永井荷風「十九の秋」、「妾宅」

当時わたくしは若い美貌の支那人が、辮髪の先に長い総のついた絹糸を編み込んで、歩くたびにその総の先が繻子の靴の真白な踵に触れて動くようにしているのを見て、いかにも優美繊巧なる風俗だと思った。はでな織模様のある緞子の長衣の上に、更にはでな色の幅びろい縁を取った胴衣を重ね、数の多いその釦には象眼細工でちりばめた宝石を用い、長い総のついた帯には縫取りのあるさまざまの袋を下げているのを見て、わたくしは男の服装の美なる事はむしろ女に優っているのを羨ましく思った。*1
 

 
これは永井荷風の「十九の秋」という
随筆に出てくる風俗描写の一部だが、
散人にかかれば野蛮な遺風と見られた辮髪も
斯くも美しく綴られる。
ところで李朝期の朝鮮人たちは
この辮髪を忌み嫌ったらしく、
通信使たちには丁髷も辮髪の一種のように見えたらしい。
髷の留めを解いて後ろに束を流すと
なるほど確かにそう見えない事も無い。
髷自体は東アジアで広く見られた風習であったが、
結わえ方がかなり違うようだ。
この地域は同じ額縁に収まりながら、
内情はモザイク絵と言った所か。
 
鏡台の前で髪を梳いたり
結んだりしているのを見るのが好きだ。
器用に束ねられた髪が解ける時の
花火のようにパッと広がる様や、
形の良いタイのように結ばれていくのは、
まるで手品を見ているような心地がする。
手芸の一つに加えても良いかもしれない。
 

小走りの下駄の音。がらりと今度こそ格子が明いた。お妾は抜衣紋にした襟頸ばかり驚くほど真白に塗りたて、浅黒い顔をば拭き込んだ煤竹のようにひからせ、銀杏返しの両鬢へ毛筋棒を挿込んだままで、直ぐと長火鉢の向うに据えた朱の溜塗の鏡台の前に坐った。カチリと電燈を捻じる響と共に、黄色い光が唐紙の隙間にさす。先生はのそのそ置炬燵から次の間へ這出して有合う長煙管で二、三服煙草を吸いつつ、余念もなくお妾の化粧する様子を眺めた。先生は女が髪を直す時の千姿万態をば、そのらゆる場合を通じて尽くこれを秩序的に諳んじながら、なお飽きないほどの熱心なる観察者である。まず、忍び逢いの小座敷には、刎返した重い夜具へ背をよせかけるように、そして立膝した長襦袢の膝の上か、あるいはまた船底枕の横腹に懐中鏡を立掛けて、かかる場合に用意する黄楊の小櫛を取って先ず二、三度、枕のとがなる鬢の後毛を掻き上げた後は、捻るように前身をそらして、櫛の背を歯に銜え、両手を高く、長襦袢の袖口はこの時下へと滑ってその二の腕の奥にもし入黒子あらば見えもするやすると思われるまで、両肱を菱の字なりに張出して後の髱を直し、さてまた最後には宛ら糸瓜の取手でも摘むがように、二本の指先で前髪の束ね目を軽く持ち上げ、片手の櫛で前髪のふくらみを生際の下から上へと迅速に掻き上げる。髱留めの一、二本はいつも口に銜えているものの、女はこの長々しい手芸の間、黙ってぼんやり男を退屈さして置くものでは決してない。またの逢瀬の約束やら、これから外の座敷に行く辛さやら、とにかく寸鉄人を殺すべき片言隻語は、かえって自在に有力に、この忙しい手芸の間に乱発されやすいのである。先生は芝居の桟敷にいる最中といえども、女が折々思出したように顔を斜めに浮かして、丁度仏画の人物の如く綺麗にそろえた指の平で絶えず鬢の形を気にする有様をも見逃さない。さればいよいよ湯上りの両肌脱ぎ、家が潰れようが地面が裂けようが、われ関せず焉という有様、身も魂も打込んで鏡に向かう姿に至っては、先生は全くこれこそ、日本の女の最も女らしい形容を示す時であると思うのである。*2
 

 
これは同じく散人の筆による「妾宅」の一部分だ。
数ある散人の随筆の中でも出色の出来だと思う。
その文章の美しさと、
散人の批評精神や思想が
それを貫く芯の様に表れている。
 
髷という風俗も今ではすっかり廃れてしまったが、
我輩にはイケメンやカリスマ美容師などの
髪型、散髪は上っ面を変えてるだけの
表層で差異化を図っているようにしか見えない。
結った髪の粋で締まった様に比べれば、
散髪の字の如くただ散らかしているように思える。
なるほど確かに長髪は維持が大変であるし、
髪結は煩雑面倒であるが、
そういう指摘こそが無粋というものであろう。
 
我輩は昔は良かった式の
安易な懐古趣味には反対なのだが、
確かに昔は良かったと思う。
ただ、今も良いと思う。
未来の事は分からない。
何かを否定して成り立つような価値は
信ずるには足り得ない。
 
昔が良かったというのは今に比して
それが優っていると言うのではない。
それが一時代に見合った風俗文華が
咲き誇っていた所にその美があると言っているのだ。
今という時代は
時代の高さばかりが我々を蓋ってしまって、
時代と調和した文物を持ってはいないだろう。
それでも今在る物が明日在るのあろうかと思う時、
日ごろ軽浮と嫌う物すらも
哀惜の念が生じるのは何故であろうか。
絶えず不安と否定に揺れ動く中にあっては、
我輩は肯定を欲しているのであろうか。

*1:引用元:『荷風随筆集』下巻 岩波文庫

*2:引用元:同上