朝日新聞社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」

8月は一年で最も重苦しいようで、
実の所、最も浮ついた時期なのではないかと思う。
誰も彼もがこの時期になると、
あの戦争の事を思い馳せる様になるらしい。
陰惨な悲劇も年月を経ることで、
ただの年中法事と大差が無い様になった。
 
キリスト教徒でもない大多数の日本人が、
この時期になるとまるで集団で懺悔でもするように、
皆一様に同じポーズをとる。
信仰心も無い癖に霊験だけは有難がる、
そのあさましさには目を背けたくなる。
 
戦争を思うと言うのであれば、
別段、この時期に特別な思いを馳せる必要は無い。
あの忌々しい戦争が始まったのは、
冬の12月の頃であった。
真珠湾奇襲にマレー沖海戦の華々しい成功に、
国民の誰もが歓喜していた。
戦後、左翼に転じた者でさえも、
胸がすぅーっとなるようだったと書き残している。
 
この年中行事に変化を付けるためだろうか、
朝日新聞の日米開戦を反省する社説を書いていた*1
NHKはまるで年末の忠臣蔵のように
真珠湾奇襲について放送していた。
あの戦争に対して反対した人が居なかった訳ではないが、
その多くはあまりに無力であった。
あの戦争で不幸にならなかった人、
脛の痛い部分の無い人などほとんど皆無である。
肝要なのは運命の前に
人間や個人など風前の灯に過ぎぬと言う事だ。
 
僕はこういう軽佻浮薄な主戦的な風潮も、
現代の平和運動の風潮も
反吐が出るくらいに嫌いだ。
平和運動家とやらが、
何故レバノン事変やダルフール虐殺に
無関心であり続けたのか私には理解に苦しむ。
彼らは現在を見ない。
平和の実現と言う未来を掲げてはいても、
実際には過去しか見ていない。
 
平和運動とは厭戦以上の意味は持たない。
それは戦争が起きて初めて生じうるものであって、
戦争の無い地域においては、
本来は力を持ちえぬ運動であった。
平和とは戦争が無い状態を示すのみなのであって、
それは積極的意味を持たない。
この消極的な概念に積極的な価値を認めたところに、
この概念を祭り上げる運動の欺瞞がある。
 
戦後において果たされたのは、
平和の倫理化、道徳化であり、
我々はそれについて考える力を失った。
何故か、倫理とは命令であり、
そこに一切の論理は含まれない。
つまり、絶対的なる物として捏造されたのである。
戦前の天皇が今日の憲法なり、
平和なりになったのであって、
根本的に何ら変わりない浮薄さが漂っている。
 
いや、天皇ですらも根本では何も変わっていないではないか。
象徴天皇は果たして人と言えるのか。
人間をわざわざ宣言せねばならぬ者が、
果たして人間の、一己の人格を有した人間と言えるのか。
神と象徴にどんな違いがあると言うのだろうか。
私たちは今も天皇を一己の人間として
尊重などしてはいないだろう。
 
私は8月15日に靖国神社に参拝する意味も分からない。
8月15日は玉音放送以上の意味は無い。
それ以降も組織的抵抗は見られたし、
ポツダム宣言の受託であれば14日になり、
国際法の観点から見れば*2
実際の終戦は降伏文書調印の9月2日になる*3
 
麻生太郎外相が言う様に、
あの日に行く意味は教義上何の意味も無い。
行くなら秋の例大祭などが普通だ。
右も左もこの心理的、主観的な意味しか持たぬ、
8月15日に特別な意味を見出したがる。
天皇を嫌った丸山真男ですら、
あの日に特別な意味を求めていた。
人の愛憎とはまこと度し難きものである。
 
誰も彼もが、己を過大評価したがる。
知人のブロガーがレバノン事変を受けて、
イスラエル政府に対して抗議の日記を書いていたが、
それは一体何の意味になると言うのだろうか。
誤解を恐れずに言えば、
あの事件に対して自分が反対したと言う
アリバイ工作程度の意味しか持たぬのではないだろうか。
要するに気休めである。
我々はあまりに無力だ。
そして、その無力さから目を背け、
理想を掲げて後ろ向きに歩く姿は、
平和運動の特徴とすら言えよう。
 
私はそれを責めているのではない。
だが、人間の名の下において、
一体如何なる宣言が、命令が可能であろうか。
現実に問題を解決しているのは、
そうした文学ではなく、政治である。
それはたとえ酷薄なものであっても、
現実にはそれに頼る以外術は無いのだ。
圧倒的なイスラエル軍
蹂躙されたレバノン国民にとって
それは何よりも残酷でありながら、
それが唯一の希望となっていた。
 
無防備マン」というマンガがあるが、
その思想の異常さを指摘されることが多い。
だが、私はそれを異常であるとは見なさない。
あの思想はまさに憲法前文の体現ではないか。
それは今の現状を包み隠さず伝えているという意味では、
欺瞞や誤謬を超えて真理であろう。

日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。


日本国憲法前文には、
我々は諸国民の公正と信義に信頼して、
それに身を委ねると書いてあるではないか。
何の事は無い、「無防備マン」こそが、
現在の憲法の常道なのである。
日本国憲法は誠実に解釈すれば、
いや、どれほど拡大解釈しようとも、
自衛権を認めては居ない。
集団的自衛権にいたっては何をいわんやである。
今のレバノン国民は無力であるが故に、
国際社会を構成する諸国民の公正と信義に
依存という意味で信頼せざるを得ない。
果たして我々にそれほどの覚悟があるのであろうか。
 
平和を謳う人々に言わざるを得ないのは、
あなた方は米軍が信用できるのかと言う事だ。
右も左もアメリカが我が国を
攻撃する事ほとんど考慮していない。
これこそ平和呆けというものだが、
さらに意地悪く言えば、
仮に自衛隊が国家に反旗を翻し、
軍事国家を形成した時でさえも、
その信義に信頼する事ができるのだろうか。
 
今日の我々は人間の名にもとに行動しているはずである。
多くの人にとって絶対者たる神の御名は
大きな動機とたりえなくなっているはずだ。
神の御許を離れた我々が知ったのは、
人間の絶対性などでは断じてない。
我々が有していた絶対性を保障していたものが、
我々から離れた神に他ならなかった事を
前世紀に我々は痛感したのではなかったのか。
絶対者を引き摺り下ろした事で、
我々自身もが奈落へと落ちた。
それがヒューマニズムの悲劇的な結末ではなかったか。
ニーチェの「神は死んだ」と言う言葉を字面のみをなぞるのではなく、
彼が何故そう叫ばずにはいられなかったかを
我々はもっと思い至るべきではないのか。
 
絶対なるものなど何一つ無い。
神ならぬ人の名において、
一体如何なる絶対を掲げる事が出来ようか。
平和運動の錯誤は、
平和を神や絶対の代替物として、
全てに優先するものとした所にある。
我々が自覚すべきは、
それが欺瞞である事、
我々が卑小で無力である事だ。
我々の無力さを認めて、
初めてその運動は始まったと言えるのではないか。
平和を絶対視し、己の無力を省みない事は、
それは単なる自己欺瞞や自己劇化、
自己正当化の意味しかないのではなかろうか。
 

*1:参照:2006年12月09日(土曜日)付朝日新聞社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」http://www.asahi.com/paper/editorial20061209.html

*2:サンフランシスコ平和条約の時点と言う見方や沖縄返還という見方もある

*3:これすら厳密では無いという見方もある