永井荷風「妾宅」

近代化とはヨーロッパの強制の結果であり、
前近代の眠りを覚ましたのは黒船であった。
仮に黒船が来なかったのならば、
いまだに江戸時代が続いていても不思議ではない。
それほど「近代」という時代や精神は「特殊」な物なのである。
「普遍」や歴史法則という必然的運命ではなく、
この「特殊」が大勢を占め、蓋然的運命となっているのだ。
そして、我々非西洋の人間が不幸なのは、
西洋において歴史的に必然として現れた「近代」が、
我々にとっては黒船という偶然の産物に過ぎない。
我々は自身で覚めたのではない。
他者たる西洋に覚まされたのである。


我輩はこの近代化が強制の結果に過ぎない事実を以って、
その普遍からの逸脱を主張するのではない。
それはどのような物であれ時代錯誤の謗りを避けられないだろう。
反動と急進の向きの差はあっても、
安易な復古思想は何ら未来賛美の進歩思想と変わりが無いからだ。
我々は率直に現実を受け入れよう。
改革とは理念ではない。
それは現実への対処に過ぎない。
理念が先行する改革は常に現実から乖離していく。
現在に至るまでを運命として諦め、認めることで、
社会と時代の変化に漸次対応して行くことが出来るのである。
時の流れに社会の変化に自身を対応させていくのだ。
この過程が真の意味での改革であり、改良なのである。
我々が真に現代を理解したいのであれば、
それは我々自身を見つめなければならない。
まず、我々自身が省みる必要があるのだ。


こうした社会の変動が著しく激しかった時代、
すなわち明治時代であるが、
この近代化の導入期に生きた、
永井荷風は極めて特異な作家である。
明治から昭和まで長きに渡って活躍し、
前近代の「情」と近代の「理」を兼ね備えた作家であった。
そして、「理」の世界から逃避しながら「理」を失わず、
「情」の世界で生きながら「情」に埋没しなかった。
それ故に「情」の側からも、
「理」の側からも甚だしき誤解を
終生、否、今日に至るまで受けている。
理解を得ぬ内に風雪が彼を埋没させてしまった。


さて、本題の「妾宅」であるが、
「妾宅」はなんとも奇妙な随筆である。
「妾宅」は、彼と筆者の視点で描かれており、
ところどころで視点が渾然として定かではない。
これは、三人称で描かれた随筆とも読めるし、
一種の心境小説としても読む事が出来る。
この彼こと、珍々先生が架空の登場人物、
キャラクターであるのか。
それとも、この筆者の視点が架空のもので、
自身を客観化して書いたのか。
あるいは、両方ともが筆者の創造によるのか。
「妾宅」は著者の実生活を少なからず写したものであり、
珍々先生は明治時代の一文士であるらしい。


珍々先生は、どうしても心から満足して
世間一般の趨勢にそって生きる事が出来ないと自覚している。
そのため厭世的に独り空想の日を送る事が多くなった。
というのも、今の世の中には
面白い事が無くなったというばかりでなく、
見たくでもない物の限りを見せつけられるのに
堪えられなくなったからだ。
そして、先生は、大隠が市に隠れるように、
妾宅に心の隠家を求めるようになった。


先生の隠れ家である妾宅は、
上り框の二畳を入れても、
僅か四間ほどしかない古びた借家である。
まるで、隠者文学の鴨長明の方丈の庵のようだ。
この隠家は、狭い上に薄暗く湿っている。
同じ隠れ家でもロシアの女帝のエルミタージュとは
およそ天地の差があるが、
先生はこの薄暗く湿った家を
存外気に入っているようである。


描かれた季節は冬らしい。
先生は独り燈火のない座敷の置炬燵に肱枕して、
隙漏る寒い川風に身振いしながら、
成功主義の物欲しい世の中の
西洋にかぶれた俗物を皮肉り、
江戸時代の民衆文学者、風俗画家に思いを馳せて、
この日本の家の寒さを称えている。


先生は今風に改良された邦楽を非難する。
先生によれば、
江戸音曲の江戸音曲たる所以は、
時勢のために見る影もなく踏み躙られている所にあり、
時勢と共に進歩して行くことの出来ない所にある。
傷々しい運命から生じる無限の哀傷こそが、
江戸音曲の真生命であるとする。


先生は、自身のセンチメンタルにも、
自虐的にも、厭世的なかかる詭弁的精神の傾向が、
破壊的なるロマンチズムの主張から生じた
一種の病癖であると考えてはいるが、
決して改悛する要なしと思っている。


先生の妾は、元は吉原の芸者で、
まったくの文盲である。
そして、社会のあらゆる迷信と偏見と虚偽と不健康とを
一つ残らず遺伝的に譲り受けている。
「さうだ。さうだ」と、
妾の欠点を淡々と書き連ね、
平凡に過ぎないとしながら、
食事の物哀れな姿であろうか、
とその美しさを称える。
平凡な日常の女の美しさこそが、
日本の女性の美しさであり、
女子大学を出た細君の生活や、
イプセンのノラをひきあいに、
新しい西洋的な女性を批判している。


先生は今風のものを嫌悪している。
妾宅の家具に今の職人の請負仕事を嫌い、
火事になる前の吉原の廃業する芸者家の古建具を買い取り、
食事の折には一切、新時代の料理屋又は
小待合の座敷を連想させるような食卓を用いる事を許さない。
まったく意固地である。


食事に描写は非常に大胆である。
小さな汚しい桶のままに海鼠腸がのっているとか、
赤味がかった松脂のようなものあるのはカラスミであるとか、
海鼠の色を下痢した人糞のような色を呈していると描写する。
その描写は自然主義文学のように
醜悪、瑣末な物をあるがままに写実しながら、
賤しいもの、汚らわしいものを美しく描いている。


この衛生から遠くかけ離れたものに、
美味を見出すように、
日本で真に優れているのは、
戯れ遊ぶ俳句、川柳、端唄、小噺の如き種類の文学であるという。
それらは、放屁や小便や野糞まで詩化する。
粗野で下品な下がかった事をユーモアとして取り扱う、
日本独自の文化であるとする。
先生も皮肉っぽく口から出任せの戯歌を詠み、
当代文明を批判する。


文明批判が終わって、
妾宅の場面に戻り、
断りが入ってはいるが、
唐突に筆が置かれる。


この随筆は、枕草子のおかしさ、
源氏物語もののあはれ
隠者文学の厭世的仏教思想、
江戸文学の浮世など、
伝統的な日本文学の系譜を彷彿とさせる。
この珍々先生というふざけた名前も、
おそらく江戸の民衆文学、戯作のパロディーであろう。


荷風は、西洋的な知識を身に付けた文人である。
明治期には極めて珍しかった海外留学を、
私費で約5年間ほど経験している。
エミール・ゾラ自然主義文学*1 に一時期傾倒し、
ゾラの「地獄の花」を紹介している。


しかし、西洋的な小説である
私(一人称)小説を生涯書かなかった。
この随筆においても、
私語りが為されていないのは、
その忌避のためであったのかもしれない。


荷風は漢学一家の下で育ち、
極めて漢籍に通じていた。
この辺は、同じく海外に留学した経験を持つ
夏目漱石森鴎外らと同じ様な境遇である。
しかし、彼らと同じ様に西洋への憧憬を持ちながら、
直接経験を経て、筆者が何故ここまで激しく、
徹底した西洋化批判を行ったのだろうか。
この心理は現代の我々にとって極めて複雑だ。


彼の反近代は近代を否定するものではない。
彼は終生西洋の近代への
特にフランスへの憧憬を抱き続けた。
彼が忌避したのは日本の近代化なのであって、
彼の批判が有効であるのは
日本の近代主義に対してなのである。
これは鴎外や漱石などにも言えることだ。


本来、反近代と近代はともに近代の思想であった。
私が右左を問わず、嫌悪感を抱かざるを得ないのは、
その片方の側面のみを強調して述べる、
彼らの思想的な態度だ。
現在に至るまでの甘美と辛酸を嘗め尽くしてこそ、
我々は自身の運命を受け入れたと言えるのである。
一面を殊更強調する肯定も、否定も
甚だしい自己錯誤に陥っている。
こうした錯誤とは無縁であったが故に、
私は荷風を好んでいるのであり、
私自身に懐古趣味は一切無い。


知性や思想は実業や権力と違い、
遥かに誤魔化しの効くものである。
それ故に我々はこうした精神や知性に
過度の期待や評価をしてはならない。
知性はそれ自体を疑うが故に、
その自律性を保つのであり、
その点において信仰と区別されうるのである。
荷風は権力と社会に背を向けたが、
荷風が知性を絶対化する人々、
つまり知識人階級にもまた、
背を向けた事を忘れてはならない。
世捨て人とは反権力の人間などではない。
彼は権力と反権力の両方とに背を向けているのだ。

*1:福田恒存の解釈では、自然主義ではなく、観念小説であるそうだ。彼は荷風自然主義に傾倒した時期は無いとまで言い切っている。そうだとしても理知的な文章である。彼の澄んだ目は鋭利な視線を送っている。