人形についての断章

神はその似姿として人を作ったという。
それは土くれで出来た人形だった。
我らは自然より切り抜かれ、
魂を与えられた。
故に我らは生まれながらにして、
自然からは隔てられた存在である。


ローゼンメイデン』というアニメがある。
生きた人形(アンティーク・ドール)の少女達が、
完璧な少女「アリス」を目指す物語だ。
そして、彼女達は「アリス」という夢を
果たそうとして果たせなかった失敗作だ。
我々が神に似せて作られたにもかかわらず、
神になれなかったように。
彼女達もまた不完全な意匠なのだ。
ちなみに話自体はシリアス・コメディで、
心理描写に定評があるコアな漫画(原作)、アニメだ。


割礼と呼ばれる風習がある。
男子に限らず、アフリカでは女子にも行われている。
アフリカのある部族の人々は、
男の包茎を女性、女の陰核を男性とみなし、
人間を先天的な両性具有*1と考えている。
それで、彼らは一定の年齢になると、
大人になるための通過儀礼として割礼を行う。


神を両性具有だと見なす部族もある。
つまり、人間は男と女に分かれており、
それを不完全な状態であるとしている。
そして、両性具有が「完全」であると見なしている。
神としてではないが、
両性具有は幻想や神秘の象徴として、
19世紀デンマークではよく描かれたモチーフだ。
そう珍しい事ではない。
もっとも、キリスト教絵画では、
イブを誘惑した蛇*2
両性具有として描かれるから、
良い意味ばかりではないようだ。


人形と偶像はどこで隔てられるべきか。
それは分身と化身の違いであり、
自己陶酔と神との一体感(恍惚)の違いであろう。
人形も偶像も意味するところ、
同じ「象徴」であるが、
その方向性の違いが両者を区別する。
人形は人間のナルシズムの現れであり、
偶像は神への不渇の愛である。
あるいは、人形は人間の優越感の確信であり、
偶像は人を超えたものへの憧憬であろう。


パラドキシカルではあるが、
もし私が完全な人形を作るとしたら、
それはおよそ人とは似て似つかないものになるだろう。
それは男でも女の姿をもしておらず、
無性の存在であり、
一切の特徴を排したものである。
完全なものとは何ものにも似ず、
また何事にも特定されないものである。
それ故にそんなものは何処にも無い。
そして、ものがあるということは、
同時に何かの制約を受けているということでもある。

*1:一般的な意味合いとは異なる

*2:サタン