『国家の品格』の書評

小生はブログ中毒ではないので、
連日のアップに少々疲れてしまった。
今日は断章取義で楽をさせてもらいたい。
国家の品格』を批判的な書評の内、
秀逸な物をいくつか紹介する。
興味深い意見も多く、
言及しながら批評する事も考えたが、
どうにもスタンスに合わないのでこういう形にした。


なお、トラックバックは飛ばしたものの、
許可はとっていないので、
問題がある場合は当方までご一報を。
事後承諾で申し訳無い。


●本に溺れたい ID:renging 氏
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/cat5561056/index.html
本文中の論理とロック解釈に対して、
丹念な批判をなさっておられる。
藤原正彦氏のエリート観に対する
論理的な批判も秀逸。


●ちょっとだけ帰ってきた過下郎日記 ID:hazama-hazama 氏
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20060114
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20060206
おもに歴史的な見地からの批判。
脚注とコメントが面白い。


●かぶれの世界 ID:sandy 氏
http://ikeda-farm.mo-blog.jp/kabure/2006/04/post_cb5b.html
NHKのクローズアップ現代
新書ブームの特集した内容の
簡潔なまとめが載っている。
市場主義を批判する著者の著書が、
マーケティング戦略に乗っかっているという皮肉。


●愛と苦悩の日記 
http://tod.cocolog-nifty.com/diary/cat5821112/index.html
藤原氏の基本的な誤り、
特に経済分野での誤解を丁寧に批判している。


●厳粛なcollage/性・宗教・メディア・倫理 sleepless_night 氏
http://may13th.exblog.jp/i7
主に文学(思想なども含む)的に解釈し、
批判している。
非常に長いが、内容も濃い。
やはり藤原氏という人物を見なければ、
本書の紙背にあるものは読み取れぬのであろう。


私を含めて全員が
国家の品格』に批判的なのだが、
その批判の有り様は各々異なり、
視線や立ち位置は六者六様にある。
ある者は愛憎半ばの批判を、
また、ある者はかつて愛読した故に、
幻滅から多少の憎悪の念を抱いている。


紹介したブログの中には、
おそらく思想的には私と合わないなと思う人も居る。
その批判の中の意見にも同意できない場合もある。
だが、それで良いと思う。
国家の品格』で何より問題だったのは、
一面化できぬ物を安易に「西洋」だの、
「日本」だのと押し込めてしまった所だ。
著者自身、一面化できぬ複雑な、
あるいは混乱した心理的側面を抱えている。
それを正視するには多面的に向き合う事であろう。


本書の内容や著者への変貌にもまして、
評者の胸中に重くしこりとなっているのが、
本書を受け入れた多数の人々の存在であろう。
その事実は受け止めねばならぬという
覚悟のような重苦しさが彼らにはある。
私自身もこの本の内容から離れて、
この本を支持した多数の人々に向いていた。
藤原正彦氏の表層には出てこない心理は、
いくらでも拾う事が出来ようが、
この顔の無い風潮はひたすら不気味ですらある。


国家の品格』だけでなく、藤原氏の著作は、
藤原氏のアイデンティファイの側面が強いと思われる。
彼もまた迷える人であるからこそ、
殊更強く意識するように追い込まれているのであり、
その過剰な自意識の排外的で攻撃的な部分が、
西洋やアメリカに対して向けられたのであろう。
自我確立の失敗の痛ましさすら
そこには現われているように思える。
そうしたある種の迷いが、
本書を批判する側にもあるのではないか、
そう私は思っている。


結局、藤原氏と大差が無いのではないか、
と自分に問い掛けずにはいられない。
それは混乱しているか、
自覚があるかの違いに過ぎないのであって、
彼と同じ様に袋小路の只中で迷っているのではないか。
この風潮のような物に対して、
批判する事で自らの立ち位置を探っているのではないだろうか。
そうすると批判する側にも
アイデンティファイの側面があるのやもしれぬ。