現代民主主義の理論家たち

近年、パットナムによる「ソーシャル・キャピタル」概念の提唱によって、トックヴィルが『アメリカの民主政治』で賛美した共同体の価値が見直されつつある。また、ポーコックによって古典的共和主義思想の見直しと共に、マキアヴェッリなどの共同体主義的な主張が再評価されている。


「公共性」の再評価では、アマルティア・センが民主主義の持つ普遍的な価値や人間的自由や平等いった人権が貧困の克服に重要であり、また有効であることを指摘している。センは民主主義の普遍的な価値を強調して、人間生活における自由と人々の政治参加の民主主義が持つ本質的重要性、政治的インセンティヴを高める民主主義の手段的重要性、価値観の形成、欲求や権利、義務といった基本的な理念について理解を生み出す民主主義の構成的役割の三点を挙げる。「自治の基本はすべての人が自由に発言し、市民として同等の価値を認めてもらうことだった」というネルソン・マンデラの言葉を引きつつ、政治参加の平等や自由な市民としての積極的な活動が経済発展にも寄与するのだと力説する。開発独裁国の弁明である「アジア的価値」や「西欧的価値」は歴史的検証に堪えられない批判し、「間違った他者意識が間違った自己意識を導き出す」と警告している。


トクヴィルもまた『アメリカの民主政治』で「共同体は、連合した人々の存在する所にはどこにもおのずから共同体が形成されるほどに、自然のうちにある唯一の団体である。したがって共同体的な社会は、その慣習とその法律とがどのようなものであるにせよ、すべての民族に実在しているのである」と述べている。また、人権と経済発展の可能性に関しても示唆的な記述が見られ、「自由は財物を破壊するより以上に何千倍も財物をふやすのである。そして自由を知っている諸国民では、人民の資力は常に税金よりも一層急速にふえてゆく」と自由の価値を強調する。


現代イタリア政治の研究者であるパットナム、19世紀アメリカの観察者であったトックヴィル古今東西の知識を駆使しつつ西欧中心主義やアジア特殊論に組みしないセン、とそれぞれ時代も分野も異なる論者たちの意見は根底において繋がっているように思われる。つまり、有効な民主主義は「社会経済的近代化」に関係しているという仮説と制度パフォーマンスには「市民共同体」すなわち市民的関与と社会的連帯とに相関を見出している事だ。


センが「アジア的価値」に批判的であってように、パットナムは市民共同体を小さな親密な前近代的な社会に結び付けるのは誤りで、むしろイタリアにおいて市民度が最も低いのは伝統的な南部の村々に他ならず、伝統的な共同体の住民エートスは理想化されて描かれるべきではないと述べている。市民的な州ほど経済的に豊かな状態から出発したわけでもなければ、そうした州が必ずしもより裕福だったということもない。市民的な州は、十一世紀以来確実により市民的でありつづけたということである。これらの事実は、市民的な積極参加が経済的繁栄の結果にすぎないという考えとは両立しにくい。


新しく設けられた諸制度が上手く作動する場合もあればそうでないのもある。何が制度パフォーマンスのこうした違いを説明するのか。パットナムはそれを社会資本で説明する。経済における近代性とは異なって、ここでパットナムは「自発的協力が社会資本によって促進される」具体的な実例として前近代的な回転信用組合、日本で言うところの「頼母子講」を挙げている。これは成員が定期的に資金を供出して積み立て、順次相互に融通し合う金融システムであるが、共同積立金を手にした途端に裏切るリスクやこうしたリスクを抱えつつも始めに資金を出すものが何故現われるのかといったジレンマを抱えている。参加者はこうしたリスクを知悉しているが故に、信用できる人物しか組合に参加させようとしない。こうしたことから、組合でのプレー以前の過去の行動が社会資本として自発的協力に寄与している事が分かる。社会規範やネットワークといった他の形態の社会資本も、使うと増え、使わないと減る。そして、社会資本の構築は容易ではないが、社会資本は、民主主義がうまくいくための鍵となる重要な要であるとパットナムは結論付ける。


民衆が堕落していない国家では万事が容易に処理される。平等のあるところでは君主国は樹立しえないし、平等のないところでは共和国は成立しえない」というマキアヴェッリの言を引いて市民的平等をパットナムもまた強調している。「ある社会の『慣習』とその政治的実際との間の結び付きを強調する。例えば、市民的自発的結社は、安定した実効的な民主的制度に不可欠な『心の習慣』を鍛える」市民の水平的な結びつきが重要だからである。「有効で応答的な制度は、市民的人文主義の用語で言うところの共和的な徳と実践に依存する。トクヴィルは正しかったのだ。民主的な政府は、政府が活力ある市民的社会と面と向かうとき、弱まるのではなく強くなるのである」。要するに制度は法律によって強められる一方で風習によって一層強められ、社会全体に絶大な影響力を持つようになる。悲観的に裏返せば、そうした風習や習慣の無い地域ではどのような制度改革も上手くいかない可能性が大きい。


この種の信頼関係において指摘されるのは集合行為のジレンマや囚人のジレンマといった裏切りや不信の問題である。しかし、パットナムはむしろゲーム理論が予期するほど非協力的行動が現われない理由の方が重要なのだと指摘する。協力はプレーヤーの無限繰り返しゲームの場合にいっそう容易となり、その結果、裏切り者は継続的に繰り返されるプレーで処罰に直面する。つまり、ゲームの繰り返し=相互関連性の増大は裏切りのコストを高め、結果として裏切り者が現れる事を抑止するようになる事をあげている。長期間わたって交換を繰り返すと一般化された互酬性の規模は強まる傾向にある。トクヴィルの言うところの「正しく理解された自己利益」であるが、こうした見方はセンの言う「合理的な愚か者」の裏返しであるとも言える。


パットナムもセンも共同体を重視しているが、民主主義を賛美する一方でそれを「多数者の専制」と呼んだように、トクヴィルは大規模で複雑な状況では、いっそう非人格的、あるいは間接的な形態の信頼が必要とされると述べて社会や共同体の専制性を指摘している。全体という意味での社会や共同体、国家や権力というものの難しさは、歴史家アクトンが言うように「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」のだが、権力の欠如もまた同程度に危険である事だ。トクヴィルは前者を圧制、後者は無力によって滅びるという風に述べている。権力による窒息も、権力の真空状態も破滅の病症に違いは無い。前者は責任を絶対的少数に押し付けることによって、後者は誰もが責任回避を図ることによって、無責任を助長する。良き権力とは力強い事でも、また逆に弱い事なのでもなく、責任を有している事なのである。


おそらく解きえない問題というものがある。公と私、自然と人工といった二分法の陥る過ちと同じで、個人のものとも全体のものとも言えぬ物事は存在しているのであり、全体の事柄は部分からは還元されない。個はどこまでも断片なのであって、全体は個と似ても似つかないものなのである。だからこそ、中間にある全体(社会/共同体)は個と全体を有機的に結び付ける作用を持っていると言えるのだろう。なぜならこうした小権力は生身の人間によって可視的に行われ、理解されるからである。統治の効率が高まれば高まるほどに、こうした共同体への欲求は益々強くなるであろう。


●参考文献
アメリカの民主政治』(A・トクヴィル 講談社学術文庫
『哲学する民主主義』(ロバート・D・パットナム NTT出版)
『貧困の克服』 (アマルティア・セン 集英社新書
『人間の安全保障』 (アマルティア・セン 集英社新書
アメリカとは何か』(斎藤眞 平凡社ライブラリー

東京都美術館「オルセー美術館展」

東京都美術館でオルセーの企画展があるというので行って来た。
国立西洋美術館と比べると少々手狭で
分かり難いところにある東京都美術館であるが、
昼時前だと言うのに多くの客が詰め掛けていて辟易させられた。
日本では何故か印象派の絵画は受けが良い。
我輩としては18、19世紀古典派の絵画と印象派のそれに
優劣など存在しないと考えるが世人はそうではないらしい。
彼らは印象派の特別展となると大挙して押し掛ける。
ここではオルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』で指摘したような
「蝟集の事実、『充満』の事実」を容易に見出す事が出来る。


以前、我輩は高島野十郎という昭和時代の写実的な画風で知られる
画家の回顧展に知人を連れ立って赴いたのだが、
初日だと言うのに余りに客が少なくて驚いた事がある。
彼は20世紀の画家とは思えないほどに、
愚直なまでに物を写実的に捉えて描いたのだが、
ピカソなどの絵より余程面白いと言うものだ。
抽象画というのは画家のエゴが露出されていて、
画家の主観ばかりが表れている。
媚び諂いが不快を買うように、
行き過ぎた自己主張、自己表現も毒にしかならない。


日本の美術館の良くないところは
特別展や企画展ばかりに頼って常展に力を注いでいないところだ。
客は客の方で常展に足を運んだ事も無いのに、
こういう目新しい企画展には興味を惹かれるらしい。
衆愚とまでは言わないが、
こうした悪循環は何とかならないものかとは思う。
加えて、今回のオルセー展でもそうだったが、
図録の値段が高すぎる(が、良く売れていた)。
いくら企画展とはいえ図録は画集ではないのだから、
せめて2000円以下に抑えるべきだろう。


公立の図書館などでもそうだ。
ベストセラーをあんなに仕入れてどうするのだろう。
10年も経たずに読まれなくなるだろうに。
そして四半世紀もしないうちに廃棄され、
後は好事家の記憶にのみ残されるだけ。
流行というのは概ねそのようなものである。
たかだか3年ほど前のベストセラーが
ブックオフの百円棚に大量に平積みされているのを見ると、
そのようなろくでもない思いに確信を抱くようになる。


19世紀の芸術と言うのは「近代」文明抜きには語りえない。
我々は無意識の内に芸術を虚業の中に押入れ、
実業や産業といったものとの関係を認めない。
だが、実際虚業だけで成立する事が困難なように、
実業と虚業というのは本来複雑に関連しあっているものである。
「Art」という言葉も元来「技術」という意味合いが強く、
「Art」には「学術」の意味もある。
例えば、孫子の『兵法』の英訳は『The Art of War』と著される。
19世紀は種種の専門家が誕生した時代であるが、
その分化は複雑な連関からの離脱を意味しない。
独立や個別化は常に断片化を免れ得ないのである。


急速に隆盛する都市文明に不適応を示した一群の芸術家達は、
都市を離れて彼らのコロニー(共同体)を作った。
牧歌的なバルビゾン派のようなものもあれば、
ゴッホゴーギャンのように悲劇に終ったものもある。
ユートピア」というものは何時の世でも
現実に対する反逆でしかないのだ。
良くも悪くもそうしたものは長続きしない。
無理に押し返そうとすれば引き寄せられ、
逆に引っ張れば押し倒される。
平衡感覚を意識的に保つ事は難しい。


どうにも印象派というのは、
その明るい色彩のせいか、
その画家自身も陽光の側の人間だと
同行者は思われているようだったが、
それは違う。


たとえば日曜画家からはじめたゴーギャン
ゴッホとの共同生活に破綻した後に
近代文明から逃避してタヒチに渡る。
が、そこにあったのは近代の植民地に過ぎなかった。
彼は何度かフランスとタヒチを往復しているが、
その生活は困窮と挫折に満ちていた。
彼は絶望の果てに自殺未遂すら起こしている。


モネは貧困の内に妻を亡くし、
晩年は緑内障による視力の喪失という恐怖を味わい、
ルノワールリュウマチに苦しめられた。
その末期には絵筆を握る事すら出来ず、
筆を手に括りつけて描いている。
また、彼は描いた時期によってまったく画風が違い、
その変遷は彼の迷いを映しているかのようだ。


アンリ・ファンタン=ラトゥールが描いた
「バティニョールのアトリエ」は、
友人マネ率いる新進気鋭の画家達に対する
優しさと誠実さの感じられる大作であったが、
その描かれた内の一人、
フレデリック・バジールは普仏戦争で夭折している。
享年29、早過ぎる死であった。
アンリ・ファンタン=ラトゥールは、
古典的な写実の画家であったから、
ウィキペディアでは今だ赤で表記されている。
我輩は20世紀の絵画群を燃やし尽くしても
一向に構わないし惜しくないと考えているが、
彼の絵は、と言うより19世紀の正統派の絵画は、
もっと評価されてしかるべきであると思う。


詩人ポール・ヴァレリー
20世紀と19世紀を繋げ合わせる
架け橋のような人であった。
彼は印象派の画家達と実際の交渉をもった
数少ない20世紀人である。
彼は「踊り子」で知られるドガについて、
その気性の激しさを
「画家の精神はその外に宿る」と評している。
ドガは癇癪の余り友人の画家にもらった絵を
引き裂くなどの事件を引き起こした。


狂気の渦に飲まれた人ゴッホについては
言及するまでもあるまい。


ただ、19世紀の全体に於いて、
人々は非常に楽観的な理想主義者であった、
というのは確かであろう。
彼らは今だ挫折を知らぬ夢見る子供達であった。
普仏戦争はフランスにとって屈辱的であったが、
それでもその傷は微々たる物に過ぎない。
多くは文明の盲目的な賛美者であったし、
変化は進歩であり、明日はより良くなるものであった。
その夢が覚めたのはあの大戦によってである。
大戦後の文人ツヴァイクの遺書『昨日の世界』は、
19世紀欧州への懐古の情で満ちている。
そして、悲嘆の余り彼はついに自殺してしまう。
闇の中にあっては過ぎ去った影すらもが
光を放っているように見えるに違いない。


こうした時代の中にあって、
先のゴーギャンのような文明の批判者というのは、
その存在自体が極めて異端的であり、
その評価は死を待たねばならなかった。
彼らの敏感過ぎた感覚と直観は、
あまりに時代を先行し過ぎたのである。
同様にニーチェのような偉大な先覚者は
己の研ぎ澄まされた神経にズタズタに切り裂かれて死んでいった。
彼という人間は純粋過ぎたのである。
トルストイのような理想に生きた愛他主義者であっても、
ついには孤独を求めて駅舎で独り死んだ。
19世紀という急速に隆起する時代にあって、
その深まる深淵に気が付いた者は極僅かである。
そして、それは気が付いた時にはもう遅かったのだ。


セザンヌはモネの事を
「モネは眼にすぎない。しかしなんという眼だろう!」
と評しつつも
「よく考えなければならない。
 眼だけでは十分ではない。反省が必要だ」
とも述べているが、
20世紀の芸術は総じて考え過ぎであった、
あるいは瞑想していたと言えるのかもしれない。
絵画に限らずとも文学においても
書く事ばかりに熱中して読んでもらう事や
読む事を軽んじた浅慮な一群の作家達が現れた。*1


今日、我々が世紀末やデカダンス
虚無を強調しがちであるのは、
我々が夢を知らない廃墟に生きているからだ。 
夢物語は「昨日の世界」であると先見的に判断してしまう。
不信が暗鬼を生じさせるように、
挫折は挫折を呼び、不安は過去の内に見出される。
しかし、19世紀に夢だけを求めるのが間違いであるように、
剥き出しの現実だけに眼を向けるのも正しくない。
おそらく、その境界性こそが世紀末の特徴なのであろう。


少々抽象的な話が多すぎたので、
最後にいくつか具体的なレビューをば。


絵も面白かったのだが、
黎明期の写真の数々が
この展覧会では最も興味深かった。
ご存知のとおり、初期の写真撮影には
長時間の露光を必要としたので、
自然と構図の採り方も絵画の二番煎じに甘んじていたのだが、
年代順の後半の物になると現在の写真の構図に近い物が現れ、
絵画とは異なる魅力を示していた。
19世紀ではないが1920年頃に撮られた
タールマンの「エッフェル塔に向かう4人の男」は、
遠くに霞んで見えるエッフェル塔に向かって
男たちが今正に歩いていこうとしているように見える。
アンリ・カルティエ=ブレッソンの『決定的瞬間』を想わせ、
今日我々が見る写真と大差が無かった。
それは人間の感覚や想像を超えたリアル、
つまりは瞬間、刹那を切り抜いて見せたのである。


写真もさる事ながら工芸品の数々も良かった。
日本の古伊万里柿右衛門を模したと思われる磁器は
ジャポニズムシノワズリの名残を感じさせる。
金属と組み合わさったガラス細工は見るからに複雑で、
ガレによるガラス細工と同様に工業化の進展による良質なガラスと
優れた無名のガラス職人無くしてはこの世に生まれなかっただろう。
そもそもオルセー美術館自体があの時代の技術遺産である。*2
あの時代の代表的な建築物の図面やミニチュアも展示できれば
もっと良い展覧会になったかもしれない。
オルセー美術館の写真もある事はあったのだが、
部分的なもので全体を見渡せるものではなかった。
その辺が“企画”展として少し残念ではあったが、
全般的に面白い作品が揃っており見て損は無かった。


●参考
http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/420.html
http://www.orsay3.com/  
http://www.nikkei.co.jp/ps/podcast/orsay/

*1:例えば『死霊』などがその良い例である。あんなものはただ分厚いだけの紙屑だ。あれを評価している連中は小賢しいスノッブに過ぎない。

*2:駅としては1900年に建設。意外にも美術館としての歴史は浅く、開館したのは1986年。

岩波文庫80周年

我ながら大仰なタイトルだが、
半分冗談、半分本気。
まあ、気軽に流し読みして欲しい。
我輩も読書の合間のストレッチ程度に書いている。
さて、岩波文庫が80周年とやらで
創刊時のラインナップを復刊していたのだが、
あんなもの文献学者的好事家以外に誰が買うと言うのだろう。
少なくとも我輩はまず買わない。


かつて「岩波文化人」という言葉があった事を、
今の若い人々はご存じないだろう。
物好きな読書家の中には過去の記憶として
それを覚えていらっしゃるかもしれないが、
もはや遠い昨日の世界であろう。
左翼知識人にとって昭和の冷戦期は、
『世界』などが世論に影響を与える事が出来た輝ける時代であった。


およそ精神や思想の歴史を知ろうとすると、
どうしても書かれた事に印刷された物に頼らざるを得ない。
しかし、まこと逆説的であるが、
理論家が沈黙するのはその説が滅びたからではなく、
その説が現実に生き始めたからなのである。
書かれた事が必ずしも肝心なのではなく、
むしろ時として語られなかった事の方が
語れなかったが故にあるいは
語る事が“出来なかった”が故に重要となる。
それ故に過去における思想の現実を
書かれた物のみをもって復元する事が
とても困難に感じられるのである。


加えて思想において初学者を混乱させるのは、
「名称」と「実相」が一致しない事だ。
例えば「自由」は古代において「自足」の意であったし、
中世キリスト教世界においては
「神の意志」に対する絶対服従を意味していた。
そして、近代人ニーチェはこれに反逆し、
ついには「神は死んだ!」と絶叫する。
彼にとっては「力への意志」こそが「自由」であった。


我々の生活のおける精神は、
何も探さなければ見つからぬようなものには、
宿ってはいないだろう。
同様に過去において営まれた精神は、
その当時において生きていたものを見なければならない。
そういう意味において誤解や誤読などといったものを
排除する必要は全く無いのである。
誤謬や誤解も人間や歴史を衝き動かす
と言う意味において現実だからだ。


このような意味において、
小熊英二の『民主と愛国』は
まこと労作であるが、
思想家としての営為と言うよりは、
化石を以って恐竜を語る考古学者の所業に近かろう。
涸れた井戸を以って過去の水脈を語る者に、
一体どれほど人間が動かされようか。
なるほど、それは学問的には正しいのかもしれない。
だが、正しいか、間違っているか以上に、
我々が知るべきは良くも悪くもその影響であろう。
善悪とは関係無くそれが歴史を動かしているのだから。


たとえば戦前戦中の思想に触れると
今日まったく名を留めていない多くの者を眼に留める。
これは思想に触れる上で最も酸っぱい経験である。
彼が関わった論争はもちろん
彼も対立者も忘れ去られてしまった。
特にベストセラーは時代を反映する、
反映するが故にその時代的限界をもろに被る。
その時代に適合し過ぎたが故に、
そうした本は時代の変遷に耐えられないのである。
斯くして時は紙価を高めた書物をも紙屑と化す。
おそろしい事である。


時代の雰囲気と言うものが確かにある。
そういうものは書かれた物からは分からない。
若い人々は想像できるだろうか。
かつて『朝日新聞』『朝日ジャーナル』『世界』を
三種の神器と呼んで若者達が熱心に購読していた事を。
それが一種格好良いと持て囃されていた事を。
想像し難いだろうがかつてはそういうものが
スタイリッシュなファッションだったのである。
だからと言う訳でもないが、
中には不純な動機の者もかなり居ただろう。


右傾化、右傾化と最近は良く叫ばれるが、
産経新聞』『正論』『諸君!』を片手に
大学の構内を颯爽と歩いても、
格好良いと思われないどころか
変な奴と思われるのがオチだろう。
現代の賢明で健全な学生諸君は
そんな思想を走り抜いてしまって、
右だの左だのと叫ぶ連中は取り残されてしまった。
現代において右翼だろうが左翼だろうが、
単なる時代の脱落者に過ぎない。


「文化とは生き方の事である」
とかつてT・S・エリオットは述べている。
その意味において、
大多数の人にとって思想とは生活の形で表され、
思想家は言葉によって示しているのに過ぎない。
語らぬ人々は語られぬ雄弁を有しているのである。
生活によって営まれる思想が、
あくまでも全体として存在しているために、
我々はそれを断片でしか見る事が出来ない。
今日、その断片化の傾向は甚だ激化したように思われる。


文化としての、生き方としての岩波は、
表題の通り死んでいる。
もはや未来を語ることはおろか、
今を指し示す事すら困難に陥っている。
『世界』は過去の夢物語の焼き直しへと退行し、
まったく一部の人のための雑誌と成り果ててしまった。
『世界』などの今日における岩波文化は
未来に対する失語症に陥っている。


岩波文庫の最新刊が
まったく精彩を欠いているのに対し、
昨今、目を見張る充実振りを発揮しているのが光文社だ。
光文社の古典新訳文庫は実に素晴らしい。
文語体を知らぬ若い世代のために、
新しい画期的な翻訳を行っている。
新潮文庫版『カラマーゾフの兄弟』に挫折した人々でも、
こちらの版ならおそらく読み通せるのではないだろうか。


これ以外でもカントの新訳なども優れており、
また最近の光文社新書
非常に良いラインナップを誇っている。
宮崎哲弥が褒めていた
『日本とフランス 二つの民主主義』は、
若干褒め過ぎの気もするが中々面白かった。
同新書の仲正昌樹
『日本とドイツ 二つの全体主義
『日本とドイツ 二つの戦後思想』
も面白い本であった。


光文社はカッパ・ブックスのイメージのせいもあってか、
こういう堅い本とは無縁であると偏見を抱いていた。
また、あまり経営状態が良くないらしく、
若い編集者が多く、
その多くは定年を待たずして他者へ転職するという話を
人づてに聞いていたので、
そういう余裕も無いと思っていたが、
こういう良い仕事をしていたようだ。


もっとも、現在の岩波も良い仕事もしている。
編集者の教養水準が高いためか、
装丁のセンスは良いし、物が書ける人も多い。
例えば最近では小熊英二や馬場公彦などだ。
期待外れの多い新刊にあっても、
アドルノ、ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』を
岩波現代文庫ではなく岩波文庫で出版しているし、 
松本礼二によるド・トクヴィル
アメリカのデモクラシー』の新訳はとても良かった。
まだ第一巻(全二巻四分冊)しか岩波文庫から出版されていないが、
おそらく決定版になるのではないかと思う。
ド・トクヴィルはルソーに比べるとマイナーだったせいか、
既刊の訳の評判があまり良くなかったので喜ばしい事だ。


だが、一方で岩波の『世界』はますます閉鎖的になっているし、
それに伴って執筆陣の水準も下がってしまった。
一番致命的であったのは例の拉致事件であったように思う。
あの頃になお『世界』は和田春樹東大名誉教授の
拉致事件マボロシ論を掲載してしまって、
『世界』で執筆していた学者や評論家からも見放されてしまった。
この件に関してある朝鮮研究家が岩波の編集者に
謝罪を勧めたそうだが黙殺されてしまったそうだ。
笑えない話だがまるで大本営のようである。
しかも未だに彼らは謝っていない。


昨今捏造報道が問題になっているが、
『世界』に連載されベストセラーにもなった『韓国からの通信』は
T・K生という韓国人が書いたことになっていたが、
実際は日本に居た安江良介池明観
まったくの想像で書いていた事が明らかになっている。
これすらも未だ読者に対して謝罪をしていない。
今となってはどうしてソ連や中国を平和勢力と見なしたり、
北朝鮮を美化してきたのか、
ただ不可解な歴史的事実として残るばかりである。


最近の本を読んでいてしみじみと感じられるのは、
現代はもはや戦後を同時代として
語ることが困難になっている事だ。
戦後思想家ですらすでに三代を数えるようになり、
一代目の巨人達……丸山真男竹内好といった人々の姿が、
もはや影すら留められなくなっている。
彼らの批判者たる二代目すらすでに忘れ去られつつある。


傷が生々しく残っていた50年代の戦争論ですら
すでにあの戦争を同時代の出来事として語る事が
甚だ困難になっているという記述がある。
戦前はもちろん80年代以前の戦後社会ですら、
若い人々にとっては異世界のように思えるのではないか。
少なくとも我輩が古い『世界』などの雑誌を読むと、
とても同じ国のようには思えないからである。
正に隔世の感というものを覚える。 


まったく今日ほど偉大な時代があったろうか。
名を竹帛に垂れても、
半世紀と立たずして下ろされる。
金枝篇』の年老いた王が首を刎ねられ、
若き王が黄金樹の枝を折るように。
およそ知識というものに歴史性が失われてしまったか、
或いはその歴史性に人間性が宿っていないだけなのか。
人は歴史の中に位置づけられるが、
しかし人が歴史を作っているのではないのだろう。
歴史それ自体が歴史を作り、人を動かしているのだ。


19世紀から20世紀にかけての思想は
この歴史や時代という化け物に立ち向かった。
マルクスの「自己疎外」論などはその典型であろうが、
全ては歴史の闇の中へ消えて行った。
あるのは残留思念の如き断片だけである。
19世紀に幽霊の如く共産主義
立ち現われるであろうとマルクスは言ったが、
今日のそれは亡霊や悪霊のようなものとなっている。
未だ共産主義に未練を残している人間は多い。
彼らはドストエフスキーの『悪霊』の原題通りの意味、
つまりは「憑かれたる者」であろう。


我々は流れるままに流れるしかないのであろう。
逆らわば飲み込まれ、乗れば押し流される。
ファシストが跋扈すればファシストとして振る舞い、
マルキシズムが流行ればマルキストとして生きるしかないのだろう。
時代に生きる者に選択の余地は無い。
それを拒絶すれば「反時代的」という烙印が捺されるだけだ。
斯様に歴史とは非人間的所為であるが、
それを否定する事すら叶わない。
まことに偉大な、高き時代であるが、
同時になんと難儀な時代であることか。


テヅカ・イズ・デッド」と言った時、
それはマンガの死を意味しない。
否定によって逆説的に逞しく再生しようとする、
そういう野心な試みなのである。
比して今日の思想においては、
イワナミ・イズ・デッド」と叫んだ時、
まさにそれは思想の死を、論壇の崩壊を意味した。
知識人は時代を先行く先導者ではなくなったのだ。
もはや時代の本流からは逸れてしまった。
細り切ったかつての大河は
やがて支流と共に絶えてしまうのだろう。


反岩波の知識人は自己の闘いの結果
と信じたがそうではないだろう。
言論の正しさによるのではなく、
時代がそれを許さなかったというのに過ぎない。
正しさも誤りも時代が傍証するのだ。
人々はもはや知識人という人種を信じず、
またそこに価値を認めとようしない。
勝利の美酒を得る事が叶わなかった人々は、
復讐によって満足を得るか、
はたまたありもしない敵を語って
英雄となろうとするか。


こうした屈折し歪められた願望は、
なお過去の夢物語にしがみつく者、
空を斬るが如き悪夢に魘された者を生み出す。
思想ほど人を突き動かすものはないが、
同時にこれほど人に重石を背負わせ歪ませてしまうものはない。
言論とはまったく痛々しく空虚なものだ。
しかし、何事も空白を嫌う。
この喪失の後に何が現われて来るのだろう。
しかしてこの寂莫たる荒野に
なお種を蒔く人は果たして居るのだろうか。
そして、その種は受け入れられるだろうか。
 

思想というものに触れ続けて思うことは、
知的であること、理性的であることの難しさだ。
これは本当に難しい。
人々は理知的であることよりも、
誠実である事を求めてくる。
彼らの理想や希望に忠誠を誓わされるのだ。
いや、理知的であること、
これすらもある意味では誠実さの呪縛にとらわれている。
理性にわれわれは屈服され服従を強要されているのだ。
人々はひたすら自由からの逃亡を図り、
誠実に従属する道を歩んでいる。
斯くして思想的営為は無為無用な上に
極めて困難なものになってしまった。
この事が良いのか悪いのか、我輩には分からない。

宮台真司氏の所説の疑問:補遺

宮台真司説にせよ、丸山真男説にせよ、
「亜インテリ論」は妥当かと問われれば、
我輩は“否”と答えざるを得ない。
そもそもインテリゲンツィア、知識階級と呼ばれるものすら、
抽象過ぎてその実体性は疑わしいものである。
宮台氏の「田吾作」発言に至っては
単なる罵倒語としてしか理解出来ない。
農業人口が一割を切っている今日では、
農民や百姓すら死語に近かろう。

インテリゲンツィアはいまだかつて階級ではなかったし、もともと階級にはなりないものである。かれらはその成員を社会の全ての階級から寄せ集めてきた中間層であったし、現在も依然として中間層である。過去の時代には、インテリゲンツィアは、貴族やブルジョワジーのあいだから、部分的には農民のあいだから、そしてごくわづかの程度においてのみ、労働者のあいだから募集している。が、いかなるぐあいにもその成員を集めてこようと、またかれらがいかなる性質を有していようと、いづれにせよインテリゲンツィアは中間層であって、階級ではありえない。


実に皮肉っぽい調子のインテリ論であるが、
これを書いたのはかのスターリンである。
フルシチョフによる批判が露見するまで
聖人君子の如く崇め奉られ、
あげく廃仏毀釈の如く見捨てられ軽蔑された男であるが、
今日なおロシア人の間では人気が高い。
加えて――これはロシアの指導者に共通する事だが、
良かれ悪しかれ熱心な勉強家であった。
我が国の政治家も志士のような文人政治家でなくても良いから、
せめて読書くらいはして欲しいものである。


先に「志士」という表現を用いたが、
明治の初期において、
インテリゲンツィアに対応する語は
「志士」であると考えられていた。
と言うのも、明治初期の学生において、
将来の理想は専攻如何にかかわらず、
天下の治者たることであり、
それは「書生、書生と軽蔑するな、今の参議は皆書生」
といううたわれ文句にもよくあらわれている。


元書生と言われた若き維新の志士たち*1
黒船来航から維新までの僅か15年間に台頭した人々であり、
彼らにおいては何より実経験から得るところが多く、
規則的な教育を享受する者は少なかった。
インテリとしては嫡流ではない実に雑多な人々である*2
彼らはエリート意識こそ強かったが、
彼らにおいてはエリートとインテリの区分はまだ見られなかった。
彼らは時に著述家(啓蒙家)であり、政治家であり、軍人であった。
これは過渡期故の現象であったと言えよう。

竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。


(中略)


さきほど、丸山真男の亜インテリの概念を紹介しました。「知識や教養を持つのに、社会や文化の批判という使命を果たさずに既存体制維持に協力する、知的には二流以下の階層」という意味です。アカデミック・ハイラーキーの頂点になりたいのになれない人びとの前には、ミドルマンになる道と、亜インテリになる道とが開かれています。日本は亜インテリだらけで、ミドルマンがきわめてすくない。それが日本のメディアの機能不全をもたらしています。


この宮台真司氏の意見は対象を単純化し過ぎている上に
亜インテリ(≒ミドルマン)と大衆の役割を軽視し、
リベラルに代表される知識人を買い被っている様に思われる。
明治の近代化にしても、
昭和の翼賛体制及び復興にしても、
日本の推進の動力源を担ったのは、
常にミドルクラスの実学インテリ(≒亜インテリ)たちである。
田に水を引く水車の建設者は
確かに一部のエリートたちによって行われたが、
その水車を回す足となったのは実学インテリたちであった。
彼ら無くして日本の近代化はありえなかったし、
良かれ悪しかれ戦争遂行も不可能であったろう。
彼らをプラスに評価すれば草の根のモダニストと言えるだろうし、
マイナスに評価すれば草の根のファシストとも言える。


こうした人々は大衆と選良との間にあって、
一種の緩衝材として機能していたが、
業種が多様化し、人々の繋がりが希薄化する今日に於いて
彼らを実際に見、実感する事は難しい。
ノーベル化学賞を受賞したサラリーマン
田中耕一*3氏はその最後の光芒であったように思う。
正確に言えば、明治の教育設計者達の理想が達成された、
と言う意味においてである。


逆説的であるが、理論や思想はそれが一般化すればするほどに、
それ自体は目立たなくなるものなのである。
理論が現実と乖離しているからこそ理論家は声高に己の思想を叫び、
理論が現実において実現しつつある時、理論家は満足の内に沈黙を保つ。
それ故に生きている思想を見ようと思ったら、
我々は書かれた物ではなく人間の生活を見なければならない。
思想家以外の人間に於いて思想とは、
生活という形で表されるからである。


知識人の歴史を振り返ってみた時、
今日的姿を取ったのは極めて近年の事である。
それまでの過去に於いて、
エリートは同時にインテリであったし、
インテリは同時にパワー・エリートであった。
今日のインテリを特徴付けているのは、
知的であるかや知的誠実さなどではなく、
単に職業に於ける専門化が進んだ事による。
インテリだけが何も特別な地位にある訳ではない。
それは今日の雇われ社長や群臣の一人に過ぎぬ官僚など、
各種実業のパワー・エリートにすら言えよう。
つまり、多様化と同時に数が多過ぎるのである*4


この論文は読み様によっては
リベラルは常に体制から自立し批判している、
と言う風に読めるが、
それは実態から非常に乖離している。
20世紀初頭以降、先進諸国では、
インテリすらもが体制に動員され、
また、そうであるが故にその職能的特徴が強調される。
ニューディール体制におけるリベラル知識人、
ナチズム、ファシズムにおける一部の知識人、
近衛体制における自由主義者を中心とした昭和研究会など、
むしろ積極的に体制を運営する側に回った知識人が多いのである。
ポルトガルなどに至っては大学教授であったサラザール
軍部独裁に協力し、最終的には独裁者にまで上り詰めている。


さらに「知的階層」と言った時、
リベラルであれ何であれ
果たして権力から自由で居られるであろうか。
残念ながらそれは肯定し難い。
何故なら、そもそもその「知的階層」を作り出した、
あるいは知的世界の秩序を構築したのが、
かつての権力者達であったからだ。
帝国大学を設立し、それを頂点とする教育システムを作ったのは、
森有礼井上毅など当時の権力者である。
今日なおそのピラミッドを崩せずにいるのは、
私学の怠慢と在野精神の貧困さに起因すると言わざるを得ない。
今日のサラリーマン教授よりもたとえ知識や情報は乏しくとも、
開学当初の私学設立者の方が「自由」の何たるかを理解していただろう。


かつて福沢諭吉は同時代の学者を批判して
その学は「官許」であると述べている。
この皮肉が表すようにアカデミズムが必ずしも
体制批判の役割を担っていたわけではなく、
むしろ体制と不可分の状態にあった。
学園の自治にしても、自由にしても、
それは与えられた権利に過ぎない。
それ故にアカデミズム批判は
何も蓑田胸喜のような右派だけでなく、
左派でも竹内好吉本隆明などアカデミズムの
激烈な批判者が現われてくるのである。
それが最も先鋭化した全共闘は、
この体制と密着したアカデミズム(特にその象徴しての東大)
を暴露したという意味では評価しうるだろう。


時に評価という言葉について、
人々はそれを賛意や礼賛と勘違いしている嫌いがあるが、
評価とは単に物事の一側面に光を照らすものでしかない。
我々が知り、あるいは見るのは、
事物の極々一面の事に過ぎないのである。
大抵は甘いも酸っぱいも嘗め尽くしてしまう前に、
この味は何であるとか判断を下してしまう。
此の種の判断において最も忌むべきは、
“良い”“悪い”の裁定(judgement)だ。
と言うのも人に思考停止を強いるからである。


今回の宮台氏の論文で我輩が最も反発したのは、
氏が明らかに読者に踏絵を迫っている事だ。
本来、知的営為とは試みであるはずだ。
知的営為のような虚業においては、
実業に於けるような一回性を背負わなくて済む。
そうであるが故に条件付けなど施すべきではないのだ。
知的営為に於いてそれ自体に意味など無いし、
また、根拠なども全く無いのである。


今日、左派に対してだけでなく、
右派の知識人に対しても人々が冷たい視線を送っているのは、
まったく致し方無い事だと言わざるを得まい。
彼らはもはや如何なる権威をも認めず、服従を拒否する。
誤解を恐れずに言えば、
宮台氏が言うようなミドルマンと亜インテリの違いなど、
真正のインテリとやらに対する忠誠と反逆の違いに過ぎまい。
そういう態度は長い目で見れば必ずや手痛いしっぺ返しを食らうだろう。


我々が前世紀に学んだ痛恨事は、
思想を固定化する試みは必ず破綻するという事だ。
冷戦の勝利をイデオロギー闘争の終焉と見て、
自由主義を移植しようとした試みがどうなったか、
共産主義が歴史の必然であると見た体制の実態がどうであったか、
我々はもっと思い至るべきなのではないか。
自明なるものなど何も無いというマニフェスト自体が、
自明なるものなど“何一つとして無い”という事に反するのである。
にもかかわらず、どうして斯くも無邪気に人は
論理を駆使する事が出来るのだろうか。
無謬性への信仰無くして確信などは存在しない。
今日の知的営為はまことに難儀な事である。


それにしてもこの種の問題において、
「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」
と言う歴史家アクトンの言葉は俗耳に入り易いが、
それと同程度に権力の欠如もまた危険と言わねばなるまい。
何故なら両様に無責任を拡大するであろうから。
サヴォナローラカルヴァンの神聖政治然り、
クロムウェル清教徒支配然り、
レーニンスターリンプロレタリアート独裁然り。
東洋においてすら王莽の儒教政治など、
権力(俗権)否定の逆説的圧制を見る事が出来るが、
権力の真空は充満と同程度に危険なのである。
襤褸を纏った聖人の政治は豪奢王の政治より時に苛烈なのであって、
我々はソドムとゴモラを焼き尽くしたのがその地の悪党ではなく、
神聖なるものの御業である事を忘れてはならない。
我々は邪悪なるものをおそれるのと同様に神聖なるものをおそれている。


まったくもって度し難い事に
人間と言う生き物は
悪(権力)に染まる事も出来ず、
神聖(愛智、信仰)である事も出来ないのだ。
かつてニッコロ・マキアヴェッリが嘆いたように、
人間は、百パーセント善人であることもできず、
かといって百パーセント悪人であることもできない。
だからこそ、しばしば中途半端なことをしてしまい、
破滅につながることになるのだ。

*1:年長者の西郷隆盛ですら四十歳と非常に若い

*2:例えば、伊藤博文などは士族ですらない

*3:学歴は東北大学の工学士に過ぎない

*4:オルテガの言うところの「大衆人」の台頭

思想風景

普段何気なく暮らしていると、
ふと周囲を見回せば、
風景が一変している事に気が付き、
大変驚かされる事がある。
同様に思想風景というものも、
一種の流行なようなものであるから、
やはり気が付くと原風景を
留めていない時がある。
元より原風景などないのかもしれない。
物がただそこに在るように。


伝統主義などという言葉があるが、
その時代時代によって
伝統の意味や内容は概ね異なっている。
この手の言葉は箱なのであって、
箱の中に何かがあるとは限らない。
あるいは箱の中身は
その時々において変わっていくものだ。
そして、こういった言葉は中身(説明)がなければ、
単なる「あれ・これ・それ」の代名詞と相違ない。
つまり、中身があるならば
それは代名詞に置き換えても意味が通じるものであり、
逆に置き換えて通じなければ空虚である。


伝統とは過去から未来への流れに沿って、
現在を位置づける事を意味する。
それは包括する枠なのであり、
それその物は薄い袋のようなものなのだ。
伝統とはそういう意味において歴史性と同義であろう。
それは背景のようなものなのである。
それは在る時には逆説的に見えない。
見える時は視界であって背景ではない。
背景において視る主体は単なる部分に過ぎない。
断片は何処までも断片に過ぎず、
たとい断片を繋ぎ合わせた所でそれは全体にはならない。


最近、ブログランキングの政治ジャンルの上位が、
悉く自称右翼に占められているのを見て我輩は眉を顰めていた。
だが、「きっこのブログ」のような反俗的な俗物を見て、
左の人々に対しても不快さを感じた。
右にせよ、左にせよ、
理想や目標といった看板を掲げた瞬間に、
どうしてここまでドグマティズムに陥るのか、
我輩には不可解でならない。
あるいは何かを信じると言う事が
甚だ困難となっているこの時世において、
斯くもファナティックに
己の思想を確信できている事に羨望すら覚える。


例えば、シンドラー・エレベーター事件や
耐震強度偽装問題に対する世間の反応は、
少々ナイーブ過ぎたように思えた。
謝罪などといった道義的な責任と、
対処や賠償といった法的な責任の問題があるが、
我輩は前者をとやかく述べるのをやめるべきであると思う。
法治とはその否定によって成り立っているからである。
もちろん道義的な責任を取る事は悪い事ではない。
ただ、道義的な問題はおよそ主観的であり、
それが客観的である法的な責任よりも先行するのは
時に危険ですらありうる。
正義派の「きっこのブログ」が
単なるゴシップに陥ってしまっている事も、
これらに通じるものがあろう。
ファシズムは悪だけではなく、
善や正義にもまたありうる。
むしろ、善や正義のファシズムほど恐ろしいものはない。
道徳志向性には天井が無いからである。
故に一方的な物に対して慎重でなければならない。


これらの現象において何より理解できないのは、
左を自称する者にせよ、右の者にせよ、
ブログという個人メディアを使いながら、
徒党を組みたがる事である。
どうして個を発する人々が
自ら没個人的に陥ってしまうのか。
言論を封殺するのは何も暴力や権力によらずとも、
言論が他の言論を抹殺しようとするものだ。
そういう不健全さが、
戦前戦後と変わらず続いておる事に、
我輩は失望と若干の軽蔑を禁じえない。
自己の正当性を信じる人々が、
どうして他人を貶め、非寛容的になるのだろうか。


我輩は何々派と名乗る人々を基本的に信用しない。
それ故に現在の私は、
何々主義だとか、何々の立場であるとか、
そういうレッテルを自らに貼りたくない。
他人が貼るのは許せるとして、
自称する事に戸惑いを覚えてしまう。
現在の我輩は保守的であると思われる事が多いのだが、
だからと言って、保守主義者を気取りたくはない。
そもそも保守主義の何たるかがまだ良く掴めない。


ただ、とあるブロガーが、
日本の保守とリベラルについて、


保守:大衆は無知なので力のある人々が導いていく必要があると思ってる
リベラル:大衆は賢明だと思っている


保守:理論でガチガチ
リベラル:情を汲む


と述べていたのだが、それははっきり違うと言える。


そもそも「大衆」なる不遜な言葉を
生み出したのは知識人たちだ。
権力の側にも、民衆の中にも入れなかった彼らは、
その中間に知識人階級なるものを作り上げて、
自分達と区別する上で庶民を「大衆」なぞと呼んだ。
そういう孤立した自己集団は、
理論で自らを正当化したがるものだ。
それ故に彼らには明確な理論というものを持っている。
具体的に言えば、
戦前の百家争鳴の体を成した革新思潮*1であり、
共産主義であり、進歩主義である
彼らは民衆に啓蒙と言う教えを垂れる宣教師であった。
そうした人々が「大衆」なるものを
見下していない訳が無い。
理想が必ずしも温かい人間性を持っているとは限らない。
時としてゾッとするような非情さを備えているものだ。


一方で保守はどうだったか。
こちらには明確な理論と呼べる物があるか疑問である。
結局の所、保守は革新主義への対抗でしかなく、
はなはだ受動的なものであった。
そういう意味において保守は、
まさに「Re-Action」―反動―であった。
多くの人は保守的だとか、反動的であるとかと言われると、
それを不名誉なもののように受け取るが、
我輩は別段それを悪い言葉だとは思わない。
誰も彼もが「Action」ばかりでは気持ちが悪い。
「左傾」、「右傾」と言う言葉は実に良く出来ている。
左に傾(かぶ)くと書いて左傾である。
「Action」があって「Reaction」があるのは、
運動(力学)的にも別段当たり前の事のように思える。
明確な未来への理論(グランド・セオリー)が無い以上、
あらゆる左右の思想は前後に流れる如き物ではなく、
あたかも振り子の如く揺れている物に過ぎない。
これが我輩がバックラッシュなる言葉を好まない理由である。


かつて保守と呼ばれた、
あるいは反動なんぞと罵倒された人々は、
確かに「大衆」なるものを信じなかった。
だが、彼らは「大衆」なるものの実在を疑っていたのであり、
自身の言論すらその無力さに自覚的であった。
彼らは大衆以前に人間の知性を
過度に信頼する事に対して
警鐘を鳴らし続けていたのに過ぎない。


我輩が自称保守派を信じないのは、
保守とは単なる現実や変化への態度に過ぎぬからであり、
それを主義信条などのドグマに転化する事に、
堪えられない不快さを抱くからだ。
右にせよ、左にせよ、
それを誤りなきと思った時点で、
硬直し、現実から遊離して行かざるを得ない。
理論の精緻さとは単なる写実に過ぎないであろう。
現実そのものではないのだ、写実に過ぎのだ。
そして、写実は往々にして美しく見たがる。
そのようなものはたとえ現実(主義)を標榜していても、
かつてはどうあれマヤカシに過ぎないのではないか、
そういう疑いを懐いているのだ。


正直に告白すれば、
リベラルだの、保守だのと連呼する輩を嫌悪している。
リベラリストだか、保守主義者だか知らないが、
リベラル一派、保守一派と呼んだ方が良いのではないか。
そういう観念に踊らされている
人々の軽佻浮薄さに我慢ならぬ時がある。
インターナショナリストを気取る輩も大嫌いだ。
彼らは単にアナーキストか、
コスモポリタンな自己に引け目や後ろめたさから、
自己欺瞞や自己正当化に走る。
自身が左翼にはならないだとか、
左翼ではないだとか、白痴なのではないかと思う。
そういう便利な言葉に頼っているから、
自己の陥っている錯誤にも、
自己の気づかぬ内に染まっている
観念にも気付かないのであろう。


現実からはどう足掻こうと逃れられるものではない。
故に立ち向かっていかねばならんのだが、
それは未来に目標を投ずることではないだろう。
過去から現在を否定でもなく、肯定でもなく、
ただ運命として受け入れ、
現在を見つめる事こそ重要なのではないか、
そう思っている。


あらゆる言説は真理ではなく、
フィクション(仮定)であると思った方が良い。
我輩が語る事も全てがフィクションだ。
語られたものは常に、
「fic-tion」―造られた物―なのである。
あるのはそれらしい、妥当さ程度の事だ。
物の見方についても同じ事で、
ある程度の偏見や先入観、
ステレオタイプである事を免れ得ない。


今、我輩はモニターを見て、
ブログを更新すべくタイプしているが、
それを強く意識しなくても、
「それ」が「それ」である事を認識できている。
これは実に複雑でありながら、
同時にシンプルでもある。
蓄積された経験と先入観があいまって、
我々はそれについて深く考えずとも、
それと認識する事が出来る。


それの個々の性質、
硬いであるとか、光を投じる、
映像を投影するであるとか、
多少熱を放射しているであるとか、
そうした個々の現象や性質が、
個別に認識されるのではなく、
全体的に認識されて、我々はそれをそれだと思う。
経験が論理を経ず、先入見的に機能しているのであろう。
そういう意味で、我輩などは極めて偏見的な人間だ。


リテラシー」という言葉を
お嫌いになる方がいらっしゃるが、
我輩はそれほど悪い言葉ではないと思う。
要するに能力の事に過ぎないからだ。
あるいは能力や性質にそった在り方、生き方と言えよう。
能力が無いのに、その能力必要とする行為をする事を、
リテラシーが無い」と人は言うのである。
これは節度や常識にも通じるものだ。
もっとも、このリテラシーという流行語よりも、
我輩は常識と呼ぶ事を好む。


「常識」とは何の事は無い、
単に現実に対処する術のようなものである。
現実に従い、現実に教えられ、
現実に沿って生きる生き方の事である。
田舎ほど常識が残っている傾向が顕著だ。
彼らは周りの事以外に大して関心を持たない。
田舎にロマン的な要素を認めたがるのは、
都市人の証左と言えるが、
実際には田舎に生きる人間ほど
即物的で状況本位な人々は居ない。
彼らは自らの行為に
ロマンティシズムを感じないからである。


田舎の人間は観念やら理想やらなどを
後生大切にするなどという事が無く、
ただただ周囲の現実や状況を見て、
それに従い、それに対処している。
学はないが、甚だプラグマティックな人々が多い。
田舎で余所の人間が疎外感を感じるのは、
ある意味、致し方の無いことであろう。
そのルールや生き方を知らぬのであるから。
もっとも、今日の田舎では、
それも次第に崩壊しつつあるのではあるが。


どうにも巨悪という思想が日本にはあって、
悪に対する拒絶反応が凄まじい。
どうやら善人や弱者、良識家に対する
特権意識のようなものがあるようだ。
かつての大学然り、マスコミ然り。
彼らは単に悪を為す機会に恵まれなかっただけだが、
彼らが集団を形成する限り、
そこに政治が生まれ、権力が生じるようになる。
どのようなものも聖足り得ないのだ。


程度の差もあろうが、
そこでは権力の手を差し出す者と、
受け取る者の関係が現われるようになり、
個人はその関係の、集団の中に飲まれてしまう。
支配しようという欲求だけではない。
そこには進んで自ら支配されようとする欲求も生じる。
キリスト(英雄)が現われた時、
人は進んで自ら己を使徒たらんとするではないか。
権力欲とはただ他を支配する欲求を意味するのではなく、
そうした被支配の欲求を持つのである。
それ故にそうした集団の中では、
唯一人の独裁者とて個人足りえない。
独裁者もまたその他の無数の被支配の欲求の前に
飲み込まれてしまっているからである。


およそ善人という者は悪を為し得ないが故に、
責任に押し潰されるか放棄するしか出来ない。
善人に期待する事は善人にとっても
悪い結果しか生まないであろう。
偽善と感傷が国を覆い、
その反動として偽悪と嘲笑が広がって行く。
個人が社会に反発し、
社会から孤立しなければ成立しないのでは、
もはやその確立された個人は
如何にして確められるのだろうか。


我々は一人の思想家たる時、
努めて一人になるべきだが、
それは孤立を意味しないだろう。
古のブッダが迷える者に獅子吼しているではないか、
独り犀の角のように歩め*2と。
思想家とは常に自立自存なのであり、
徒党を組むような者はもはや思想家などではない。
また、徒党を敵とするような者も思想家ではない。
四方のどこにでも赴き、害心あることなく、
 何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、
 恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め
恐れるものなど無いのだ。
夢も無く 怖れも無く*3
――夢も無ければ、怖れも無いように。

*1:国粋主義など。今日言う所の右翼は「革新」を自称していた。皮肉な話である

*2:『スッタニパータ』

*3:イザベラ・デステ

宮台真司「アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景」

■昔からフランクフルト学派の人たちが言ってきた通りで、権威主義者には弱者が多い。これは統計的に実証できます。私の在職する大学で博士号を取得した田辺俊介君の博士論文『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』(2005)が、ISSP(国際社会調査プログラム)の1995年データを統計解析しています。それによるなら、排外的愛国主義にコミットするのは、日本に限らず、低所得ないし低学歴層に偏ります。
■要は『諸君』『正論』な言説の享受者は、リベラルな論壇誌のそれより、低所得か低学歴だということです。この問題に、私が年来言ってきた「丸山眞男問題」を重ねられます。教育社会学者の竹内洋氏が最近『丸山眞男の時代』(中公新書)を出しましたが、丸山の戦後啓蒙がなにゆえ今日この程度の影響力に甘んじるのかを分析しています。この問いは姜尚中氏との共著『挑発する知』(双風舍)で私が述べたものと同じです。
■その答えを一口で言えば、丸山がインテリの頂点だったために、亜インテリ(竹内氏は疑似インテリと表記しますが)の妬みを買ったから、となります。実は、この図式は、丸山自身が、戦時ファシズムへの流れを翼賛した蓑田胸喜の日本主義的国粋主義の成り立ちを分析して示した図式と同じです。ご存じの通り、丸山はマンハンム流の[知識人/大衆]二元図式を踏まえ、[インテリ/亜インテリ/大衆]三元図式を提案しました。
丸山眞男によれば、亜インテリこそが諸悪の根源です。日本的近代の齟齬は、すべて亜インテリに起因すると言うのです。亜インテリとは、論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者、ということになります。この者たちは、東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず「煮え湯を飲まされる」存在です。
■竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。
■これが、大正・昭和のモダニズムを凋落させた、国士館大学教授・蓑田胸喜的なルサンチマンだというのが丸山の分析です。竹内氏は露骨に言いませんが、読めば分かるように同じ図式を丸山自身に適用する。即ち、丸山の影響力を台無しにさせたのは、『諸君』『正論』や「新しい歴史教科書をつくる会」に集うような三流学者どものルサンチマンだと言うのです。アカデミズムで三流以下の扱いの藤岡信勝とか八木秀次などです。
■要は、文化資本から見放された田吾作たちが、代替的な地位獲得を目指して政治権力者や経済権力者と結託し、リベラル・バッシングによってアカデミック・ハイアラーキーの頂点を叩くという図式です。丸山によれば、戦前の蓑田胸喜による一連の活動がそうしたものの典型です。そして竹内洋によれば、ブント的噴き上がりを田吾作の心情倫理に過ぎぬと断じた丸山も、元ブントを含めた田吾作らによって同じ図式で葬られます。 *1


バックラッシュ!』と言う本を読んでみたが、
ジェンダー」というものがさっぱり分からない。
分からないものに対して賛成するのも、
また反対するのも憚れる。
かつてケインズソ連に旅行した折に
社会主義には興味が無いと言って相手にしなかったそうだ。
同時代人の新渡戸稲造マルクス主義に関しては
良く分からないと率直に述べ、ほとんど無関心であった。
彼らの顰に倣うと言う訳ではないが、
ジェンダーをめぐる問題に関して今回は触れない。


ただ、我輩の知見からも明らかな錯誤がある。
巻頭に収められた宮台氏の
「アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景」、
特に彼と丸山真男の亜インテリ論だ。
この論は二重の意味で間違っている。
一つは丸山の亜インテリ論、
今一つは言及されている竹内洋先生の
丸山真男の時代』についての理解である。


まず、第一の丸山真男の亜インテリ論であるが、
これは竹内先生の『丸山真男の時代』にも
きちっと説明されている。
宮台氏が言う様な頭の悪いインテリや低学歴を指すのではなく、
 小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、
 大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、
 殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、
 その他一般の下級官吏、僧侶、神官

などを指している。
彼らは義務教育以上の高等教育を享受していたし、
経済的にも当時の中間層に属していた人々だ。


一方で丸山が本来のインテリと呼んだのは、
 都市におけるサラリーマン階級、
 いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、
 其他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層

である。
ここまで引用すれば大体目星は付くと思われるが、
農村と都市を峻別して、
農村に属する者に諸悪の根源を求めたのである。
宮台説も無茶苦茶であるが、
丸山説も相当に好い加減で、
当時は農村人口が都市の人口よりも多く、
また農林漁業の就労人口も五割以上であったから、
国民*2の大多数(中間階級に限っても)が黒であった。


丸山真男の日本ファシズム論には三つの骨子があって、
第一は家族主義的傾向、
第二は農本主義思想の優位、
第三は大亜細亜主義
具体的には第一のものは国体思想や天皇族父説、
第二のものは志賀重昂権藤成卿などの実学思想、
第三のものは大東亜共栄圏などだ。


結論から言えば、
丸山が亜インテリと呼んで批判したのは、
狂信的な国粋主義者蓑田胸喜ではなく、
『日本風景論』で知られる志賀重昂や、
自治民範』で知られる権藤成卿などを批判したのである。
彼らの反都市、反工業、反中央集権的傾向(農村自治)を、
丸山はファシズムに結び付けて
これが原動力であったと弾劾したのだ*3


丸山に批判された亜インテリとは、
皮肉にも後年高く評価される福沢諭吉に始まる
実学思想とそれを担った実学インテリたちである。
橋川文三先生や松田道雄先生*4が再評価したように、
彼ら草の根のモダニストたちこそが、
日本の近代化(モダニズム)の推進者であった。
そして、日本の中間階級や大衆たちも
知識人ではなく彼らを支持したのである。
誤解を恐れずに言えば、
丸山の亜インテリ論は八つ当たりに過ぎぬであろう。


正直に告白すれば、
我輩は以前それを読んで丸山に対する軽蔑を禁じえなかった。
彼の侮蔑感と隠された意図*5を敏感に察知してしまったのだ。
そこには後で述べるようにイデオロギー操作の側面と、
彼と彼の周囲に対する免罪符の側面があった。
本来のインテリは消極的ながらも抵抗したという本論が、
戦中まったくの無力者と化し、
なおかつその事を悔恨していたインテリ達に
喝采をもって迎えられたのは無理も無かろう。
癒しとしてのナショナリズムならぬ、
癒しとしての左翼思想とでも言えようか。
今回の宮台氏の論考の受容も同様であるように思われる。


さて、この丸山の亜インテリ論であるが、
竹内先生はこれに対してやや批判的な記述をしている。
その点において宮台氏の今回のような引用は、
中立的に本書を執筆しようとした努力が行間から伺える、
竹内先生にしてみればさぞかしご迷惑なのではないかと思う。
該当部分を引用してみれば一目瞭然である。

しかし、いまこの論文を少し読めば、ただちに不思議におもうことがあるはずである。ファシズム運動の担い手について断定しながら、国家主義団体の構成員の職業や学歴構成などを示す実証的データの裏づけが本文中にはまったくないことである。
……中略……
この論文は、ファシズムに加担せず、消極的であっても抵抗するのが「(本来の)インテリ」であることを宣言し、聴衆や読者をして「本来のインテリゲンチャ」たらんとする決意を促すエッセイとしてみたほうがよいのである。同時にこの丸山のインテリ論にはもうひとつの仕掛けがあった。大衆を悪玉にせず、擬似インテリを悪玉にしているのである。大衆は啓蒙の対象だから、半ば仕掛けられ騙された存在とされている。丸山は、一九三〇年代の大衆社会状況が左翼運動を助長するのではなく、むしろ「超国家主義への道をきり開く方向にはたらいた」(「個人析出のさまざまなパターン」『集』九)とみなしていたから、戦後の大衆社会化状況が三〇年代と同じ轍を踏まないことを目標にした。丸山の「(本来の)インテリ」と「擬似インテリ」概念には、大衆の(本来の)インテリ化ないし同伴化という戦略が仕掛けられていたのである。*6


つまり、竹内先生は「戦後啓蒙の大衆戦略」と口を濁らしているが、
丸山のイデオロギー操作を指摘しているのである。
この事は当時の時代背景を知らないと良く分からないだろうが、
戦後の状況をワイマール共和国に比較するのが流行っていて、
丸山はワイマール共和国のように左傾化した後に、
反動としてナチスファシズム)ようなものが
現われる事を危惧していたのだ。*7


先の都市と農村のインテリを差別したことから分かる様に、
丸山真男という人は田舎に対して極めて偏見的であった。
彼の著作を読めば分かるが、
丸山は農村や大衆への蔑視を拭い去れなかった。
彼の弟子である地方出身の橋川文三先生などに対してもつらく当たっており、
今日で言うところのアカハラ近いものがある。*8


丸山は日本のリベラリストと言われているが、
共産主義にシンパシーをもつものが自由主義者だ」*9
などと言明する人が果たしてリベラリストと言えるのか、
我輩には甚だ疑問である。
戦後にあの戦争に抵抗したと言う人々が現われて、
吉本隆明は驚愕した*10が、
冷戦後と言う新しい戦後に、
リベラルだのリベラリストだのと自称する人々が現われて、
我輩などは内心戸惑いを隠せない。
所謂オールド・リベラリスト達が無力であったとして、
批判したのが左翼や進歩的文化人達であったからだ。


そもそも『丸山真男の時代』でも触れられているように、
戦前の東大はマルクス主義者、自由主義者国粋主義者
の三つ巴の抗争を繰り広げていた。
大学の事を「良識の府」などと呼ぶが、
実態は必ずしもそうではなかった。
戦前は国粋主義の運動家が跳梁し、
戦後は左翼マルキストの運動家が跋扈している。
自由に物が言える雰囲気などでは決して無かった。
むしろ高い理想を掲げた人々ほど
異論に対して非寛容的になる事が極めて多かった。


彼らは思想こそ違うが、
やっている事に大差は無い。
毛沢東スターリンをキリストの如く崇めた者に至っては、
ヒトラーを神に近いと絶賛した権威主義*11と同じ穴の狢に過ぎぬであろう。
そして、良識の名の下に批判を繰り返す彼らの姿は、
「アナテマ(呪詛)!アナテマ(破門)!」*12
と絶叫する教皇のようですらある。
彼らは理想によって自己を正当化、絶対視し、
理想を共にする孤立した集団の中で
自己陶酔に陥ってしまう傾向が顕著だ。


亜細亜主義大川周明にしても、
国粋主義蓑田胸喜すらも東大の出身である。
宮台氏が言うような
アカデミック・ハイラーキーの下層に居た人々ではない。
蓑田は慶応義塾大学予科国士舘*13の教授を歴任しており、
現在の首都大学東京の准教授と比べても、
まったく遜色の無い地位に居た。
むしろ高等教育が普及していない時代であった事を考慮すれば、
相対的には蓑田の方が上位に居るとすら言える。


我輩は宮台氏がどういう意図で
このような論考を発表したのか分からない。
宮台氏の事を馬鹿だとは思っては居ない、
むしろ鋭敏な知性を備えた人だとは思う。
しかし、この頃の氏の所説には疑問を呈せざるを得ない。
小はこうした(自称)保守知識人に対する批判的論考、
大は亜細亜主義に対する氏の言説である。


多くの問題にコミットする氏の姿は
芸術にも造詣が深かった丸山を彷彿とさせるが、
竹内先生が指摘しているように、
二重、三重の仲介者であることは、
 仲介者効果(利潤)を増殖させるが、
 半可通とか、誤解して紹介している
 という非難も大きくさせる
」のである。


例えば今回の件で言えば竹内先生の方が
知識人の歴史に通じているであろうし、
亜細亜主義や戦前思潮の問題であれば、
松本健一*14先生や古田博司*15先生の
見識にまったく及ばぬであろう。
何より今回の件で皮肉を覚えざるを得ないのは、
宮台氏が評価する丸山真男
宮台氏のようなジャーナリスティックな方面で
活躍する学者*16を嫌っていた事実である。


丸山が長きに亘って時代の寵児であった事、
時代の頂点に君臨していた事、
そしていくつかの業績は今日でも通じる事*17は否定できない。
しかし、彼が生きた時代はすでに遠い。
今日を生き、そして未来を作るであろう若者達に、
果たしてどれだけその影響が残っているであろうか。
昭和という時代の記憶も今はすっかり風化してしまった。
丸山に忘却と言う第二の死が訪れるのは避けられまい。
かつて、彼の論敵であった者達*18が、
今日ほとんど忘れ去られ、
その多くの著作が悉く絶版になっているように。
主体的にまったく関与しなかった*19とはいえ、
それを否応無く見せつけられてきた我輩は、
閲兵式で慨嘆するクセルクセスのような心情を懐いている。



本エントリーを書く上で
以下のサイトを参考にさせて頂いた。
なお、参考にした事を知らせるために
トラックバックは飛ばさせてもらったが、
問題がある場合はご一報願いたい。


http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060315/1142374433
http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20060325
http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20060316/1142463858
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060319/1142780774
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060319/1142768666


http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060613bk04.htm
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060614bk05.htm

*1:バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』(双風舎)参照した上で、引用は http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335 による

*2:後述するように国民は直接指摘されていない。と言うのも、当時の国民の大半は被害者意識しか持っておらず、後に右派反動として非難される竹山道雄先生の『ビルマの竪琴』のような文学作品も、そうした社会状況を反映して広く受容され、また書かれた。この辺の事情は馬場公彦『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』が詳しい

*3:農本主義と結びつけて論じたため農村型ファシズムとも呼ばれる。対してドイツのナチズムは都市型(アーバン)ファシズムと呼ばれた

*4:「日本の知識人」を参照されたい。この論文に関しては後日改めて批評を書きたい。嘆かわしい事に小熊英二の『民主と愛国』ですらも言及されていない。なお、松田先生は医師にして生粋のマルキストである

*5:例えば、アカデミーの世界に留まり、ジャーナリズムの世界に進出する事に慎重であった丸山が、戦前あれほど戦争を煽っていたジャーナリストを本来のインテリに入れたのは、彼の父がジャーナリストであったからと見られても仕方あるまい

*6:丸山真男の時代』(中公新書)p116〜117から引用

*7:林健太郎「ワイマル共和国と現代日本」を参照されたい

*8:もっとも、橋川先生の方も丸山に反発しており、丸山学派では少々浮いた存在となっている

*9:「ある自由主義者への手紙」『丸山真男集 四巻』

*10:竹内好「近代の超克」を参照されたい。丸山の友人であった竹内好は戦時中の知識人達の態度を正直に述べている。この点だけでも立派な人である

*11:著名な哲学者ハイデガーやC・シュミットですらナチスを賞賛していた

*12:ルサンチマンは貧しきものこそ幸いなれと説くキリスト教の背景抜きには語り得ない。キリスト教の精神は何所までも反権力的であり、世俗を否定せんとする。斯くして権力欲は地下に潜らざるを得ず、結果としてそれは歪曲し、自尊心は屈折せざるを得ない。詳しくはD・H・ロレンス『黙示録論』を参照されたい

*13:当時は大学ではない。専門学校である

*14:北一輝論』、『日本の失敗』などを参照されたい

*15:『東アジア・イデオロギーを超えて』などを参照されたい

*16:例えば、弟子の中では藤原弘達のような学者

*17:例えば、弟子の系列の内、渡辺浩先生、三谷博先生は俊英であられる

*18:特に福田恒存先生は丸山の天敵であった。亜インテリ論に関してはそもそもインテリ自体が擬似的なエリートに過ぎないではないかと皮肉を述べている。ポレミカーの先生らしい皮肉だ

*19:宮台氏の言う所の亜インテリであり、政治的にもノンポリであった我輩は、関与する気も無ければ、機会も能力も有していなかった

NHK『日本の、これから』

NHKの特番の『日本の、これから』を見た。
案の定、たいして面白くなかった。
以前からNHKは視聴者参加型の
番組の試みを続けてきていたが、
例の不祥事の後、
とみにこのタイプの番組を重視するようになった。
その姿勢の低さには見ていて痛ましさすら感じられる。


私は、この手の討論もどき番組を喜劇としてしか見ていない。
何の見識も持たない人々が集まったところで、
文殊の知恵には程遠いのである。
そもそも私は討論やら、ディベート、議論などに
価値を認めてはいない。
討論になれば、結局のところ
それは論の正しさではなく、
討論術の優劣になる。
そして、多くの場合は他人の揚げ足取りに終始する。


実際、討論というのは思想戦であり、
その究極目的は相手を屈服させ、
自分の側へ転向させることにある。
ある意味では知的な遊戯であり、
悪く言えば擬似的な権力闘争に過ぎない。
これに無自覚であるだけでなく、
自分の思想の背後を知らないために、
多くの議論は空回りしている。


私は他人の論に対して誠実でありたいと思っている。
ある日、私の間違いを指摘した人に対して、
私はすぐさま自説の誤りを認め、謝った。
これに対して、周囲の人間は戸惑ったが、
私にとって討論はどうでもよかった。
論の大筋が重要なのであって、
細部はどうでもよかった。
私は事実よりも論に執着することが嫌いなのだ。
日本人はすぐ謝ると言われはしているが、
実際はそうではない事が多い。
謝るポーズは見せても
誤魔化そうとする事の方が遥かに多い。


私の嫌悪する論争屋の集まりがあの手の番組の特徴である。
彼らの多くは自説に対して盲目的な確信を抱き、
そのくせ自分自身の思想に対して無自覚的で、無理解だ。
彼らの理解は紙背にまで徹せられていない。
他人の意見を理解せぬまま退け、
事実に目を向けようとはしない。
対話は一つの論を深めていくものだが、
彼らは論を吐き散らすだけである。
方向性が無いために自分の意見に対する
フィードバックも少ない。


この手の議論の参加者は二つに分かれる。
言いたいだけ言って、ストレスを発散する者と、
あまりの乱脈さと無意味さに苛立ちを隠せない者である。
参加者の多くは前者であろう。
意見を言わないものですら、
積極的に参加しなかったが故に、
むしろ自説の誤りに気がつかず、
ますます自説に対して盲目的な確信を高めていく。


たとえ反論されたとしても、
心の奥底では中々それを認められないものであるし、
認めたところで他人の意見が正しいとも限らない。
ああいうのは自己主張のようで、
実の所、自分の卑小な知識なひけらかしでしかない。
感情的な反論も自分の知っている事に反しているからで、
別段、真理の追究をしているわけではなかろう。
それを自分の意見だと思い込んでいるところに
脳内お花畑が咲き乱れる。


おおよそこの手の番組には
まともな神経を持った学者は参加しない。
あまりの無意味さに耐えられないからだ。
さらには番組側もあまり呼ばない。
学者を大量に動員するよりも
一般人公募の方が安くつくからである。


昨今ブームとなっているものの多くは、
デフレ産業であろう。
新書にしても教養ブームなどではなく、
単に単行本で出していたものを新書に仕立てて、
薄利多売で捌いているのに過ぎない。
量が増えた分だけ質も落ち続けている。
TVもやたらグルメ番組とバラエティーが増えた。
NHKも硬派なドキュメンタリーよりも、
こうした視聴者参加型の番組を増やしている。


こうした安っぽいモノは風潮を読み、
一般人の認識を観察するにはいいかもしれないが、
極稀にみられる珠玉のようなたった一言がなければ、
わたしは見ないだろう。
その一言は砂漠のオアシスにはなれなくても、
砂漠の通り雨にはなりうる。
もっとも、それすらも多くは
砂漠の無数の砂石に埋もれてしまうのではあるが。