藤原正彦『国家の品格』

国家の品格』を良書だと思った人々に対して、
どのように話せば分かって貰えるだろうか、
どれくらい言を尽くせば納得していただけるであろうか。
細かい誤りを指摘したとしても、
多くの人は見向きもしないでしょう。
何故なら彼らが受け入れたのは、
元より省みられる事無い、
消費物としての思想なのですから。


この低俗な本を最初に読んだ時は、
怒りすら覚えましたが、
今ではただ呆れるばかりです。
人々はどうしてこのような面白くも何とも無い本を
好き好んで読み、また賛美する事になったのか、
本書への反駁と共に考察してみたいと思います。


私の師はよく私に言いました。
紙背を読め、行間を見ろ、
書かれた物ではなく、
如何にして書かれたかを考えなさいと。
私は今日までそのように努めて参りましたし、
本書に対してもそのように向かい合いました。


本書を賛美する人々は言います。
先入見にとらわれず虚心坦懐に読め、
論旨を掴み、その心部こそを理解しろと。
私は本書の細部もさることながら、
その論の中核にも呆れてしまい、
そのようなものを認める事は到底出来ないのです。


私は本書の問題意識の幼稚さと安直過ぎる解答に、
思わず、マッカーサー
「日本人の精神年齢は12歳」
と言う言葉を思い出してしまいました。
腹立たしい言葉ではありますが、
本書と本書の支持者を見る限り、
あながちただの偏見とも言い難いようです。
思えば、100年遅れの近代化を達成した我が国が、
かの国の時代精神と同じ成熟度である訳が無いのです。
これは後進国のさだめと言えましょう。


本書は一種のエリート論であります。
その事は多くの読者が認める所でありましょうが、
果たしてその中に本書の言う所のエリートが
どれほどいると言うのでしょうか。
そもそもこのエリートは
大衆を蔑視する所を礎としております。
なのにどうしてここまで
本書を賛美する事が出来るのでしょうか。
大衆は馬鹿にされ、蔑まれ、見下されているのです。


思えば、我が国に「大衆」なる語を持ち込んだのは、
支配階級から落伍した知識人達であります。
支配者にも被支配者にもなれなかった彼らは、
その中間として知識人階級なるものを捏造したのです。
無知蒙昧なる愚民に教えを垂れんとする彼らの態度は、
啓蒙の時代の終焉した現代にとって、
アナクロニズム以外の何物でもありません。
本書と著者はその残滓でありましょう。


本書では愚民や大衆、畜群などと言った単語は出ず、
代わりに「永遠に成熟しない」のが
国民であると述べられています。
これは一種の誤魔化しでありましょう。
評論家の呉智英は、
「近代社会・民主主義社会は、バカという罵倒語を
 本来的に許容しないのではないか(中略)
 なぜならば、民主主義とは一言で言えば、
 馬鹿は正しい、という思想だからである。
 バカという言葉は社会の根幹に関わる罵倒語なのだ」
と述べています。
そう考えると著者は自身が批判する当の社会に
どっぷり浸かっていると言えるのではないでしょうか。
侮蔑感を抱きながらそれをサベツ語を用いて語らない、
ある意味、著者は健全な人なのでしょう。


さて、本書の読者の多くは大衆でありましょうが、
その馬鹿にされた大衆は何故怒らなかったのでしょうか。
それは欧米への劣等感と
その屈辱に塗れた精神を慰撫する作用が
少なからず本書にあったからだと思われます。
しかし、それは現実からの単なる逃避であり、
精神に対する阿片に過ぎないのです。
確かに一時期的に痛みを忘れる事が出来るでしょうが、
それは傷病の根本的な治癒には繋がりません。
そして、藪医者の著者は、
現在の我々の問題の責任を欧米に押し付け、
八つ当たりのような反感を
欧米に対して向けさせたのであります。
本書の解答は問題の解ですらなく、
問題への視線を逸らす、
一時の気休め程度にしか意味を持たないのです。


そもそも何故日本が優れている事を述べるのに、
欧米を否定しなければならないのでしょう。
それは我々の劣等感の裏返しであり、
また、その欧米の優越性を
認めてしまっている事に他なりません。
そして、何よりその代替物たるを示し、
日本のものが代替できる事を証明して、
初めてその優秀さが確立されるのです。
ところが、結局のところ本書では、
何一つとて示される物が無いのです。
そもそもその証明方法からして西洋由来であり、
その方法を用いて我々の優越性を証明した所で、
逆説的に西洋の優越性を益々強固にするだけでありましょう。


歴史的に有していた我々の価値を保つ事は
もちろん悪い事ではありません。
しかし、日本の近代化とは西洋化に
他ならなかった歴史的事実を忘れてはなりません。
その過程でアジア的な内発的近代化の可能性としての
大東亜共栄圏の試みがあったのであり、
その挫折後に人々の心を掴んだのが、
あのマルキシズムでありました。


冷戦が我々にとって勝利ではないのは、
それは我々が心情的にも、精神的にも、
多分にマルキシズムの影響を受けていたからで、
また、所謂文化人や知識人の多くは左翼でありました。
知識人の多くにとって91年とは、
第二の敗戦に他ならず、
知識人達は深刻な精神の虚脱状態に陥ったのです。
誤解を恐れずに言えば、
進歩的知識人達にとって、
95年の黙示録的風景、
地下鉄サリン事件阪神淡路大震災は、
さして衝撃を与えなかったでしょう。


奇しくも、91年の冷戦の終焉には、
日本のバブル崩壊が重なり、
その精神的敗北感に、
経済的な不調が追い討ちをかけたのであります。
風潮こそ暗い時期に差し掛かっていた訳ですが、
おそらくそれはインテリほど、
浮世離れした動機でありましょう。
彼らが祭壇に祭り上げていた物が脆くも崩れ去り、
それと同時に彼らが持っていた権威なり、
錦の御旗なりが無くなってしまった事に
彼らは慌てふためいておったのです。
つまり、彼らは社会の現状に、現実に心を痛めているのではなく、
自身の信念や理想と現実との乖離に心悩まされていたのです。


かつて、ある種の楽観的な進歩主義
日本人の多くが信じていました。
その進歩思想がロマン的な未来賛美を生み、
それがもはや信じられなくなった昨今においてすら、
改革主義とでも言うべき残滓が残りました。
社会や経済が行き詰まりを見せて、
ようやくその進歩への懐疑が生じたのであります。
今日の精神的混乱は、
未来が過去よりも良くなる、
そうした進歩の思想の反動が、
今になって寄せて来ているのでしょう。
しかし、この反動と呼ぶべき復古思想も、
安直さにおいては前者と何ら変わらず、
ただ現代の苦しみから逃避しているに過ぎません。
これでは問題の根本的解決はおろか、
問題そのものを見失いかねないでしょう。


かつて、近代に生きた優れた知識人達は、
日本の近代化の矛盾や贋物性に苦悩し、
葛藤し、それに向き合わざるを得ませんでした。
しかし、彼らの多くが西洋を知った人々であり、
一面ではその受容を促進していた人々でもあります。
この痛ましいまでの矛盾と葛藤を
近代が終わってしまった我々には
彼らほどの切実さを以って理解する事は出来ないでしょう。
しかし、それを辿る事は出来ます。
それは苦悩と懊悩の足跡であります。


ところで、ある人が
何故苦悩を持たなければいけないのか、
と私に質問した事があります。
苦悩しないのに何故疑問を抱く事が出きるのでしょうか。
そもそも苦悩しないのであれば、
現状を批判する必要など元より無いのです。
批判は苦悩を起因とし、
それ故に批判には時として憎悪が隠れているのです。
私のレビューにもそうした感情が含まれています。


我が国において近現代史
学校教育において学ばれないのは、
一つには歴史教科書の問題があります。
しかし、それは表向きの理由でありましょう。
確かに、植民地支配の後ろめたさから
贖罪史観とでも言うべき歴史が、
支配的である事も事実でありますが、
そこには隠れた優越感があるのです。
つまり、我々が彼らより先進国であると言う自負です。
後進国発展途上国などと呼ぶ
連帯的思想の背後においても、
優越感が深く根ざしています。
蔑視する側も連帯しようとする側も
根底では何ら変わりが無いのです。


もう一つは別の隠された心理的要因があります。
それは欧米に対する劣等感でありましょう。
欧米人は彼らの伝統と歴史の上に
その近代化を達成したのでありますが、
我々の父祖は自分達の伝統や歴史的価値を否定して、
西洋の近代を純化させて移植したのです。
短期間の内に達成された日本の近代化は、
痛ましいほどの自己否定を宿命的に孕んでいました。
後の国粋思想が文明開化を全否定の対象に
せねばならなかったのはこうした理由からであります。


近現代史は苦悩と葛藤の歴史でありました。
我々の父祖は驚くべき速さで近代化を達成し、
欧米人達もが驚くほどの熱心さと無邪気で、
彼らの文物を賛美し、吸収して行きました。
ところが、日本の近代化が一段落する頃には、
すでに西洋は近代の限界を自覚し、
ついにはその近代を終焉へと導いてしまったのです。
作り出した者達が懐疑し
それを信じなくなってしまっていたにも関わらず、
父祖達はそれを信じなければなりませんでした。
ここに現代に至るまでの悲劇の源泉があったのです。


近代も、近代の限界の自覚や、
近代に対する懐疑すらも、
我々は西洋人に教わらなければなりませんでした。
西洋人がその強靭な批判精神によって、
自己を否定し、近代を超克しようとしていった頃には、
もはや何もかもが遅すぎました。
自分達が絶対化し規範化した西洋が綻び始めた時、
父祖達にはもはや心の寄り辺となる思想や、
帰るべき伝統や歴史的価値を喪失してしまっていたのです。
この知的精神的自己錯誤の果てに
戦後「悪名高き」と評された、
「近代の超克」論議が起こりました。
竹内好先生のこの論議を評した「近代の超克」には、
著者のような錯乱した知識人達が描かれています。
著者は彼らの二番煎じと言った所でしょう。


本書の著者は西洋の限界を示して、
日本的なるものへの回帰を訴えているのですが、
考えてみれば妙な話であります。
我々が受け入れたのは西洋そのものではなく、
西洋の文物を純化させたものに過ぎません。
あくまでも問題は我々の内にあるのです。
それは我々が今まで受け入れて来た価値への懐疑であり、
あくまでも内にしか向いてない問題なのです。
それを外に見出すのは甚だ自己錯誤的でありましょう。
私達が真に懐疑し、否定すべきは
西洋そのものではなく、我々が受け入れた物なのです。


最近、私は福田恆存氏が編集、解説した
『反近代の思想』という本を読む機会を得ました。
そして、この本に寄せられた反近代の思想が、
本書の紙背にあるものと近似するように思えたのです。
そして、福田氏による優れた解説を二点部分的に引用する事で、
私の意見を代弁してもらいたいと思います。
福田氏の真筆でない可能性があるのですが、
簡潔で優れた近代論ではあります。


以下、『反近代の思想 現代日本思想体系32』 筑摩書房 
福田恆存氏による解説から引用

われわれは近代の確立と同時にその克服を課題としなければならない。そういうことはいったい可能なことなのか。克服とはその限界を知った上ではじめて言えることである。が、限界を心得つつその確立に専念するなどという器用な真似がはたして可能か。
 にもかかわらず、そのような矛盾にみちた道程を歩んできたことのうちに、近代日本の、別様にありえなかった現実があったのであり、鴎外や漱石小林秀雄の一元化できない多様な姿勢も、かれらの知性がこうした複雑な現実に鋭敏に反応したあらわれといっていいだろう。ある場合には、彼らは西欧の近代文化の輸入の推進者であり、啓蒙家でさえある。が、また別の場合には、きわめて強靭な反西欧的役割を演じている。かれらに共通することといえば――それは荷風についても、唐木順三についても言えることだが――およそ安易な解決策を提出していないことだ。はじめから混乱を救うすべはないのである。混乱の唯中に停止し、混乱そのものを正視するしかない。自分たちの現実から遊離してただただ「外発的」にヨーロッパの近代を受け入れてきた結果日本が陥った混乱や錯誤を、必然であったと諦観し、――しかし、だからといって手も足も出ないというのではない。が、また逆に、過去を否定し、過去が別様に歩まなかったことをおろかにも嘆くことによって、避けられなかった宿命の重さを忘れてしまおうというのでもない。ままならぬ宿命であると観念しながら、同時にそれをままならぬものとして生き抜く事によって、それから脱出する自由を確保しようとする。言いかえれば、立ちどまるすべをしっているということだ。日本において、「反近代」とはそういうことである。近代の悪を否定して、どこか別のところに解決の道があるのではない。好むと好まざるとにかかわらず、われわれは現代の自己の立たされている足もとから出発するしかない。自己の外にあるものを頼る事――過去へ逃避する閉鎖的な復古思想も、未来を当てにする改革主義的未来派風の人生態度も、ともに現在の自己の空虚をごまかすための口実を与えるていのものでしかないなら、解決策は与えてくれても、真の解決には達せぬであろう。

T・S・エリオットは「文化の定義のための覚書」の中で、『文化とは、たんに幾種かの人間活動の総計ではなく、ひとつの生き方である』という簡明な定義を下している。これは目にみえる形のあるものや、われわれ自身の外部に対象化しうるものを文化とよぶことはできなというほどの意味である。文化という観念はきわめて規定しがたいものがし、規定し、意識化したものは、文化そのものではなく、文化の結果――人間活動のたんなる「総計」にすぎない、そうエリオットは言うのである。
 ふつう「文化遺産」とか「文化財」、または「仏教文化」「平安文化」等々の言葉であらわしている文化の概念は、エリオットの考えに従えば、文化という言葉の誤用である。生活の中に無意識に生きているものが文化であるが、今日大多数の通念となっている文化観は、生活の結果としてあらわれた業績を――美術や文学上の作品だけを生活の場から切り離して抽象化する考え方である。これはもはや文化ではない。法隆寺桂離宮も、それがいかに一時代の文化の所産であろうとも、今日では、私たち自身の外部にある客観的な対象となるものでしかないからである。「文化財」という言葉がこのことを一番はっきり示している。それは「財」であり、形のあるものだ。だから、技術や芸のないものには、わざわざ「無形文化財」ち名づけた側にはそういう意識は全くない。「無形文化財」も有形の一変種とみなされているにすぎない。つまり、それも保護すべき業績であり、客観的な対象であり、私たちの外部にあって、私たちが観察・観賞できるものである。そういうふうに文化というものをかんがえている今日の文化観ほど、近代日本の文化の姿を、もしくは文化の不在を、端的に示しているものはないだろう。
 T・S・エリオットは、さらに『文化とはわれわれが意識的にそれを目的とすることのできない唯一のものである』という別の定義も下しているが、これは文化という概念の本質を言い当てた言葉だ。文化とは、その中にくらしているものには必ずしも意識化されていないが、社会生活全般にしみわたっている「生き方」の様式のようなものである。社会や国家が、有機体としての統一をたもっているときの、一定の生の様式である。とすれば、文化とはあらかじめ計量したり目的化したりできないものであって、標識や見取図をかかげて文化が目標化されたときは、もはや文化が存在しないときである。