中高地歴公民教科書

日を追う毎に深刻な実態が
白日に晒されつつある問題ですが、
ある種、滑稽な喜劇じみて見えます。
カリキュラムを組んだ教員の
苦肉の策の結果でありましょうが、
結果としてみれば善意から生じた悪行と言えましょう。


今回の事件で入試制度や教育制度を問題視し、
罵声を浴びせ、改革を声高に叫ぶ輩が見受けられますが、
わたくしはそういう態度には感心しません。
高校が予備校化している事は
別段珍しい事ではありません。
明治の学制実施以来、
ずっとそうだったのであります。


大学教育についても同じ事が言え、
結局のところ学歴とは免許状なのです。
パスポートや入場券と言っても良いかもしれません。
大学が果たしている役割は教育ではなく、
社会の権力(出世)の椅子を振り分ける上で、
ふるいにかけているの過ぎず、
昔から我が国で学問は独学の上に成り立っているのです。
教師たちも学生たちも
授業を卒業のための必要物、
つまりは単位としか見ていないでしょう。


今回、問題になっております未履修の科目は、
社会科に集中しておりまして、
かつて社会科学の学徒だった者と致しましては
内心苦笑せざるをえません。
世界史や日本史などの地歴を社会科学と見なすのは、
マルキシズムなどの社会科学
華やかかりし頃の残滓でありましょうが、
これらの科目は従来教養的と見なされてきただけに
いかに教養が実生活で役に立たないかを
裏打ちしているようで皮肉な事です。


政治学は最高の倫理学であるとアリストテレス
誇らしげに謳ったのは遠い昔、
今では受験にも使えないと煙たがられているようです。
ただ、先述にもあるように、
学問の徒は皆独学で究めんとしているのであって、
教科書や教師から学ぶ事は少ないでしょう。


実際、高校で使われている
教科書というのは実に酷いもので、
世界史や日本史などの地歴にしても、
倫理などの公民科目にしても、
黴が生えているのではないかと思われるほど
古臭い学説が載っていて、
新進の学者達の笑い話の種となっています。


そもそも執筆陣に連ねているのは、
もはや鬼籍に近い未来に載りそうな人ばかりで、
実際には院生や若い講師などの
アルバイトに書かせているのが実態です。
本当に歴史や哲学を学びたい人間は、
自分で何か参考となる本を探さねばならず、
教科書はその探求の導きすらおぼつきません。


たとえば、アメリカ史を開いてみますと、
アメリカ独立戦争はそれなりの記載が見られるのですが、
建国に関してはほとんど触れられていません。
誤解を恐れずに言えば、
木を見て森を見ていません。
何故ならアメリカ合衆国という国家は独立(戦争)ではなく、
憲法によって創られた国家だからです。
これは実に奇異で世界に類例がありません。
そしてこの憲法(国制 Constitution)制定を
巡る争いこそがその後の南北戦争の遠因となっています。
日本ではリンカーンの演説や奴隷開放の側面が強調されますが、
この戦争はアメリカが関与した戦争ではもっとも悲惨で、
もっとも戦死者を出した戦争でありました。
それ故にベトナム戦争までは
米国民にとってもっとも悲惨な戦争のイメージとなっていました。


ほぼ同時期に発生したフランス革命についても同様で、
説明不足が目立ちます。
フランス革命というものは世界史的に非常に重要で、
近代(Modern Age)の幕開けとなる革命でした。
大仰に言えば、この時、この事件を以って、
現代の世界史が始まったのです。
ルネッサンスを近代の幕開けと見る人々が居ますが、
確信を以って言えますがそれは間違いです。
「近代」なるものはせいぜい19世紀
あるいは18世紀末以上には遡れないでしょう。
わたくしはフランスという国を好みませんし、
またフランス革命を評価しない立場ですが、
その世界史的意義を否定する事は到底出来ません。
フランス革命の惨憺たる結果*1こそが
その後の「近代」と「世界史」の原動力となったのです。


公民科目――倫理、政治社会、現代社会などですが、
これらの教科書も実に酷いものですが、
これ以上あげつらっても仕方が無いので、
この辺で筆を置きます。
何にせよ、愛国心やら、教育改革やら、
新しく教育理論を打ち立てるのは
もう止めにしないでしょうか。
結局、教育は理論によって為されはしませんし、
教育は次のステップへの足場でしかなく、
学校はせいぜい社会の縮図として
教師と学生の人間関係を訓練する場に過ぎません。
教育は斬新な理論の実践ではなく、
ただ基礎的な読み書き計算を教えればよく、
その制度は極力シンプルであるべきでしょう。


人は教養を身につけ、
学問を究めんとするときには
独りにならざるをえないものです。
ただ考える事としての思想や学問というものは、
内から生ずる疑問に対して
自ずから立ち向かおうとする態度に過ぎないのですから。
あるいは疑問すらなくただ感覚的な世界から、
その形すら為さない物を抽出すること、
これが考える事なのではないでしょうか。

*1:国民の十分の一が死亡。比率では世界大戦以上