東京都美術館「オルセー美術館展」

東京都美術館でオルセーの企画展があるというので行って来た。
国立西洋美術館と比べると少々手狭で
分かり難いところにある東京都美術館であるが、
昼時前だと言うのに多くの客が詰め掛けていて辟易させられた。
日本では何故か印象派の絵画は受けが良い。
我輩としては18、19世紀古典派の絵画と印象派のそれに
優劣など存在しないと考えるが世人はそうではないらしい。
彼らは印象派の特別展となると大挙して押し掛ける。
ここではオルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』で指摘したような
「蝟集の事実、『充満』の事実」を容易に見出す事が出来る。


以前、我輩は高島野十郎という昭和時代の写実的な画風で知られる
画家の回顧展に知人を連れ立って赴いたのだが、
初日だと言うのに余りに客が少なくて驚いた事がある。
彼は20世紀の画家とは思えないほどに、
愚直なまでに物を写実的に捉えて描いたのだが、
ピカソなどの絵より余程面白いと言うものだ。
抽象画というのは画家のエゴが露出されていて、
画家の主観ばかりが表れている。
媚び諂いが不快を買うように、
行き過ぎた自己主張、自己表現も毒にしかならない。


日本の美術館の良くないところは
特別展や企画展ばかりに頼って常展に力を注いでいないところだ。
客は客の方で常展に足を運んだ事も無いのに、
こういう目新しい企画展には興味を惹かれるらしい。
衆愚とまでは言わないが、
こうした悪循環は何とかならないものかとは思う。
加えて、今回のオルセー展でもそうだったが、
図録の値段が高すぎる(が、良く売れていた)。
いくら企画展とはいえ図録は画集ではないのだから、
せめて2000円以下に抑えるべきだろう。


公立の図書館などでもそうだ。
ベストセラーをあんなに仕入れてどうするのだろう。
10年も経たずに読まれなくなるだろうに。
そして四半世紀もしないうちに廃棄され、
後は好事家の記憶にのみ残されるだけ。
流行というのは概ねそのようなものである。
たかだか3年ほど前のベストセラーが
ブックオフの百円棚に大量に平積みされているのを見ると、
そのようなろくでもない思いに確信を抱くようになる。


19世紀の芸術と言うのは「近代」文明抜きには語りえない。
我々は無意識の内に芸術を虚業の中に押入れ、
実業や産業といったものとの関係を認めない。
だが、実際虚業だけで成立する事が困難なように、
実業と虚業というのは本来複雑に関連しあっているものである。
「Art」という言葉も元来「技術」という意味合いが強く、
「Art」には「学術」の意味もある。
例えば、孫子の『兵法』の英訳は『The Art of War』と著される。
19世紀は種種の専門家が誕生した時代であるが、
その分化は複雑な連関からの離脱を意味しない。
独立や個別化は常に断片化を免れ得ないのである。


急速に隆盛する都市文明に不適応を示した一群の芸術家達は、
都市を離れて彼らのコロニー(共同体)を作った。
牧歌的なバルビゾン派のようなものもあれば、
ゴッホゴーギャンのように悲劇に終ったものもある。
ユートピア」というものは何時の世でも
現実に対する反逆でしかないのだ。
良くも悪くもそうしたものは長続きしない。
無理に押し返そうとすれば引き寄せられ、
逆に引っ張れば押し倒される。
平衡感覚を意識的に保つ事は難しい。


どうにも印象派というのは、
その明るい色彩のせいか、
その画家自身も陽光の側の人間だと
同行者は思われているようだったが、
それは違う。


たとえば日曜画家からはじめたゴーギャン
ゴッホとの共同生活に破綻した後に
近代文明から逃避してタヒチに渡る。
が、そこにあったのは近代の植民地に過ぎなかった。
彼は何度かフランスとタヒチを往復しているが、
その生活は困窮と挫折に満ちていた。
彼は絶望の果てに自殺未遂すら起こしている。


モネは貧困の内に妻を亡くし、
晩年は緑内障による視力の喪失という恐怖を味わい、
ルノワールリュウマチに苦しめられた。
その末期には絵筆を握る事すら出来ず、
筆を手に括りつけて描いている。
また、彼は描いた時期によってまったく画風が違い、
その変遷は彼の迷いを映しているかのようだ。


アンリ・ファンタン=ラトゥールが描いた
「バティニョールのアトリエ」は、
友人マネ率いる新進気鋭の画家達に対する
優しさと誠実さの感じられる大作であったが、
その描かれた内の一人、
フレデリック・バジールは普仏戦争で夭折している。
享年29、早過ぎる死であった。
アンリ・ファンタン=ラトゥールは、
古典的な写実の画家であったから、
ウィキペディアでは今だ赤で表記されている。
我輩は20世紀の絵画群を燃やし尽くしても
一向に構わないし惜しくないと考えているが、
彼の絵は、と言うより19世紀の正統派の絵画は、
もっと評価されてしかるべきであると思う。


詩人ポール・ヴァレリー
20世紀と19世紀を繋げ合わせる
架け橋のような人であった。
彼は印象派の画家達と実際の交渉をもった
数少ない20世紀人である。
彼は「踊り子」で知られるドガについて、
その気性の激しさを
「画家の精神はその外に宿る」と評している。
ドガは癇癪の余り友人の画家にもらった絵を
引き裂くなどの事件を引き起こした。


狂気の渦に飲まれた人ゴッホについては
言及するまでもあるまい。


ただ、19世紀の全体に於いて、
人々は非常に楽観的な理想主義者であった、
というのは確かであろう。
彼らは今だ挫折を知らぬ夢見る子供達であった。
普仏戦争はフランスにとって屈辱的であったが、
それでもその傷は微々たる物に過ぎない。
多くは文明の盲目的な賛美者であったし、
変化は進歩であり、明日はより良くなるものであった。
その夢が覚めたのはあの大戦によってである。
大戦後の文人ツヴァイクの遺書『昨日の世界』は、
19世紀欧州への懐古の情で満ちている。
そして、悲嘆の余り彼はついに自殺してしまう。
闇の中にあっては過ぎ去った影すらもが
光を放っているように見えるに違いない。


こうした時代の中にあって、
先のゴーギャンのような文明の批判者というのは、
その存在自体が極めて異端的であり、
その評価は死を待たねばならなかった。
彼らの敏感過ぎた感覚と直観は、
あまりに時代を先行し過ぎたのである。
同様にニーチェのような偉大な先覚者は
己の研ぎ澄まされた神経にズタズタに切り裂かれて死んでいった。
彼という人間は純粋過ぎたのである。
トルストイのような理想に生きた愛他主義者であっても、
ついには孤独を求めて駅舎で独り死んだ。
19世紀という急速に隆起する時代にあって、
その深まる深淵に気が付いた者は極僅かである。
そして、それは気が付いた時にはもう遅かったのだ。


セザンヌはモネの事を
「モネは眼にすぎない。しかしなんという眼だろう!」
と評しつつも
「よく考えなければならない。
 眼だけでは十分ではない。反省が必要だ」
とも述べているが、
20世紀の芸術は総じて考え過ぎであった、
あるいは瞑想していたと言えるのかもしれない。
絵画に限らずとも文学においても
書く事ばかりに熱中して読んでもらう事や
読む事を軽んじた浅慮な一群の作家達が現れた。*1


今日、我々が世紀末やデカダンス
虚無を強調しがちであるのは、
我々が夢を知らない廃墟に生きているからだ。 
夢物語は「昨日の世界」であると先見的に判断してしまう。
不信が暗鬼を生じさせるように、
挫折は挫折を呼び、不安は過去の内に見出される。
しかし、19世紀に夢だけを求めるのが間違いであるように、
剥き出しの現実だけに眼を向けるのも正しくない。
おそらく、その境界性こそが世紀末の特徴なのであろう。


少々抽象的な話が多すぎたので、
最後にいくつか具体的なレビューをば。


絵も面白かったのだが、
黎明期の写真の数々が
この展覧会では最も興味深かった。
ご存知のとおり、初期の写真撮影には
長時間の露光を必要としたので、
自然と構図の採り方も絵画の二番煎じに甘んじていたのだが、
年代順の後半の物になると現在の写真の構図に近い物が現れ、
絵画とは異なる魅力を示していた。
19世紀ではないが1920年頃に撮られた
タールマンの「エッフェル塔に向かう4人の男」は、
遠くに霞んで見えるエッフェル塔に向かって
男たちが今正に歩いていこうとしているように見える。
アンリ・カルティエ=ブレッソンの『決定的瞬間』を想わせ、
今日我々が見る写真と大差が無かった。
それは人間の感覚や想像を超えたリアル、
つまりは瞬間、刹那を切り抜いて見せたのである。


写真もさる事ながら工芸品の数々も良かった。
日本の古伊万里柿右衛門を模したと思われる磁器は
ジャポニズムシノワズリの名残を感じさせる。
金属と組み合わさったガラス細工は見るからに複雑で、
ガレによるガラス細工と同様に工業化の進展による良質なガラスと
優れた無名のガラス職人無くしてはこの世に生まれなかっただろう。
そもそもオルセー美術館自体があの時代の技術遺産である。*2
あの時代の代表的な建築物の図面やミニチュアも展示できれば
もっと良い展覧会になったかもしれない。
オルセー美術館の写真もある事はあったのだが、
部分的なもので全体を見渡せるものではなかった。
その辺が“企画”展として少し残念ではあったが、
全般的に面白い作品が揃っており見て損は無かった。


●参考
http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/420.html
http://www.orsay3.com/  
http://www.nikkei.co.jp/ps/podcast/orsay/

*1:例えば『死霊』などがその良い例である。あんなものはただ分厚いだけの紙屑だ。あれを評価している連中は小賢しいスノッブに過ぎない。

*2:駅としては1900年に建設。意外にも美術館としての歴史は浅く、開館したのは1986年。