種の”幻想”が「終わった」のだと氏は喝破した。
要は虚構が現実より先走った挙句に定着し損ねたということだ。
秋葉原などをその「虚構の生活化」と見れないことはないが、
やはりディズニー・ランドなどに比べると弱いであろう。


岡田氏は「サブカル」を仮想敵に掲げて
“オタク”を理想化した訳だが、
この種の方法は岡田氏に限らずしばしば見受けられる。
我輩が批判する宇野常寛氏もそうなのだが、
彼らは虚像に吼える虚像という傾向が大変強い。
「サブ・カルチャー」と呼ぶにせよ、
「カウンター・カルチャー」と呼ぶにせよ、
それに対応するような「メイン・カルチャー」が、
我が国に何があったと言うのだろうか。
無関心をメイン・ストリームと見做せないことはないが、
尚更空に吼えるという実像が浮き彫りになるだけだ。


明治の昔からそうなのである。
端的に言って「様式」(スタイル)がない。
様式という共有しうるもの中にあって、
はじめて個々の「意匠」(デザイン)は生きるのである。
「同化」と「差異化」は一つの機能なのであって、
それ単体で存しうることはできない。
伝統などへの「反逆」というものも成立しうるのは、
実はその反逆の対象が生きている時のみだ。
文化においては様式が、思想においては現実があって、
はじめて意味を持つのである。


ところが、「後進国」である日本においては、
方法はすでに結果を伴っているが故に、
それは「現実」と混同されやすい。
さらに悪いことに「現実」は常に相対的であるにも関わらず、
「方法」と癒着した「現実」は絶対的になりがちだ。
たとえば、「決断主義」と現実のパワー・ゲームは、
区別して考察されなければならない。
つまり、方法(論)と方法が導く現実の解釈は、
確定は出来ないが区別することは出来るし、
また比定する姿勢は堅持しなければならないということだ。
意識的にせよ、無意識的にせよ、
この種の混交には自覚的であらねばならない。
そうでなければ、どんなに正確な将来予測が出来ても、
「現在」の自分の状況が分からなくなるからだ。
前書で述べた「影」を定めることというのはそういうことだ。


アウシュヴィッツ以降すべての文化は、
 当の文化への切実な批判を含めて、ごみ屑だ*24
テオドール・アドルノと嘯いた。
それは彼自身の発言や著作物も含めての意味において正しい。
フロイトの焼き直しラカン*25
ハイデガー(あるいはカント)の二番煎じに過ぎぬデリダ
マルクスフロイトの野合の子たちフランクフルト学派
高き輝ける時代の下の廃墟で使古された襤褸を纏い、
古層の泥水を啜り残飯を漁って現代人は暮らしているのだ。
井蛙には空の青さが己の惨めさの根源に見えるに違いない。
眼前にあるというのに手が届かない、
まったく我々は自身の卑小さを思い知らされる。
時代の高さ――つまりは我々に与えられた「可能性」が、
もはや我々一人一人には手に余るようになっているのである。
そして、膨らみ続ける「可能性としての自由」から
「逃走」を試みる者たちがこれからも現れて来よう。
「おたく」にせよ、新興宗教にせよ、あるいはサークルですらも、
倫理的であろうとするならばその逃げ場所と化すであろう。
それが良いのか、悪いのか、判断に苦しむところではある。
何と言っても人は独りでは生きてゆけぬのであるから。


◎「倫理」の意味と本質

●「制度言語」と倫理

「ポスト〈セカイ系〉としての『ギートステイト』と、
 ライトノベル作家の文体についての疑問(改訂版)」*26
というエントリで用いられていた「制度言語」というのは、
Basil Bernsteinの「言語コード*27のことを
言っているのかと思っていたが、
その後の展開を見るにそうではなかったようだ*28
思うに、それは「制度」(System)と表すよりも、
「形式」(Form)とでもした方がしっくりくるのではないか。
おそらくはより硬い印象を与えるための比喩なのだろうが、
修辞的には「形式」あるいは「型」の方が相応しいだろう。


「様式」にせよ「形式」にせよ、
共有しえてはじめて「様式」と呼べるのであって、
個々人が勝手に「様式」を唱えることは出来ない。
個々人のそれは良く言って「意匠」であり、
悪く言えば「癖」程度のものに過ぎない。
日本においては「様式美」という言葉に表れているように、
様式が出発点ではなく到達点となり、
それは完成されたものとして受け入れられる。


おそらくはそのせいだろう。
各「様式」が各時代で完結しており、
我々は連続したものとして見ることができない。
だからこそ「様式」と「世代」は容易に混同され、
一つの作品に「様式」が凝縮されているように捉えられる。
いわゆる「セカイ系」においては、
「福音」と名付けられたカルト・アニメをもって
始まり、そして終わったのであると。
とかくこの種の審美的態度は
自己撞着、自己欺瞞、論理破綻に陥りやすい。
元々あるのは「美」に対するものだけなのだから、
真偽(論理)も善悪(倫理)の判断は有効と成り難い。
ゴルディオスの結び目を断つが如くとはいかないのだ。


「様式」(形式)とは必ずしも硬いものではない。
我が国においては「茶化し」が様式化される。
たとえば、江戸時代の貝原益軒といった儒学者が、
生真面目なものを書くと戯作者たちが
即座にポルノのパロディを書いて茶化している。
我らが「美しい国」日本ではカラスは「孝孝」と啼き、
ネズミは「忠忠」と嘯いて真剣な「儒」を茶化すのである。
そういうお国柄なので、現代のコミック・マーケットが
欲望の放埓とある種の情趣と茶化しに彩られているのに、
我輩はさして驚きを覚えない。
我輩の尊敬する荷風散人に至っては、
日本人は世界一の助平民族なのだと豪語なされておられる。
然もありなん。


さて、「制度言語」改め「形式言語」についてであるが、
誤解を恐れずに簡略に言ってしまえば、
それは「合言葉」や「阿吽の呼吸」というようなものになる。
抽象的に言えば、用いられる単語の共有や、
語彙の意味の共通性ということになろうか。
たとえば、「おたく」と聞いて、
「おたく」「オタク」「Otaku」と受け取るかの違いや、
スポーツと言えば野球、サッカー、相撲、プロレスなど、
どういうものが即座に浮かぶかの違いについてである。
その擦れ違いが少なく、共通性が高さを以って、
その集団の倫理とするのである。
たとえば「ネタ」や「ベタ」、「ぬるい」などは
論理というよりその種の倫理的な判断によって下されている。
そして、そうした判断の多くはナンセンスだ。
元より審美的性質であるものを
倫理的に見ようとするが故の錯誤である。

同調圧力と倫理

  人間が最も激しく冀求するものは
  その生ける完全性であり、生ける連帯性であって、
  己が《魂》の孤立した救いというがごときものでは決してない。


  私の個人主義とは所詮一場の迷夢に終わる。
  私は大いなる全体の一部であって、
  そこから逃れることなど絶対にできないのだ。
  だが、その結合を否定し、断ち切り、
  そして断片となることはできる。
  が、そのとき私の存在はまったく惨めなものと化し去るのだ。


D・H・ロレンス『黙示録論』


以前の論考で自明の倫理はなお健在であり、
サバイバル感云々を述べている連中は
「常識に還れ」というような趣旨の事を書いたが、
同調圧力としての倫理は弱まっている。
これは確かに事実であろう。
前者が「何々すべからず」を課すものならば、
後者は「何々すべし」といったものを課す。
あるいは場に応じた振る舞いを求める、
「場の精神」とでも言ってもよいだろうか。
そして、人々はそれを懐かしいと思っているが、
それを希求するとどうしてもアナクロニズムに陥らざるをえない。
「共同態の黙契」が崩れたからこそ人は「自由」になり、
倫理的容貌を捨て去ったが故に「匿名」の存在となる。
それが今日の自由な社会の「個人」というやつである。


ポスト全共闘世代くらいまでしか通用しないと思うが、
かつて「歌声喫茶」というものがあった。
ジャズ喫茶の合唱版とでも思っていただければよい。
これが最近復活したらしくニュースでも取り上げていた。
いい歳こいた男女が恍惚とした表情を浮かべて歌い、
TV局の人間が連れて来ていた若衆が顔を引きつらせる。
――多少演出がいきすぎてはいるが、
今時の青年層には異常な光景に見えて不思議は無い。
もっとも、ああいうのを楽しめる連中には、
若い子たちが一人でカラオケしてたり、
あるいは他人が歌っているのに、
それを聞かずにみんなてんでんばらばら
飲んだり食ったりしゃべったり、
ああいう統一感の無い行動が我慢なら無いらしい。


彼らは「個人主義」を高らかに標榜していたが、
彼らほどそれが単なる気分の問題でしかない
ということを見せ付けた連中は居ない。
まったく「団塊」とは言い得て妙かな。
彼らの本質は「量」なのであって、
良かれ悪しかれ彼らに「質」はない。
彼らが「個人」足りえたことは
ただの一度も、刹那の間にもないのである。
我々の生得的な価値観の問題もあろう。
我々にとって「数」はまず「量」であって、
「序数」の世界ではないからだ。
今にして思えば「進歩」という幻想も、
「質」の問題ではなく「量」の問題であった。
そういう実感からの乖離が
彼らを益々観念的にしていったのだろう。


我々は個人主義を自立した個人になるために教わる。
が、元より個人主義は自立した個人の生き方なのであって、
個人は教えられて後に現れてくるようなものではない。
はじめから個人は世界に放り出されている。
そこで立ち上がってきた思想が個人主義なのである。
個人であるからこそ孤独なのであり、
この孤独を避けて個人足りえることは出来ない。
それは心寂しい生き方なのであり、
それをぐっと耐えることが個人主義というものなのである。
元よりそれは他人が褒めるようなものですらない。
独りぼっちの戦いなのである。
そして、この孤独な戦いに敗れた者たちは、
集団への帰還を試み、倫理を生き方として掲げるであろう。

●共同体と倫理

  吾々は総じて結びつきというものに堪えられないのだ。
  これこそ吾々の病弊でなくしてなんであろう。
  吾々は覊絆を断ち切り、
  孤立しなければならぬ羽目にある。
  そういうことを吾々は自由と称し、
  独自性と呼んできた。
  だが、それはある点を越えれば
  ――その一点に吾々はすでに達しているのだ――
  ついに自殺となる。
  ひょっとしたら吾々は自殺の道を選んでしまったのかもしれぬ。
  それもよかろう。
  アポカリプスもまた自殺を選んだ、
  そしてそれにひきつづく自尊の歌を。


D・H・ロレンス『黙示録論』


今日における倫理と共同体とは、
コミュニケーションの同質性に裏打ちされた、
コミュニティと言ってもいいだろうか。
元よりトピック(話題)というのは、
トポス(場所)に連なるのであり、
トピックの共有することの出来るトポスを求めることが、
今日のユートピアなり倫理的願望なりの様相となっている。
この種の集団志向が個人愛と区別することが困難なのは、
それが自己と他者の同質性に動機を持っているからである。
そして、同質的であるからこそその種の集団は
常に個人以下の存在に過ぎない。
集団が均質化して個人(個性)を圧迫しだすと、
今度は自己の同質性を守るべく離脱を志すようになる。


斯くして今日無数の「おたく」が誕生しては滅んでいく。
市民社会を志向しようと村(社会)への回帰を望もうと、
「おたく」という集団倫理でさえも、
その共同体にまつわる本質に差異は存在しない。
あるのは意匠や外見の違いであり、
根底にある本質は「自由からの逃走」に過ぎない。
彼らが求めているのは自己実現なのではなく、
自己をかなぐり捨てた「我々」という一体感であり、
そこに通底する価値観への信仰なのである。
そう、彼らは殉教者なのだ。
先鋭化した倫理の武具を身に纏い、
時に自らをも傷付けながら社会に異議を唱える。
しかし、そのようなものはもはや徹頭徹尾ナンセンスであり、
時代錯誤以外の何ものでもない。
それは現代に「新しい中世」を構築しようとするようなものだ。


◎現代の精神の病症

コップの中の嵐と安楽への逃避

  人間の地上的権力を打倒して、
  そのかわりに大衆の否定的権力を樹立しようという
  クリスト教共同体の旧い意思が復活したのである。
  この闘いは今日なお惨劇のかぎりを尽して荒れ狂っている。
  ロシアにおいては、地上的権力に対する勝利が完遂され、
  レニンを聖徒の頭とする聖徒政治が実現された。
   たしかにレニンは聖徒である。
  彼のうちには骨の髄まで聖徒の血が流れていた。
  今日、彼が聖徒として崇められていることも、
  まこと故あるかなである。
  しかしながら、人間の雄々しき権力を
  ことごとく殺戮せんと企てる聖徒は
  あたかもひわどりの美しい羽毛を
  片端からもぎとろうと欲した清教徒のごとく、
  悪魔でなくしてなんであろうか。


D・H・ロレンス『黙示録論』


自由は何故不安を齎すのか。
それはおそらく我々にとって
自由がすでに所与のものだからだろう。
与えられた自由は我々に絶えず選択を迫る。
そうした状況において、
「自由からの逃走」が起こるのだと
E・フロムはナチズムを戦前において分析した。
欧米人、特にアングロ・サクソンの思想家に顕著だが、
彼らは選択の結果上手く行くことを幸福と考えているようだ。
自由の下に選択は必然的に行われるが、
その結果は保証されていない。
だからこそ我々はあれこれ悩んで決断し、
不安を一つ一つ解消していくしかないのだろう。


こうした絶え間ない選択、
底なき無数の可能性という自由に恐れをなし、
ある種の人々は不自由を求めるようになるだろう。
20世紀における二つの反自由主義革命、
すなわちコミュニズムファシズムは、
そうした宗教じみた情熱を以って自由を圧殺した。
そうすることで生きるものがあったのである。
百姓が生ける鶏を屠殺するように、
自由や己の倫理に共感せぬものを抹殺せんとした。
これは彼らの「生」に必要だったのだろうか。
ナチスの残虐さは確かに悲惨極まりないものがあったが、
しかし、反ユダヤ主義の風潮は汎ヨーロッパ的なものであった。
スターリンは粛清によって血塗られた帝国を作り出したが、
その力強い指導者としての英雄的な姿は
今日なおロシア人の心をとらえて離さない。
この種の非人間性と異常さの本質とは一体何処にあるのだろうか。


かつての軍国主義
安保騒乱とその成れの果て、
そして方舟からオウムに至るカルト。
今日、あらゆる集団にオウム的なもの、
あるいはファッショ的な要素を見出すことは、
非常に容易であるように思われる。
自由にしても、平和にしても、
それらは元来消極的な概念に過ぎない。
しかし、我々が未だ持つ倫理とは、
そうした消極的なものにのみ拠っている。
確かに今日における倫理的志向を持つ集団は、
過去の断片を寄せ集めたものに過ぎないが、
それでもそれには積極的な価値や意味を有している、
少なくとも我々の多くはそう思い込んでいるようである。
が、多かれ少なかれ自由社会の原理に反するものは
排除されるか、反社会的行動の形をとって噴出する。
がらくたの寄せ集めで出来た倫理は打ち壊され、
またしても廃墟となる。


今日の生活における倫理の困難さが、
かえって芸術やその他の分野において、
その種の倫理的傾向を純化培養させているようである。
先のコミック・マーケットで擾乱を引き起こした
白痴ならず者集団のような極端な形をとらずとも、
そういった倫理への志向は偏在している。
それが反社会的行動にならないか、
という外的事象の違いに過ぎない。
思想問題としての本質は何処にあるのか、
その中核を抜き取らぬ限り
外見を代えて何度でも繰り返すだろう。
こうした嵐がコップの中ですむか、
あるいはコップが壊れて周囲に破片を撒き散らすかは、
陳腐な物言いになるが、「運」にかかっている。
集団を前に個人はいつも無力感に躓く。
これはいかなる時代においても避けうるものではない。
あるいは集団に没入することによって
安楽を得ることができるかもしれない。
が、安楽を貪れば貪るほどに、
我々は自己を失っていくだろう。

●あれもこれも

あれもこれもと求めている内に、
急にいじけてしまう人が少なからず居て困る。
尊敬すべき地位を求め、
自分のやりたいことをやり、
良き友を得、愛する恋人を欲する。
そんなあれもこれも彷徨するように
求めることが上手く行く訳がない。
それは単なる私欲の発露に過ぎないのである。


しかし、自由社会の世界観とは、
所詮各人が各人の利己心を働かせて、
自然になんらかの形の秩序が生まれるのを
期待しているのに過ぎないのだから、
これに反撥する者はすべて反社会的にならざるえない。
倫理的であろうとするが故に反社会的になるというジレンマ、
これは悲劇と呼ぶべきであろうか、
ただ無残であると言うべきであろうか。


生きる価値を、
生きている意味を、
自分の存在意義を問うことが、
これほど困難な時代があったろうか。
無数のかつてないほどの高い可能性に囲まれながら、
そこに自分の求めるものがないとしたら、
人はもはや狂うほかないのではあるまいか。


あれもこれもと希求した挙句、
恋愛を罪と考えたり、自己をその犠牲者であるとして、
負の価値観によって己のアインデンティファイしようとする。
これはもはや狂気の沙汰というほかないのではないか。
自己の内にある他人を殺し、社会を壊し、
自分すらも殺してすらも求める自尊に何の意味があるのだろう。
『黙示録』的破滅願望の先にある自尊心の禍々しさを前に
我輩は語るべき言葉をなくしてしまう。

●馬鹿は死ななきゃ治らない

「縁無き衆生は度し難し」という言葉が仏教にある。
身も蓋もない言い方をすれば、
馬鹿はどうしようもないということだ。
知識人でも市井の知的なブロガーですらも、
馬鹿を救済しようと無理に頑張って、
自分を追い詰めていく人がたまに居る。
人間誰しも妄念なり妄執なりに囚われる。
度にそれを祓い清めるしかないのだが、
馬鹿にはその自覚が無い。
彼らには自分が何に囚われているのか、
そういう自覚すら彼方にある。


そうした善意の対極にあるように見える、
「自己責任」云々などですらも見ていて思うのだが、
馬鹿にそんな責任を全うする能力があるのだろうか。
責任にしても、義務にしても、権利ですらも、
それを扱う能力があってはじめて成立しうるものであるが、
そういうものを馬鹿に期待しうるのであろうか。
期待し得ないからこそ、絶望的で、
度し難いからこそ馬鹿というものなのではないか。
誤解を恐れずに言えば、
自覚の無いものに何を言っても無意味だ。
馬鹿をどうこうするのは政治なり宗教なりの仕事であろう。
前者は罰則で肉を縛りつけ、後者は魂を拘束(保護)する。


白黒をはっきりさせるべきであろう。
我々は他人を救うほど強くはない。
我々はあまりに無力である。
我々は独りで生き、そして独り死ぬのだ。
我々が生きるとは孤独な闘いを独り続けることである。
淋しく、悲しく、空しく、己の不運を嘆くことはあっても、
それを他人や社会のせいにしてはならない。
子は親が自分を理解してくれないと怒り、
親は子が分からぬと嘆き悲しむ。
共有しうるのは理解ではない。
無理解の共有という諦めの境地のみである。
誰のせいでもない悪というものがあるのだ。
そして、生きていく以上はそれを背負わざるをえない。
これは人間の根源的な問題なのである。


機械であれば直すことも出来よう。
だが、人は機械ではない。
如何に機械化されようと、機械のように振舞う努力しても、
我々は機械になることができないのである。
人間の悲劇はここにあるのかもしれない。
機械化し人間性を喪失してなお、
我々は人間以外の何ものでもないのだ。
一体、我々とは何なのだろうか。


◎筆のすさび――「箸」と「筆」

エスはパンよりも尊いものがあると我らに教えるのだが、
教えられて自由を選ぶくらいならパンを選ぶ方が、
むしろ自由なのではないだろうか。
食いたいから食ってるのであって、
食いたくないものを無理やり食わされている、
そんな心持でいる人間は少なかろう。
ブッダだって苦行の果てに無意味さを悟って、
スジャータより牛乳粥を受け取ったではないか。
求むるところに素直にあるべきなのだろう。


しかし、それだけでは放縦に走るだけだから、
「常識」というものが必要になる。
もっとも、それも所詮は単なるドグマに過ぎない。
元より倫理的なものは全てアプリオリなのである。
「語りえぬものに対しては沈黙しなければならない」
と言ったウィトゲンシュタインではなく、
「現代哲学の隠れた王」(H・アレント)と称せられたカント以来、
実のところ近代の哲学者は「倫理」に背を向けている。
強いて言えば、ニーチェがその最期の抵抗者にして、
敗北者であったと言えるかもしれない。


良識や道徳、倫理というのは個に課される制約なり足枷などであって、
元よりそれは他に対して声を大に訴えるものではないのだろう。
ところが今日ここかしこで
倫理的脅迫が横行しているのを我々は見る。
彼らの合言葉は「かの悪しきものを倒せ」であって、
彼ら自身が何かしらの「善」を為すことではない。
弱者というものは何時だってそうである。
己の魂の弱さを感じ、孤独に耐えられず、
口を開けば「かの強きものを倒せ」、
自分達は何も持っていないが故に正しいのであると。


服従したことの無い者は統治することも出来ない」
とはアリストテレスの弁であったろうか。
陰謀論が絶えぬ理由の一つには、
自分が何を支配し、何に支配されているか、
自覚することが出来ないからだろう。
それは一種の神経症のようなものである。
自らの限界を知らぬもの、
自分に何ができないかについて考えないものは、
自分に何ができるかについても知らない。
限界や制約と可能性と能力は表裏一体なのである。
個々人が個々人の限界と現実を知り、
各々が各々なりに自分の道を歩むしかないのだろう。


所詮、「理想」とはその方向性程度の問題でしかない。
「現実主義」ですらも「現実」をありのままに見ようとする
一つの「理想」の形に過ぎないのであって、
言うなれば「理想主義」も「現実主義」も、
現実を見る態度の違いに過ぎないのである。
それは現実を処理する術や方法なのであって、
我々はそれ自体を理想化してはならないのだ。
今日の理想化とは専ら理想に対する理想である。
そして、現実はその方法に対する
態度にすりかえられてしまっている。
斯くして我々は自分の目の間にある現実を見ようとせず、
自分が掲げていた理想すら忘れてしまっている始末だ。
このような状況ではもはや言葉を綴るだけ、
益々精神に混乱を来たすようになるのかもしれない。
そして、我々は語りながら次第に言葉を失って行く……

*1:参照:http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070726/p2

*2:参照及び引用元:http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm

*3:参照:http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/07/post_f652.html

*4:以下、斎藤真『アメリカとは何か』(平凡社ライブラリー)を参照及び引用

*5:反ニュー・ディールのタフト=ハートレー法の法案提出者の一人として有名

*6:いわゆる「ブレーン」――正確には「ブレーン・トラスト」という言葉はニュー・ディール由来で、ルーズヴェルトは恐慌打破のために左翼知識人を総動員したのである。アメリカにおける社会科学が専ら政策科学に偏っているのもこれに因るところが大きい

*7:現代のいわゆる東欧諸国民にとって「東欧」という言葉はトラウマになっている。彼らにしてればそれはヨーロッパからの疎外の象徴なのである

*8:なお、ニーチェのような考え方を「主意主義」という。たとえば「力への意志」論など

*9:プラトンアリストテレス以来の伝統的形而上学を徹底的に破壊したため、「全てを破壊するカント」(ドイツ語での表記は失念してしまった)と呼ばれた。また20世紀のH・アレントは「現代哲学の隠れた王」と呼んだ。現代の哲学者は程度の差はあれ19世紀の魔王たち――カント、ヘーゲルマルクスニーチェの亡霊あるいは残留思念に魘されている

*10:=ものに本質など無い

*11:参照:http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/582474956f34136b8a62bf7789f91bac

*12:参照:J・ホイジンガルネサンスとリアリズム」

*13:京大は支那学、東大は漢学

*14:参照:「支那人の食人肉風習」http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4270_14876.html 及び 「支那人間に於ける食人肉の風習」http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/42810_23981.html

*15:参照:D・H・ロレンス『黙示録論』

*16:参照:呉智英『バカにつける薬』

*17:「論考」の意。いわゆる『リヴィウス論』や『ローマ史論』とよばれている著作

*18:そのためラテン教父とも言われる

*19:したがって各国語訳も原典ではなくラテン語訳をもとにしていた。詳しくは田川建三氏の『書物としての新約聖書』を参照

*20:キケロすらも現存するアリストテレスの著作を読んでいないとされる。要するにアリストテレスは「万学の祖」として現れたのではなく、「万学の祖」として“発見された”のである。なお、キケロは同時代の哲学者の言葉を多く引用しているが専らストア派プラトンに拠っている

*21:参照:古田博司「世界史の終焉と宗教ファシズムの冒険」

*22:参照 http://d.hatena.ne.jp/kasindou/20060524/p1

*23:参照:ササキバラ・ゴウ『教養としての<まんが・アニメ>』

*24:T・アドルノ『否定弁証法

*25:フロイトに帰れ」だそうだ。フロイトは晩年になって自身の思想を訂正せざるえなくなったのだが

*26:参照:http://d.hatena.ne.jp/gginc/20070714/1184372477

*27:社会階層による会話パターンの違いのこと。参照:http://www.lang.osaka-u.ac.jp/~yamasita/newpage224.htm

*28:参照:http://d.hatena.ne.jp/trivial/20070716/1184531064 及び http://d.hatena.ne.jp/gginc/20070716/1184556046

「決断主義」なるものの再検討(4)

本当は『コードギアス 反逆のルルーシュ』を
ハムレット』を引き合いに批評の遡上にあげるつもりだったのだが、
まだ完結していない作品を論じるのは気が引けるので、
少しだけ触れてお茶を濁したい。
まず、『コードギアス』の作り手たちが
デスノート』を意識していたのは間違いないだろう。
彼らは「ゼロ」という皮肉一杯のオマージュを我々に突き付けた訳だ。
ルルーシュ、彼自身は「無」である。
何故なら彼は彼自身に還元して行動したりはしないからだ。
運命を切り拓くものとは運命に飛び込んでいくものだ。
だからこそ、彼は時として痛々しいまでに矛盾に満ちた行動をする。
そして、その矛盾が第一部の終りの悲劇を齎した。
彼はさほど強くないが震えを必死に押さえ、
歯を食いしばって耐える姿は弱さの中にある強さと言えよう。
そして、彼にはC.C.(シーツー)の抱擁を
素直に受け入れる程度には心根の優しい少年である。
何より、ルルーシュにしてもC.C.にしても表情が豊かだ。
決断主義」だ、「ポストセカイ系」だのと言ってないで、
こういうところを素直に楽しんだらどうだろうか、
我輩は周囲を見渡しつつそう思う。

●「もの」と「こと」

「白馬非馬」という公孫竜の有名な言葉がある。
これは「こと」と「もの」の悪質な混在であり、
差し詰め古代支那ソフィストと言ったところか。


  白とは色の概念であり、
  馬とは動物の概念である。
  であるからこの二つが結びついた
  白馬と言う概念は馬と言う概念とは異なる*1


これはつまり、「白」と「馬」は
それぞれ「もの」(概念)であるが、
「白馬」と言った時、「白」は「もの」でなく、
「馬」という「もの」に対する判断、
つまり、「こと」になっているのである。


同じ様に批評、つまりは自己解釈は、
「もの」から「こと」を得ている。
そして、その「こと」は「もの」を模倣しているのである。
蛇足に付言すれば、議論が噛み合わない事が多いのは、
この「もの」と「こと」が混在してしまっているからだ。
思想ではなく知性が論争するように、
「もの」は争われない。
衝突しているのは常に「こと」である。
我々が語る言葉は我々を離れない。
否、より正確に言えば、
分離‐結合‐構成を繰り返しているのだ。
そして、「こと」とは「わたし」である。

●運動体としての「私」

『文藝』のインタビューで古川日出男氏が
かっこいい生き方とは?」との問いに
依存しないこと」と答えていた。
古代ギリシアの哲学者たち、
たとえばアリストテレスなどを読めば分かるが、
彼らは「自由」を「自足」の意味で考えていたようだ。
なるほど、さすれば古川氏のかっこいい生き方というのは、
「自由」な生き方なのかもしれない。


依存しないことは重要である。
恋愛は楽しいことだと思うが、
依存すれば即ち単なる「いちゃつき」に堕する。
友人や家族に対してもそうだろう。
依存してしまえばそれは単なる「甘え」に過ぎない。
以前、人間とは実体ではなく運動体なのだ、
というようなことを言ったが、
それは「停止」すると依存や埋没してしまうからだ。
我々は絶えず動き回り、
結合-分離-構成を繰り返す。
たとえば思索においては、
「もの」と「こと」の間で繰り返すのである。

●ものの見方とものの見方

トートロジーな小題だが、
「もの」を見るときの見方と、
「もの」にある見方について、である。
我々はしばしば両者を混同する。
殊、批評家と呼ばれる人々は、時として
意識的にそれを混交させて我々に掲示してくる。
落語家はもっともらしい嘘を付き、
客が「へぇー」と感心するのを見て、
「落語の言うことを信じちゃいけないよ」と落ちを付ける。
が、批評家にそういう「落ち」はない。
だから我々は何を読むにしても、
ただ字句を追っていればよいというものではない。


ある時代の偉大な作家たちが
一時代の精神を代表し、一局面を切り拓く。
そういう一面があることを否定している訳ではない。
それが断片に過ぎないということを言っているのだ。
実に当たり前なことではないか。
全てを知悉するなどといったことが、
如何なる人間に可能であろうか。
また、全てを知り尽くしてしまった果てに
一体何ものが我々に残ると言うのであろう。
一時代、一文化を理解する、
そのようなことはほとんど不可能に近い。
何故ならそうしたものが常に知性の働きによって
創られているとは限らないからだ。
感覚的に息衝いているものを理解するには
理性や論理では不十分なのである。


印刷されて後生に残されたものから
過去における思想の現実の姿を復元する事は非常に困難である。
何故か。それは「影響」が必ずしも教化、感化を伴わない事と、
理論家が沈黙するのはその説が滅びたからではなく、
その説が現実に生きはじめたからだ。
――つまりは“書かれた事”と“書かれなかった事”の比重について。
これはかつて松田道雄先生が
知識人に関する論考で述べておられた事だ*2
この続きものの拙稿の一つにおいて、
レヴィの『サルトルの世紀』を引いたのは、
そういう謂を仮託するためである*3


先の松田先生の論考では、陸羯南の言を引いて、
理論において必ずしも「名称」と「実相」が
一致しない点について注意を促している。
さらに外部的‐内部的要因、
主体‐客体における現実の違い。
これがこの小題における
二つの「ものの見方」の混乱に繋がっている。
特にここでは後者の方に注意を促したい。


たとえば、「決断主義」という言葉を扱う事に文句は無いが、
そのまま馬鹿正直に真に受けて、
決断主義」という言葉を通して物事を見てどうするのだ。
これは実に当たり前なことなのではないだろうか。
決断主義」という言葉は読者にとって、
外在するものであり、客体に過ぎない。
それは一つの客体視しうる現実である。
しかし、その裏には宇野常寛氏という主体なり、
彼に内在する意識と無意識が隠れているのであって、
そこまで考え抜き、言及しないのは、
甚だしい知的怠慢なのではないか。
つまり、彼が見たもの、彼が語ったものだけを
対象にしていても致し方ないのである。

●文体論にまで至る議論の空しさ

ゼロ年代の想像力」で宇野常寛氏は
セカイ系」と「決断主義」を対比し、
そしてその後の来るものを論じ、
東浩紀氏が『ギートステイト*4において、
リバタリアンコミュニタリアンの文学なるものを論ずれば、
GOD AND GOLEM, Inc. -annex A-』というブログを中心に、
ライトノベルにおける文体論議に花が咲く。
あるいは大いに飛び火して、
想像力はベッドルームと路上から』なるブログでは、
漫画やアニメに与えられた「決断主義」が、
ヒップホップを論ずるに用いられるに至っている。
どうやら宇野氏の論考を「おかず」に、
銘銘が銘銘の「飯」を食っているようだ。
この点、『モノーキー』というブログの
俺らは決断主義なんかどーでも良くて、
 ソレにダシに昔話がしたいだけなんだって
という弁は最も率直であり、
同時に身も蓋もないが、現実であろう。


東氏は『ギートステイト』の文学をリバタリアンとして、
宇野氏の文学をコミュニタリアンとして仮定し、
その差異を論じているが、これには大きな誤りがある。
そもそも問題の本質がそうした志向の内にはないからだ。
つまり、認識において個人を主体に据え続ける限り、
この種の差異とやらは結局同床異夢に終わるだろう。
個人に自律性があるという仮説性を忘れ、
個人の数だけ仮説が生まれ、真理が生まれる。
彼の言う成熟や現実が小さかろうが、
大きかろうが関係がない。
掲示しうるものは無数の仮説と真理の一つに過ぎず、
そのようなものは主観的気休め、独断的錯覚に過ぎない。


大きな物語」が書けなくなったのではなく、
そもそも「全体」というものが最早存在しないのである。
何故なら個を内包する全体というのは外部に要請し得ないからだ。
今日において共同体、社会、世界、言葉は違えど
一様に部分の散漫な集積体に成り下がっているではないか。
結局断片に過ぎぬものを寄せ集めたところで
「全体」にはならぬのである。
そうした事を認めぬ限り、
志向や目標は容易に逃避の場所と化す。
彼らの政治的異常関心(ネオリベ的云々)は、
現実から遊離した者の政治的無関心の裏返しに過ぎない。


こうした事は文体においても言える。
部分に過ぎぬ「個人」を出発点にすれば、
出口の無い袋小路に迷い込むのは必然なのだ。
「様式」という全体を失えば、
「文体」なり「意匠」なりの部分はますます分化し、
各ジャンルの自律化、純化が進められる。
最近であれば「本格ミステリ論争」なるものの
不毛さを見れば分かるのではないか。
20世紀の芸術(音楽、文学、その他諸々)で、
一体何が我々に残っているというのだろう。
彼らは断片を撒き散らしただけではないか。
彼らにあるのは瞬間瞬間の断層に過ぎないのであって、
それを積み重ねて「歴史」などと呼んでいる。
だからこそ、あるものの限界を見るや、
それはもう終わったものだのと早とちりする。
彼らが共有しているのは「歴史」などではなく、
その「没歴史性」なのである。

●問題と解

文学者の事業は強ひて文壇一般の風潮と一致する事を要せず。元これ営利の商業に非らざればなり。一代の流行西洋を迎ふるの時に当り、文学美術もまた師範を西洋に則れば世人に喜ばるる事火を見るより明かなり。然れども余はさほどに自由を欲せざるになお革命を称え、さほどに幽玄の空想なきに頻に泰西の音楽を説き、さほどに知識の要求を感ぜざるに漫りに西洋哲学の新論を主張し、あるひはまたさほどに生命の活力なきに徒に未来派の美術を迎ふるが如き軽挙を恥づ。いはんや無用なる新用語を作り、文芸の批評を以って宛ら新聞紙の言論が殊更問題を提出して人気を博するが如き機敏をのみ事とするにおいてをや。
われは今自ら進取の気運に遠ざからんとす。幸ひにわが戯作者気質をしていはゆる現代文壇の急進者より排斥嫌悪せらるる事を得ば本懐の至りなり。


「矢立のちび筆」 『荷風随筆集(下)』(岩波文庫)所収


少々嫌味に聞こえる引用かもしれないが、
新しい言葉を作ってはその言葉に好都合な現実を並べ立てて、
そのラッピングされた中身なり、ラッピングした主体に、
意識が向かない現代人には良い薬になるだろう。
宇野氏が撒き散らした用語なりキーワードがなければ、
何かを論ずるに困るといった事があるだろうか。
少なくとも我輩にはなかった。
念の為に指摘しておくが、
我輩は何も「決断主義」や「セカイ系」、
そうしたものを排斥しようとしている訳ではない。
個々の作品を見る際にそうした前提を
外部から持ってくるなと言っているだけの事だ。


この種の議論や概念規定における混乱の原因は、
他人の問題意識が外在化され客体化されて現実となるや、
受け手がそれを「ものの見方」として、最悪、
それが一つの「解」として用いられているからだ。
問題意識や過程を無視して結果しか見ないこの態度にとって、
それを考えた思想家の存在はどうだっていい。
彼らはその思想家の息遣いを感じ取ることもしないし、
その人が持っていた緊張感も持ち合わせてはいない。
つまり、その人は居ても居なくてもよい。
あるのは道具としての「××主義」だけである。
彼らは精神を語ってはいるが、
彼らが見ている精神は物でしかない。


あえて強調して言うが、
言葉を解として直接受け入れてはならない。
それは解ではなく、
受け手の無形の問題意識に言葉を与えてくれるものであり、
良くてもせいぜい示唆を与えるにとどまる。
一度それを解として受け取るや、
思索はその運動を止めてしまい、
問題意識はその活き活きとした力を失う。
最近頓に多いのであるが、
解説書なり、粗筋なりを読んで、
その作品を読んだつもりになっている。
こんな馬鹿馬鹿しいことはない。
そんなものはそれを書いた人間にとっての作品に過ぎないのである。


繰り返しになって少々くどいが、
思想というのは問題意識なり認識なりを掲示するものであって、
何かしらの解答を与えてくれるものではない。
それでも孤独な思索を続けなければならないのは、
新しい情況を迎えた時に備えてである。
そうでなければ何が終わったのかすら、
理解はおろか感知すらできないであろう。
何より、事後に至るまで、
新しいだの古いだのといって着脱を繰り返し、
いざ到来せんとする時に何も持っていないというのでは、
余りに情けない話ではないか。
巌窟王』風に言えば少々気障になるが、
「待て。しかして希望せよ」
それが廃墟の上の思索者への
せめてもの励ましの言葉となろうか。

*1:ウィキペディア「公孫竜」から引用

*2:参照:松田道雄「日本の知識人」『近代日本思想史講座Ⅳ』(筑摩書房)所収

*3:厳密に言えば、竹内洋丸山真男の時代』からの孫引き。原典は高い上に長大過ぎて読む気になれない

*4:参照:http://blog.moura.jp/geetstate/2007/07/post_406f.html

「決断主義」なるものの再検討(3)

夜神月――空虚にして凡庸なる「大衆人」

宇野常寛氏の「ゼロ年代の想像力」において
夜神月は「決断主義」的主人公に分類されている。
それでは、彼は何を決断したのであろうか。
「決断」などと評されるからには、
何かしらの目標や動機があってもよさそうなものだが、
彼にはそうしたものがまったくと言っていいほどない。
夜神月はおろかLにすら動機が無いということに着目して、
『無言の日記−五月の庭』というブログが
非常に優れたエントリを書いている。
「動機論」に関しては付け足すことが無いので、
(――と言うよりはそのエントリで気づかされたことも多い)
そちらを参照して欲しい。
参照:http://d.hatena.ne.jp/lepantoh/20060213#1139808928


夜神月はその幼児性は指摘されはしたが、
今もって貴族主義、英雄主義の殉教者として祭られている。
我輩はこのことに断固として異を唱える。
彼こそは傲岸にして恥を知らぬ「大衆人」、
自分の小さな殻に閉じこもり、
 一片の尊敬の念ももち合わせぬ
 ゴキブリのような連中*1の一人なのである。
正直なところ、この人物に対する言葉として
罵倒しか我輩には浮かばないが、
悪口ばかり言っていても始まらないので、
DEATH NOTE』(以下『デスノート』と記す)
全12巻を夜神月の言動を中心に読み解いて行く。

●始まりは「退屈」

  毎日 同じ事の繰り返し…つまらねー
  “この”世は腐ってる……


このモノローグから『デスノート』は始まる。
この時点から錯誤は始まっていると言える。
宇野氏は『セカイ系』を
要するになんでも自分のせいではなく
 世界のせいにする思想です*2
と言っているが、
それならどうして『デスノート』は
セカイ系」に含まれないのだろうか。
リュークにしても夜神月にしても、
退屈なのは彼ら自身なのであって、
それは「この世=世界」故ではない。
彼らは涼宮ハルヒ式に我儘を言っているのに過ぎない。


始まりからし夜神月というのは不可解なのである。
デスノート』をたまたま拾った彼は、
  病んでるな なんで皆
  こういうくだらないのが好きなのかな
  不幸の手紙から全然進歩しちゃいない…
と言いつつ持ち帰って熟読してしまう。
そして、
  悪戯もここまで手が込んでるとまあまあかな…
などと論評して放り出すものの、
彼の内にある密やかな悪と理性の葛藤は
  名前を書くと死ぬか…
  くだらない
と再度自らに言い聞かせるように独白する。


本来、良識ある人間ならば、
ここで立ち止まれたはずである。
呪(まじな)いを笑って祓い除けられたはずだった。
ところが彼はたちまちその魔力に取り憑かれてしまう。
人を殺めるという悪意に心を引かれ、
ついに試してみたいという願望に負けてしまった。
そういう意味で彼の本質は“弱き”人なのである。
彼はただ一人の小悪党を殺めてしまったが、
彼の良心や理性はただその一事の悪で麻痺しだす。
塾の苛めっ子が気弱な少年から金をせびるのを見て、
  殺して見るか?
  こんな奴の一人や二人死んでも誰も何も思わない…
などと思うようになるのである。
この自分のものではない、
偶然与えられたに過ぎない力を持った途端に、
  こうなると どいつも こいつも
  殺した方が世の中の為になる
  奴ばかりに見えてくる
などと彼は実に高慢な言い草をするようになる。

●「虚無」――「否定」の悪への堕落

彼が悪党に成り下がった決定的な瞬間は、
二人目に実験台としてチンピラを殺した時であろう。
彼は二度目の殺人に成功したとき、
決まりだ デスノート 本物だ!!
と驚愕するとともに彼は満ち足りた思いを感じたはずである。
だからこそ、二人目をわざわざ殺した後に、


  人を殺した…


  二人殺した……


  僕が…


  どうする…


  こ…こんな恐ろしいノート…


  ……


こういう実にわざとらしい、
気障な独白をしてみせる。


そして、彼は自身の悪意と悪事を偽りで糊塗する。
  ちがう…
  いつも思っていたことじゃないか
  世の中腐ってる
  腐ってる奴は死んだ方がいい
などと彼は実に苦しい言い訳をする羽目になる。
少々子供じみた反応をすれば、
“そういう世の中に腐っているお前はどうなんだ”
“そんなに退屈ならお前が死ねばいいじゃないか”
という風な物言いが出来ようか。
これは少し言い過ぎた感が無い訳でもない。
しかし、彼は自身が退屈だからだといって、
世の中を変える権利が自らにあると思い込むことのできる
誇大妄想狂の「大衆」であることに違いはない。
彼自身に高貴な義務(Noblesse Oblige)といったものは、
到底見出すことができないのである。

●「自意識過剰」――自己喪失者の典型的病症

自己陶酔(ナルシズム)には凡そ二種類ある。
一つ目は、自己の過大評価、傲慢、高慢。
そして、いま一つが、謙遜、卑下、自虐であろう。
その両者の共通点は、自意識過剰に過ぎないことである。
根拠のない楽観がただの馬鹿の戯言で、
根拠のない悲観はただの無能の証明であるように、
行き過ぎた自尊も、自虐も有害で無意味なだけだ。
そして、昨今は高慢さよりも
自分をけなさずにはいられない、
そういう弱さと自意識過剰が鬱陶しくて敵わない。
そうした自虐は裏返されたナルシズムに過ぎないというのに。


自意識過剰というのは「自己」そのものではない。
剥き出しになった「我」ではあるのだが、
「自己」が弱々しいからこそ、
存在証明をしようとしてしくじる、
それが「自意識過剰」というものである。
夜神月もまた自意識過剰の自己喪失者だ。
彼はリュークに対して
何故 僕を選んだ?」などと言って、
リュークに「うぬぼれるな」と諭される始末である。
リュークに出会う前からしてそうだ。
彼は「問題は精神力」などと言って、
またしてもわざとらしい似非道徳問答を始める。


  たった二人だけでこれだ…


  当たり前だ 命だ…


  軽いはずがない


  耐えられるか?


  やめるか


ここで興味深いのは、
彼が「耐えられるか?」の対に
「やめるか」を選んでいる点である。
「耐えられない自分」という弱さは
想定の外に置かれている。
何故なら「やめた」ところで、
彼自身が犯した二つの殺人の事実は消えない。
彼はその自分の過ちから逃げたかったのである。
彼が問答を重ねる度に良心の声は遠ざかる。
彼は自ら声を発しようと欲しても、
聞こうとはしない人間だからだ。
はっきり言って彼の問答に意味は無い。
彼は退屈なのであり、何も持って居なければ、居場所も無い。
彼はそこから脱せるのなら何でも良かったのだ。
そういう意味で彼の「新世界」には何ら肯定的な意味が存し得ない。
彼はただ現状を否定し、自らを考慮の外に置いただけだった。
道徳的であるということは善を為し得るということであり、
悪を為しえないことが善を為すことではない以上、
ただ悪を為しえないというだけでは不十分なのである。


  僕にならできる…………
  いや…
  僕にしかできないんだ
  やろう!!


こうして彼は帰れない道への歩みを始める。
それは彼自身からも遠ざかる道である。

「キラ」――偽りを生きるもの

若者は何時の時代も無思慮なものだが、
夜神月の無思慮、
良く言えば無邪気さには少々唖然とさせられる。
殺人を繰り返す彼は満足げに
「救世主キラ伝説」というサイトをリュークに見せて言う。
  Killerから来てるらしいのが少し気にいらないが
  僕はもう世界的に「キラ」になってる
これはまったくもって奇異な心理である。
高慢な彼がなったのは「キラ」という
「彼ではないもの」であり、
やがて彼は項を重ねるごとに
「彼ではないもの」として振舞おうとする。
「彼自身」は一体どこへ行ってしまったのだろう。
「退屈だ」と言っていた頃の彼の方が、
まだしも素直な感情の吐露を見ることができたのに。


デスノートに触れた人間は
死神(リューク)が見えるようになると
リュークから告げられた彼は言う。
  下手を打てば…
  キラは…
  自分の家族を殺す事になる
夜神月はここで「僕」という一人称を避けて、
「キラは」を使い、「僕の」ではなく
「自分の」家族を殺す事になると言っている。
彼の弱さと逃避がここでも頭をもたげている。
彼は彼自身が悪を為すということを
認めることが出来ない程に、
彼は意志や覚悟が薄弱なのである。
だからこそ、彼においては
何よりも悪の存在が必要とされるのであり、
また、だからこそ「L」の挑発に意図も簡単に乗ってしまったのだ。
繰り返しになるが、彼は“弱い”のである。
弱いからこそ自分自身の生を強く生きることなく、
「キラ」という偽りの生に容易に身を乗り出してしまう。

●「ゲーム」――小児病者のコロシアム

これより先は「L」と「キラ」の命を賭けた
一種のゲーム(駆け引き)が延々続く訳だが、
その部分には触れようと思わない。
デスノート』はアンチ・ヒーローである点で、
他のジャンプ作品とは異なるのだが、
動機なき戦い、コロシアム状態と力のインフレ、
そういう面では実のところ他の作品群と何ら変わらないからだ。
古代ローマのコロシアムから現代の格闘技まで、
我々には他人が殴り合い殺し合うのを見て、
昂揚感を得られる、そういう野蛮の側面を秘めている。
それが一定のルールと秩序に基づき、
その野蛮さ(逸脱)の自覚がある限りは、
我々は野蛮人ではなく文明人で居られるのである。
何故なら秩序なきところには、
それからの逸脱すらないからだ。


ところで「L」もまた行動に根拠動機が見当たらぬが、
彼の場合、描かれなかった部分が多く、
その謎めいた神秘性が彼の人間性に底を与えている。
見えるような底というのは割れているのと大差が無い。
見るたびに深さが変わっているかのような
そういう深みが夜神月には決定的に欠けている。
だから我輩は彼に対して一切共感しえないし、
本作は悲劇でもなければ喜劇でもないと思っている。


デスノート』において主人公の成長はなかったし、
その物語性すらあやしいものである。
我々はその駆け引きの緊張感に熱中したのであって、
夜神月のキャラクターに引かれたわけではあるまい。
また、だからこそ第一部が終わると、
緊張感に疲れたり、あるいは飽きたりして、
読者は少しづつ離れて行ったのだろう。
「展開」に魅せられていたからこそ、
一度開かれてしまえば読み直そうという気にもならず、
無数の流行、ベストセラーがそうであったように、
過ぎ去りしものと容易に化したのである。

●「決断」の背後にあるもの

この続き物の論考で何度も繰り返しているが、
書き手にせよ、読み手にせよ、
彼らの精神の説明を外部的な状況に求めることは、
甚だしい知的怠慢なのであって、
真の問題は主体の心理にある。
近代的自我、個人というものが生み出してきた、
様相にこそ我々は注目すべきなのだ。


自由な社会において、
あるいは19世紀自由主義が必然的に齎したもの、
それは我々が絶えず決断を迫られるということである。
決断しなければ「生」として結実しないのだ。
我々は決断しないことを決断した時すら
決断していると言えるのである。
自由とは無数の可能性があり、
それから我々は選択し決断する状態を言う。
我々は単元的な自由の元で、
多元的な選択をしているのである。


この選択をするのが「私」という主体なのであり、
少々逆説的に聞こえるかもしれないが、
「私」という主体が選択の質を特徴付けるのではなく、
この選択が主体である「私」を性格付けるのである。
この性格の内、選択に迷い中々決断できないことを
我々は「不安」と言い習わしている。
「自由」であるからこそ我々は「不安」に囚われ、
また、そうであるからこそかえって、
我々は不自由なものを求めようとするのである。
しかし、そのような選択、決断はいつだって、
時代に逆行しようとしているのに過ぎないのである。
これが20世紀に起こった諸革命、
つまりファシズムコミュニズムの実相であった。
「反動」と「進歩」と行き先は違うけれども、
「自由からの逃亡」(E・フロム)という根っこは同じなのである。


夜神月の決断における逃避的な性格を指摘してきたが、
逃避という意味では「引きこもり」的な作品群の
主人公と実のところ大差が無い。
それはクライマックスにおける
彼の醜態を見れば分かるのではないか。
あれはおそらく作者が読者を突き放すために、
あそこまで惨めに貶めたのだろうが、
実際、彼の性格上、ああいう破滅以外道は無かったかも知れない。
彼はあくまでも自分の理想にこだわりもしなければ、
己の悪事を良心に照らして反省することも無く、
家族や恋人など愛する者たちのことすら思わず、
ただ死にたくない、と喚き、足掻き、狂う。
彼は結局我が身が可愛かっただけなのだ。
彼の言う善なるものを愛したこともなければ、
彼の脳裏にかすめすらしなかっただろう。
己の運命の外に逸脱することを決断したとき、
運命を避けようとして更なる深みに嵌る。
「引きこもり」たちは自己に立ち返ろうとして迷子になったが、
夜神月は全てから逃れようとして破滅したのである。
果たしてこれを人間性の「進歩」と言えるのだろうか。

●「マクベス」――自己喪失者の起源

夜神月が決断するエゴイストと言うよりも、
彼は自己喪失者なのであることを述べてきた訳だが、
この種の人間の典型や萌芽を
シェイクスピアの『マクベス』に見出すことができる。
副題にあるように我輩は夜神月という人物を
マクベスに比している訳だが、
福田恒存新潮文庫の『マクベス』に寄せた
解題を引用することで
この論考における真意を仮託したい。
「動機論」と同じく少々楽をしたいというのもある。
より正確に言えば、引用だけで事足りるので、
書く方としてはこれ以上の事を付け足すのは苦しいし、
何より書いていて楽しくないのである。

リアは壮大であり、オセローは情熱的であり、ハムレットは高貴である。が、マクベスだけは――ぼくたちは劇中一度もかれの魂の深奥をのぞくこともできなければ、その素朴な表白を耳にすることもできない。かれは始終いらだち、恐れ、せきたてられて、つひに自分自身の姿に立ちかへることをしない。


マクベス』が性格劇になりえなかったゆえんがそこにある。そこには事件がある、プロットは確かに存在する。のみならず詩もあり情緒もある。そして心理も――いや、心理というよりは観念がある。にもかかわらず、マクベスは自己のうちに高く掲げるべき個性の真実味をもっていないのである。


力の弱い者は、一つの悪事を行うのにも、これこそは自分の逃れられぬ宿命であり、絶対不可避ものだという自己催眠を掛けなければ、容易に事を運びえぬのである。したがって、絶えず自己の行為を正当化するために、自分こそは自己本来の歴史を歩んでいるのだという事を己れ自身に納得させようとして、宿命の片影を探し求め、これこそは自分の宿命だった、必然だったと信じて、始めて心の落着きが得られるのだ。


マクベスはたしかな個性が忌み嫌った行為の束縛のうちに、狂気のごとくおのれを駆りやる。というふのは、かれのやうな男は、自己の歴史を自己のうちに内在する力によつて書くことができぬままにたえず心の空虚を感じて、その空しさを満すために外部的な行為の連続として運命を頼り、事件の連なりをもつて歴史の頁を埋めようとこころみるのである。


ハムレットの不安が想像力の過剰に起因してゐるとすれば、マクベスのそれは観念と意識との過剰に過ぎぬ。前者の不安はまた同時に想像力によつて救はれる。が、後者の不安を救ひとるものはなにもない。「ハムレット」はいかに危機をうちに蔵してゐようとも断じて失敗作ではない。が、「マクベス」はあきらかに失敗作だ。なぜなら、マクベスこそは想像力の源泉のそのものを涸らす自意識であるからにほかならぬ。


要するに、「マクベス」劇の主題は不安にある。……現実や他人に対する徹底的な不信の念、自分の地位を揺るがすものが周囲に忍び寄って来るという不安、その地位を守ろうとしながら、ますます破局に陥って行くのみならず、むしろ不安に堪えて、来たるべき破局を待つ事の恐ろしさから、進んで破局に突入しようとする自己破壊的な意思、これらはあくまで現代的なものである。マクベスのせりふの一つ一つが、自己破壊への隠れた意思を示している。彼は破壊によってしか安心できない人間なのである。なぜなら、他人対する彼の不信感の根底には徹底的な自己不信があるからだ。


W・シェイクスピア 『マクベス』 (新潮文庫)
訳者福田恒存による解題より
引用者注:空白部分(改行)は中略の意

●始まり無く終わり無ければ即ち「無」

どうだったろうか。
マクベス』には『デスノート』に
通じるものがあったのではないだろうか。
もちろん『デスノート』の著者が『マクベス』や
福田恒存マクベス論を読んだという証拠は無いから、
全ては憶測に過ぎない。
だが、「おたく」という思考様式は
元より「差異」を強調する傾向にあるが、
「差異」だけを見ていても意味が無い、
そういうことを我輩は言いたいのである。
現代の我々は「近代」を根っこにしている以上、
似たような部分はここかしこにある。
そういう共通部分を無視していては、
おそらく差異すらも掴み損ねるだろう。


夜神月ドストエフスキーラスコーリニコフ
(『罪と罰』)に譬えられる事が多いが、
夜神月のミサに対する思いと違ってラスコーリニコフ
ソーニャに対する思いは本物であり、
遥かに人間味を有している。
彼は過ちを犯したがそれを悔いる程度には、
良心が残っていたのである。
知的な人々ほど概してそうなのだが、
ラスコーリニコフばかりに目が行って、
純粋で善良なソーニャに目が行かないというのは、
人間として困ったものだと思う。
夏目漱石の『こゝろ』などでも、
純粋で可愛らしいお嬢さんをよってたかって
不幸にする屑ども(先生とK)に目が行きがちだ。


どうやら自意識過剰な連中というのは
自意識過剰な人物に共感を覚えるらしい。
それはむしろ必然なのかもしれない。
自意識過剰に陥った人間は、
他人はおろか自分すらも信じ切れず、
だからこそ一時の解を求めて他に擦り寄る。
無論、安住などというものはないから、
そこからさらなる不毛へ、破滅へ
と己を追いやっていくだろう。
夜神月もまた死という「無」への運命を逃れようとして、
結局それに振り回された挙句に自滅した。
「無」という始まりのないものから逃れれば、
行き着くところも終わりもなく、
彼自身すら「無」に帰していくしかない。
夜神月もまたマクベスと同じく
頭上には実らぬ王冠、手には不毛の笏
を得た簒奪者に過ぎなかったのである。

*1:象牙の塔に引きこもって自分達のサークル内にしか通用しないような「倫理」を作って遊んでいたケインズら「ブルームズベリー・グループ」に対するD・H・ロレンスの罵倒

*2:参照:http://www.geocities.jp/wakusei2nd/32a.html