NHKスペシャル「日本国憲法 誕生」

なかなか良く出来たドキュメンタリー作品であった。
何だかんだ言っても見れる水準のドキュメンタリーを
作れるのもNHKぐらいなのであろう。
この「日本国憲法 誕生」はおそらく
教育テレビの方で今年の2月10日に放送していた
ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」
の姉妹作であると思われる。
あるいはその歴史観の延長線上と言っても良い。
昨晩の「そのとき歴史が動いた」では、
憲法改正に絞った番組を組んでいた。
総括してみると、NHKの作り手達は
概ね現行憲法や所謂平和主義に肯定的なようである。


我輩はこの種の歴史観を左翼修正主義と当用的に呼んでいる。
このように呼ぶと左翼に共感する方々から誤解やお怒りを受けそうだが、
修正主義と言うのは「Revisionism」の訳語であり、
原語には「見直す」とか「再認識する」といった意味合いがあるので、
必ずしも悪い意味の言葉ではない。
たとえば、アメリカでは80年代の「日本特殊論」の論者達、
通産省と日本の奇跡』のチャーマーズ・ジョンソンなどの事を指したり、
ベルンシュタインのいわゆる「社会民主主義」を指す場合もある。
なお、アメリカのリベラルの事を自由主義者と理解する向きがあるが、
ニュー・ディーラーなどの政策や思想を見れば分かる様に、
彼らはアメリカにおける社会民主主義(修正主義)者なのである。
他にも、ヴェトナム戦争アメリカは実は負けていないのだ、
と言うような主張をする「Vietnam Revisionist」と呼ばれる人達も居る。
日本では「新しい歴史教科書をつくる会」などで知られる
藤岡信勝氏の主宰する「自由主義史観研究会」に対する
蔑称として広く用いられたせいか、
レッテルとしての意味合いだけが膾炙してしまった。


「宗教でも国家でも、それを長く維持していきたいと思えば、
 一度といわずしばしば本来の姿に回帰する事が必要である」
とは「修正主義」という言葉がまだ無かったマキアヴェッリの言葉だが、
「修正主義」の本質を突いていると思う。
同じ冠詞の「re」が付いたリハビリテーションという言葉には
名誉回復や復権とか社会復帰などの意味もある。
世人は反動(Reaction)を悪い意味で用いる事が多いようだが、
これも「Acition」に対する「Re」に過ぎない。
所謂「郵政選挙」の際にレッテルとして
抵抗勢力」と言う言葉が用いられていたが、
あれがそもそもレッテルとして使い得るのか疑問である。
抵抗もまたアクションに対するリアクションの一種だからだ。
「革命」という言葉も連付無しではもはや死語に近いが、
「Revolution」という言葉にもまた「Reaction」と同じく
「Re」が付いている事を念頭に置くべきであろう。


さて、何が具体的に「修正主義」的なのか。
これは戦後すぐに始まった事だが、
近現代の思想史に対して大幅な変更を迫った、
あるいは書き換えが施される事になった点がまず挙げられる。
戦後においては「民主的」で「自由的」なものが
思想史の中心に据えられる様になったのである。
そのために当時はさして有名でなかったもの、
多数派に受け入れられなかったもの、
あるいは探し出さねば見つけ出す事も出来なかったようなものにまで、
光の冠を与え、祝福の油を注いだ。


一木喜徳郎や美濃部達吉らの天皇機関説
吉野作造民本主義などを挙げて、
今日の我々は「大正デモクラシー」を語る訳だが、
この「大正デモクラシー」は戦後に膾炙した言葉である。
吉野作造という人は発言に矛盾が多い人であったが、
東大新人会に影響を与え、
この新人会が戦後の左派知識人のルーツの一つであったが故に、
今日でも重要視されているのに過ぎない。
また、政党政治に関しても昭和7年(1932年)の
五・一五事件(犬養首相暗殺)を以って終焉と捉えるのが
通俗的な向きであるが、それは少々早計過ぎる。
「最後の元老」西園寺公望斎藤実を繋ぎとして、
事態が収まり次第政党政治に戻すつもりであったようであるし、
国民も政党内閣の復活を期待して民政党過半数議席を与え、
無産政党を総選挙のたびに躍進させてきた。
皮肉にもそうした動きを完全に止めを刺してしまったのが、
二・二六事件と当時一般国民にもインテリにも人気があった近衛文麿である。


まったく皮肉な事だが、
二・二六事件をGHQは一種の革命であると捉え、
敗戦に少なからぬ責を負っていた近衛の昭和研究会には
当時の左派知識人が結集しており、
今回の特集でも取り上げられていた「憲法研究会」も
その系譜に連なるか、あるいはその影響下にあった人々である。
我輩が今回の特集を「修正主義」的としたのは、
左派ばかりがクローズ・アップされていたためだ。
右派は強いて言えば、目ぼしいのは芦田均と松本烝治くらいであろうか。
他にも「粛軍演説」や「反軍演説」で知られる斎藤隆夫
敗戦後の憲法改正に関わっていたのだが、
彼が国体護持(君主主権)を強固に主張したのは余り知られていない。
彼は負ける事が分かりきっている戦争などしなければ日本は
世界に冠たる大国の地位を占める事が出来たであろうと残念がり、
九条に関しては自衛権を持たぬような国など独立国ではないと嘆いている。*1
九条では「交戦権」を認めないとあるのだが、
一般に交戦権の中には臨検なども含まれるから、
我輩は海上保安庁すら違憲の疑いがあるのではないかと考えている。*2
アメリカの沿岸警備隊などは戦時には国防省の下に置かれるから、
限りなく戦力や軍隊に近い存在である。


ところで、九条でその元ネタで良く言及されるのは、
パリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)なのだが、
むしろ1941年8月のチャーチルルーズヴェルトとの間に結ばれた
大西洋憲章」の第八項が遥かに重要であろう。

両国は世界の一切の国民は実在論的理由によると精神的理由によるとを問わず強力の使用を放棄するに至ることを要すと信ず。陸、海または空の軍備力自国国境外への侵略の脅威を与えまたは与うることあるべき国により引続き使用せらるるときは将来の平和は維持せらるることを得ざるが故に、両国は一層広範にして永久的なる一般的安全保障制度の確立に至るまではかかる国の武装解除は不可欠のものなりと信ず。両国はまた平和を愛好する国民のために圧倒的軍備負担を軽減すべき他の一切の実行可能の措置を援助し及び助長すべし。


引用元 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19410814.D1J.html
(多少、読み易いように書き換えた)


現代史の用語などでは「好戦国の武装解除」と呼ばれるもので、
分かり易く言い換えれば、
世界の平和のために好戦的な国々を武装解除して、
二度と戦争が起こせないような状態に貶めるというものだ。
好意的に解釈すれば、建前としては不戦条約、
本音は大西洋憲章に基づいていると言えようか。
実際、東西冷戦が激化するまでは、
GHQの占領統治というのは苛烈を極めた。
良くも悪くも日本の復興というのは冷戦の副産物であったし、
憲法を論じる際には我々が敗戦国であるという
動かしがたい事実を銘記しておくべきであろう。


九条は奇跡のような偶然の結果生まれたものではないし、
また、我が国の平和に貢献したという根拠は何一つとしてない。
そういう主張をする人々はアメリカも
パリ不戦条約の締結国であった事実を思い出されたい。
そもそも平和は手段や目的ですらない。
平和とはただ戦争が無い状態を意味するのであって、
それ自体に何の価値も無いのである。
平和主義が現実と乖離していくのはこのためだ。
つまり、倫理的、道徳的にこの問題を捉え過ぎるのである。
良い戦争などあったためしもない、とはベンジャミン・フランクリンの言葉だが、
独立戦争を戦い抜いた彼は戦争を悪いものとも思ってはいなかっただろう。
戦争に良いも悪いも無いのである。
しかし、現にそういう危険性があり、現に起こっている以上、
我々はその事実を受け止め、現実と戦っていくしかないだろう。
そこに道徳など入り込む余地は無いし、
道徳論的な態度は右派にも左派にも見られるが、
そうした主張のほとんどは理性の顔をした感情の発露に過ぎないのである。

*1:参照 http://blechmusik.xrea.jp/d/saitou/ 

*2:なお、海上保安庁朝鮮戦争に秘密裏に掃海艇を出し、死者まで出ている