田中明彦『新しい中世』

先日行われたフランス大統領選挙は大方の予想通り、
右派で元内相のサルコジ氏が当選し組閣も無事行われた。
冷戦が終わってもう随分と経つが、
ようやく冷戦後の世界の在り方というものが見えて来つつあるのではないか。
ある種の固定観念を取り払って素直に現状を見つめた時、
我々は最早過ぎ去ったはずの夏を思い起させられるのである。
それはナショナリズムであり、国民国家と呼ばれるものだ。
我々はかつての19世紀ナショナリズムの時代に逆行しているのではないか、
と錯覚する程に今日の世界で国家主義排他主義の数々を目撃する。
好むと好まざるとに関わらず、
多くの楽観的な理想主義者の予想に反して、
冷戦後の世界においてなおナショナリズム
国民国家主権国家)というレジームが
支配的な地位を占めて続けているのは否定しがたい事実なのである。


昨今、主にアメリカの外交政策を批判して、
ユニラテラリズムやら、マルチラテラリズムであるとか、
舌を噛みそうになるカタカナ語を用いる事が流行っているようだ。
だが、どちらにせよ安易に単純化して考えない方が良いだろう。
どのような国家も国家の存続が関わるような場合には、
自国の利益を最優先するものであるし、その逆もまた然りだ。
個々の国家が独立した主権を有しているのだから、
平時においては確かに主権の譲歩が見られているとしても、
本当に多国間主義やマルチラテラリズムを保障するかは定かではない。
関係の濃淡や数が関係性そのものを規定するとは限らないのだ。
それは未来への保障に欠いているばかりか、担保はおろか
バランスシートすらない貸付のようなものに過ぎないであろう。


今や冷戦期の国際関係の理論の数々が
現代の試練に耐えられないように思われる。
何故ならそうした理論の多くは、
冷戦のような安定した二極構造を前提していたからである。
我々はあの時代が「長い平和」(J・L・ギャディス)
であった事を認めざる得ないような時代に生きている。
もちろん、冷戦期においても、
朝鮮、ベトナムアフガニスタン……
多くの若者の血が流れたのは事実である。
だが、冷戦の“主戦場”であったヨーロッパは
近代史上類を見ない平和を享受した。


一方、現代は構造的に二極よりも不安定な多極の時代である。
マクドナルドのあるような発達した資本主義国間では戦争は起こらない、
民主主義国家同士は平和を愛し戦争をしない、
そういった希望的楽観論が冷戦後に掲示されたが、
そうした理論には根拠がまったくない。
我々はむしろ本質的には何ら変わっていないという事に気がつかされ、
愕然として茫然自失に陥ってしまうのである。
つまり、希望に満ちた冷戦後の世界が、未来が、
冷戦前の世界と何ら変わらないという純然たる事実だ。


現代の時代精神、時代状況に関して、
ポストモダン」と呼ばれる時代精神の提唱がある。
ポストモダンの時代状況や社会が、
近代というよりもむしろ前近代、「中世」に似ている事が、
様々な分野の学者によって指摘されている。
古くは20世紀初頭の思想や歴史の分野において、
近年ではポスト冷戦の外交論、
特に田中明彦氏による「新しい中世」論*1で注目された。


ここで言う「中世」とは、
主に「ヨーロッパの中世」を指す。
「新しい中世」論、特に外交論においては、
ヨーロッパ中世のみを念頭に置いて頂きたい。
前近代の日本には、あるいは東アジアには、
狭義における「国際」関係は存在しなかった。
支那中華思想による柵封体制は面と面ではなく、
同心円状に濃淡で表される世界である。
広大な支那を支配した華夷秩序は、
中心点こそあれ強固な枠組みを創り出す物ではなかった。
彼らの世界は彼らの内にのみに在り、
世界はその内で完結されていた。
彼らにとってその外は国境などという生易しいものではない。
それは異界であり、鬼界であり、化外の地であった。


西欧との衝突後に現われた日本の亜細亜主義には、
あるいは「アジア」という概念そのものすらも、
中核、求心点や実在性を明らかに欠いていた。
岡倉天心は「アジアは一つ」と述べたが、
彼は英語で「Asia is one」と西洋人に宣言したのであって、
それは欧州ではないものとしてのアジアというだけの
極めて消極的な概念に過ぎなかった。
アジアという概念はヨーロッパ中心主義の裏返しに過ぎない。
アジア的なもの、日本的なるものの自覚や再発見もまた、
意識的にそれを目的化しているのに過ぎないのだ。
そのようなものは特殊な例外に過ぎないのであって、
例外を以って一般を語る愚を犯している。
アジア主義は中核無き、あるいは求心点の無い思想である。
報われる事の無い奉仕者となるか、
エゴイストとなるかの悲劇的な結果しか生み得なかった。
それ故に日本が先導すれば侵略に繋がり、
支那が先導するようになればまた侵略に繋がった。


アジアがアジア共同体と呼べるものを
経ずに近代を経験したのに対して、
ヨーロッパの近代はその共同体の解体を意味した。
自主独立の主権国家の思想は、
ヨーロッパ共同体の否定の上に成り立つ。
あるいは近代そのものが中世を暗黒時代と見做す、
中世の否定の内に成り立っている。
現在のEUは中世の復権であろう。
EUは新しい秩序の試みではない、
それが意味するのはヨーロッパ世界の再編であり、
中世ヨーロッパの再興である。


中世ヨーロッパとは陸の海であった。
一元的な権力が支配せぬ無数の封建領土
――中世世界という海に浮かぶ島において、
国家の自覚は極めて希薄であった。
例えば、ジャンヌ・ダルクは、
フランスの解放者と呼ぶべきではない。
それはフランスの覚醒者とでも称すべきものだ。
カペー、ヴァロワというパリを拠点とする
単なる大貴族に過ぎぬフランス王権において、
支配階級にあった者でさえ自国の意識は薄かった。
そういう意味においてジャンヌは異端かも知れない。
貴族達には王と王冠しか見えなかったが、
彼女は忠義を捧げたシャルルの頭上に
主に祝福されし国家をフランスを見たのだから。


ジャンヌ・ダルクの如きナショナリストを輩出する一方で、
ヨーロッパはインターナショナリストも躍出した。
キリスト教を支柱とするヨーロッパ共同体には、
国の曖昧な主体の交流からインターナショナリズムが生まれた。
その中核にあったものがバチカンである。
しかし、インターナショナリスト
常にナショナリズムに引き裂かれる運命にある。
国王ヘンリー8世に取り立てられながら、
終始その反対者であり続けたトマス=モアの悲劇は、
彼がインターナショナリストであったからだ。
彼の死刑は離婚問題だけが原因では無いだろう。
欧州の外れにあり元々ローマの影響力が弱かったイギリスは
百年戦争を経て緩やかに近代国家に、
つまりはヨーロッパから自主独立の道を歩みつつあった。
その離陸期における時代精神とのギャップが
ローマとの融和を目指すトマスを惨死に追い込んだと言えよう。
その意味において彼は王以上に伝統的であってさえいた。


ホブズボームらが言うように確かに伝統は創られたものだ。
だが、しかしそれは意図的に創られたものではない。
言語の恣意性と同じくそれは恣意的なものなのであって、
人間やその理性によってどうこう出来るものではないのだ。
中世のキリスト教世界としての欧州共同体は
近代においては単なる反動思想に過ぎないのである。
近代は独立した主権国家を正統(伝統)とし、
共同体を異端として排し続けている。
したがって、遅かれ早かれEUの挑戦は挫折するだろう。
あれはまるで宇宙のように広がりの果てに消失するか、
極大点を回って収縮に転じ消滅するだろう。
そして、この消滅の仕方次第ではまた欧州の地に動乱が起ころう。

*1:『新しい「中世」――21世紀の世界システム』(日本経済新聞社, 1996年/日経ビジネス人文庫, 2003年)