藤原正彦『国家の品格』

前2本のエントリで大体、言いたい事は述べたので、
今日は補遺、補足的な内容を。


まず、前日のエントリは長文引用で筆を置いたので、
何かしら意見を挟んで置かないと収まりが悪そうだ。


第一の引用部は、
藤原正彦氏の根本的な思想課題の
認識不足に対する薬のような意味合いが強い。
非西洋諸国における反近代は
近代の限界と近代化の限界の二種類が存在する。
近代そのものの限界ではなく、近代化の限界だ。
つまり、移植した臓器の拒絶反応のようなものだ。
どんなに適合しようと、移植が成功していようと、
それは他人の臓器、身体の一部である事には変わりは無い。
それが近代化の限界で、
つまり、我々の内を出ることが無い問題だ。
この段階では受け入れた物自体が問題なのか、
それとも、それに拒絶反応を示した
受け手が原因なのかはっきりしない。


藤原氏の反近代的部分は多分に「近代の超克」的である。
そして、「近代の超克」とは、
非常にヘーゲル哲学な議論であった。
藤原氏の論理否定の論理は、
ヘーゲル弁証法に似ている。
ヘーゲル弁証法は否定に否定を重ねつつも、
その矛盾を積極的に内包するものなのだが、
あの論理に良く似ている。
要するに「止揚」「超克」の論理だ。
問題は彼自身にそういう自覚があったのかだが、
おそらく無かったと私は見ている。
彼にとってそこは重要な部分では無いだろう。


ところで、ヘーゲルと言えば、
国家の品格』で天才と風土の関係についての記述があり、
それを著者のオリジナルだと思われている方がいらっしゃるが、
残念ながら誤りである。
天才学というものが昔のヨーロッパで流行っていて、
おそらくそれに基づいて敷衍している。
19世紀頃の心理学は今日で言う所の風土学に近く、
天才学はその影響も受けている。
ヘーゲルの『精神現象学』にも、
そのような記述があったので思い出してしまった。


風土学とは簡単に言えば、寒い国には暗い人間が多くて、
暖かい国には陽気な人が多いと言うような俗説。
我輩には、あの凍てついた大地に生きながら、
ウォッカを浴びるように飲んで、好い加減に生き、
陽気な愛想を振り撒くロシア人が
陰気とか根暗とは無縁に見える。
まあ、自殺率の高い国が北方に多いのは事実ではあるのだが、
気候だけでなく、政情も不安定である事を考慮しておくべきだろう。


19世紀の哲学者ショーペンハウアーは、
天才学にはまった母親にいびられ続けたので、
その手の学問には批判的だった。
天才は一族に一人という与太を母親が信じ込んで、
若き頃のショーペンハウアーにきつくあたったのだ。
その所為なのか、ショーペンハウアーの女性蔑視は凄まじい。
天才なんてものは発見されるのであって、
生み出されるものではない。
永遠の輝きを放つダイアモンドも、
一条の光も差し込まなければ闇に沈んでしまう。
天才もそれと同じ事である。
まあ、ショーペンハウアーのように、
光を浴びても、嫉妬の闇に飲まれる事も時にはあろうが。


閑話休題(あだしごとはさておきつ)。


第二の引用部は、
藤原氏の文化観への疑問のために引用した。
福田氏とエリオットの意見は、
簡潔に言えば、
文化とは社会や国家の中に居る人々の
一定の生の様式なり、生き方なのであって、
そういうものは意識的に目的化したり、
認識したりも出来ないと言う事になろう。
これは一種のホーリズム全体論)で、
文化の外面に人がいるのではなく、
文化に内包されて人はその生を営んでいるのであって、
そのような時には文化は意識化されない。


国家の品格』で持ち出される武士道や古典の類も、
それは一時代の文化の遺物に過ぎないと言う事になる。
引用文で言えば、無形文化財のようなものである。
生き様やその生きる世界が無ければ、
まったく文化として用をなしていない。
文化とは高尚なものではないし、
また優劣の付くものではない。
それは人の営みに過ぎないのだから。


日本を海外に紹介した人々は
例外無く欧化主義者だ。
禅の鈴木大拙、茶道の岡倉天心
武士道の新渡戸稲造、柔道の嘉納治五郎
全員が欧化主義者であり、
海外に評価された事で、
今日にまで名を留めている人々だ。
大拙に至ってはまず西洋に評価されたのを
彼の評価の始まりとしているほどである。


天心は「アジアは一つ」などと言っていたから、
よく見ないと分かり難いが、
実の所、欧化主義者だ。
彼は日本文化の輸出業者と言えよう。
新渡戸も彼が国粋主義者だったならば、
国際連盟で事務次長などしなかっただろう。
そもそも『武士道』は英語版しか出してない。
どうも国粋主義に反発し、
狂信的愛国主義に利用される事を恐れていたらしい。


我が国の近代史を鑑みるに、
出世するには欧化主義者でなければならなかった。
知識人達ではなく、支配階級の人間こそ、
最も近代的でなければならなかった。
そうでもなければ日清日露の勝利は無かったであろう。
役に立たない近代化では国家の存亡に関わるのである。
故に彼らは力強く推し進めなければならなかった。
軍人が権力を握る事になったのは不幸でも何でもなく、
性急な近代化の宿命的な結果に過ぎない。
国家の近代化とは所詮、富国強兵であったからだ。
軍人は強くなる運命であり、また強くなければならなかった。
彼らの責任感に比べれば知識人など遊び人と大差が無い。


話が逸れた。
彼の著作を何度か読み直したが、
彼の著作を政治論や社会論、歴史論として
受け止めるのはやめた方が良いかもしれない。
彼の(述べられている)知識は非常に薄い。
それだけが問題ではあるまい。
おそらく、これは憶測に過ぎないのだが、
彼は書きたい物を書いたのであって、
あるいは彼の願望抜きには語りえぬ
何かがそこに語られている。
その何かのために彼の専門的ではない知識を総動員したのであって、
その知識そのものには何の意味も無いのであろう。
彼は文学的な物を書いている。
政治や社会は主題ではない。
彼の広げた大風呂敷の中心には、
常に彼が居る。


国家の品格』は評論ではない。
それは随筆である。
そして、我が国では時に
随筆と小説の区別が付かないジャンルがある。
いわゆる私小説、心境小説と呼ばれる物である。
国家の品格』は作品そのものだけでは評価できない。
彼抜きでは単なる与太に過ぎないであろう。
ただ、『国家の品格』(あるいはそれ以外の著作も)は、
文学的にも痛ましい失敗であると、私は思っている。
これに関してはまた後日述べる事にして、
今日のところは筆を置こう。