F・ブローデル『物質文明・経済・資本主義 日常性の構造』

最近、フェルナン・ブローデルという
フランスのアナール学派の中心的な歴史家の主著である
『物質文明・経済・資本主義 日常性の構造』を読みました。
多少オーバーに表現すれば、それは私の蒙を啓いてくれました。
特に感銘を受けた部分を要約すると以下のとおりです。
なお、引用と銘打ってない部分は要約です。


食事においての贅沢を考えると、ヨーロッパの場合、15〜16世紀以前においては、贅沢な(洗練された)食事は存在しなかった。それ以前においては、肉や酒が山ほどあるというような「量」が贅沢の基準であり、料理の質は二の次であった。また、料理のマナーや礼儀作法といったものもなく、人々は貴賎に関わらず、手づかみで食べ、グラスも使いまわしにしていた。
さらに15・16世紀以前においては、非常に裕福な人々たちだけでなく、庶民も牛、豚、魚などを日常的に食べていた。1350〜1550年の間、ヨーロッパは庶民の生活にとって幸福な時代であったといえる。それは黒死病の大流行直後であり、労働力が手薄になったため、働く者にとっては生活水準が必然的に良好であっためである。


歴史を深くさかのぼるほど庶民生活の水準は不幸に落ち込んでいく、といった考えはまったくの反対である。庶民の生活の質は、中世から先に進むにつれて低落していき、19世紀中葉まで(東ヨーロッパの一部、とくにバルカン半島においては20世紀半ばまで)質の悪化は続いた。


肉の消費量は1550年ごろから1850年ごろまで、穀物の価格が高騰し余分な買い物をする余裕が無くなってしまったため減少の一途を辿った。1550年には、農民は毎日肉をふんだんに食べていたのが、1829年には、庶民は塩漬け肉を週に一回食べるのがせいぜいになってしまっている。これは人口の増加により、家畜の数が相対的に減少してしまったからであり、この点において、恵まれない国でも富める国より生活が豊な国が多かった。


生活水準は、つねに住人の数と彼らが利用しうる資源の関係によって決まる。*1


この一節、特に点線をうった部分には大変に驚きました。
我々の多くの歴史観では、近現代に近づくほど
庶民の生活水準は向上していく*2発展史観的な発想が実に多いです。
ちなみに有史以来最も多くの餓死者を出したのは20世紀です。
必需品と贅沢品はとても入り混じっていて、
何が贅沢で、何が平均的なのかは示すのは大変難しいのですが、
この、ブローデルが示した、
生活水準における公式(法則)
“生活水準は、つねに住人の数と彼らが利用しうる資源の関係によって決まる”
は、この理解に大変有効であると思います。


ブローデルは20世紀フランスを代表する歴史家で、
イスラム圏やアジア諸文明に極めて偏見的で、
無知や誤解を持っていましたが、
中世ヨーロッパに関して驚くほどの博識を持ち、
彼のこの一節で示した考察は、
それを補って余りあるほどの素晴らしいものでした。
かなり分厚い本なので極一部分しか読んでいないのですが、
機会があれば目を通しておこうと思いました。

*1:引用者注:マルサスの『人口論』にもあるように、人口は幾何級数等比数列)的に増加するが、食糧生産は算術数(等差数列)的にしか増加しないのである。

*2:例えば、縄文時代に“不安定”な肉食であったのが、弥生時代に入って、稲作によって“安定的”な定住生活に移ったというような言説。