宮台真司「アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景」

■昔からフランクフルト学派の人たちが言ってきた通りで、権威主義者には弱者が多い。これは統計的に実証できます。私の在職する大学で博士号を取得した田辺俊介君の博士論文『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』(2005)が、ISSP(国際社会調査プログラム)の1995年データを統計解析しています。それによるなら、排外的愛国主義にコミットするのは、日本に限らず、低所得ないし低学歴層に偏ります。
■要は『諸君』『正論』な言説の享受者は、リベラルな論壇誌のそれより、低所得か低学歴だということです。この問題に、私が年来言ってきた「丸山眞男問題」を重ねられます。教育社会学者の竹内洋氏が最近『丸山眞男の時代』(中公新書)を出しましたが、丸山の戦後啓蒙がなにゆえ今日この程度の影響力に甘んじるのかを分析しています。この問いは姜尚中氏との共著『挑発する知』(双風舍)で私が述べたものと同じです。
■その答えを一口で言えば、丸山がインテリの頂点だったために、亜インテリ(竹内氏は疑似インテリと表記しますが)の妬みを買ったから、となります。実は、この図式は、丸山自身が、戦時ファシズムへの流れを翼賛した蓑田胸喜の日本主義的国粋主義の成り立ちを分析して示した図式と同じです。ご存じの通り、丸山はマンハンム流の[知識人/大衆]二元図式を踏まえ、[インテリ/亜インテリ/大衆]三元図式を提案しました。
丸山眞男によれば、亜インテリこそが諸悪の根源です。日本的近代の齟齬は、すべて亜インテリに起因すると言うのです。亜インテリとは、論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者、ということになります。この者たちは、東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず「煮え湯を飲まされる」存在です。
■竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。
■これが、大正・昭和のモダニズムを凋落させた、国士館大学教授・蓑田胸喜的なルサンチマンだというのが丸山の分析です。竹内氏は露骨に言いませんが、読めば分かるように同じ図式を丸山自身に適用する。即ち、丸山の影響力を台無しにさせたのは、『諸君』『正論』や「新しい歴史教科書をつくる会」に集うような三流学者どものルサンチマンだと言うのです。アカデミズムで三流以下の扱いの藤岡信勝とか八木秀次などです。
■要は、文化資本から見放された田吾作たちが、代替的な地位獲得を目指して政治権力者や経済権力者と結託し、リベラル・バッシングによってアカデミック・ハイアラーキーの頂点を叩くという図式です。丸山によれば、戦前の蓑田胸喜による一連の活動がそうしたものの典型です。そして竹内洋によれば、ブント的噴き上がりを田吾作の心情倫理に過ぎぬと断じた丸山も、元ブントを含めた田吾作らによって同じ図式で葬られます。 *1


バックラッシュ!』と言う本を読んでみたが、
ジェンダー」というものがさっぱり分からない。
分からないものに対して賛成するのも、
また反対するのも憚れる。
かつてケインズソ連に旅行した折に
社会主義には興味が無いと言って相手にしなかったそうだ。
同時代人の新渡戸稲造マルクス主義に関しては
良く分からないと率直に述べ、ほとんど無関心であった。
彼らの顰に倣うと言う訳ではないが、
ジェンダーをめぐる問題に関して今回は触れない。


ただ、我輩の知見からも明らかな錯誤がある。
巻頭に収められた宮台氏の
「アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景」、
特に彼と丸山真男の亜インテリ論だ。
この論は二重の意味で間違っている。
一つは丸山の亜インテリ論、
今一つは言及されている竹内洋先生の
丸山真男の時代』についての理解である。


まず、第一の丸山真男の亜インテリ論であるが、
これは竹内先生の『丸山真男の時代』にも
きちっと説明されている。
宮台氏が言う様な頭の悪いインテリや低学歴を指すのではなく、
 小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、
 大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、
 殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、
 その他一般の下級官吏、僧侶、神官

などを指している。
彼らは義務教育以上の高等教育を享受していたし、
経済的にも当時の中間層に属していた人々だ。


一方で丸山が本来のインテリと呼んだのは、
 都市におけるサラリーマン階級、
 いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、
 其他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層

である。
ここまで引用すれば大体目星は付くと思われるが、
農村と都市を峻別して、
農村に属する者に諸悪の根源を求めたのである。
宮台説も無茶苦茶であるが、
丸山説も相当に好い加減で、
当時は農村人口が都市の人口よりも多く、
また農林漁業の就労人口も五割以上であったから、
国民*2の大多数(中間階級に限っても)が黒であった。


丸山真男の日本ファシズム論には三つの骨子があって、
第一は家族主義的傾向、
第二は農本主義思想の優位、
第三は大亜細亜主義
具体的には第一のものは国体思想や天皇族父説、
第二のものは志賀重昂権藤成卿などの実学思想、
第三のものは大東亜共栄圏などだ。


結論から言えば、
丸山が亜インテリと呼んで批判したのは、
狂信的な国粋主義者蓑田胸喜ではなく、
『日本風景論』で知られる志賀重昂や、
自治民範』で知られる権藤成卿などを批判したのである。
彼らの反都市、反工業、反中央集権的傾向(農村自治)を、
丸山はファシズムに結び付けて
これが原動力であったと弾劾したのだ*3


丸山に批判された亜インテリとは、
皮肉にも後年高く評価される福沢諭吉に始まる
実学思想とそれを担った実学インテリたちである。
橋川文三先生や松田道雄先生*4が再評価したように、
彼ら草の根のモダニストたちこそが、
日本の近代化(モダニズム)の推進者であった。
そして、日本の中間階級や大衆たちも
知識人ではなく彼らを支持したのである。
誤解を恐れずに言えば、
丸山の亜インテリ論は八つ当たりに過ぎぬであろう。


正直に告白すれば、
我輩は以前それを読んで丸山に対する軽蔑を禁じえなかった。
彼の侮蔑感と隠された意図*5を敏感に察知してしまったのだ。
そこには後で述べるようにイデオロギー操作の側面と、
彼と彼の周囲に対する免罪符の側面があった。
本来のインテリは消極的ながらも抵抗したという本論が、
戦中まったくの無力者と化し、
なおかつその事を悔恨していたインテリ達に
喝采をもって迎えられたのは無理も無かろう。
癒しとしてのナショナリズムならぬ、
癒しとしての左翼思想とでも言えようか。
今回の宮台氏の論考の受容も同様であるように思われる。


さて、この丸山の亜インテリ論であるが、
竹内先生はこれに対してやや批判的な記述をしている。
その点において宮台氏の今回のような引用は、
中立的に本書を執筆しようとした努力が行間から伺える、
竹内先生にしてみればさぞかしご迷惑なのではないかと思う。
該当部分を引用してみれば一目瞭然である。

しかし、いまこの論文を少し読めば、ただちに不思議におもうことがあるはずである。ファシズム運動の担い手について断定しながら、国家主義団体の構成員の職業や学歴構成などを示す実証的データの裏づけが本文中にはまったくないことである。
……中略……
この論文は、ファシズムに加担せず、消極的であっても抵抗するのが「(本来の)インテリ」であることを宣言し、聴衆や読者をして「本来のインテリゲンチャ」たらんとする決意を促すエッセイとしてみたほうがよいのである。同時にこの丸山のインテリ論にはもうひとつの仕掛けがあった。大衆を悪玉にせず、擬似インテリを悪玉にしているのである。大衆は啓蒙の対象だから、半ば仕掛けられ騙された存在とされている。丸山は、一九三〇年代の大衆社会状況が左翼運動を助長するのではなく、むしろ「超国家主義への道をきり開く方向にはたらいた」(「個人析出のさまざまなパターン」『集』九)とみなしていたから、戦後の大衆社会化状況が三〇年代と同じ轍を踏まないことを目標にした。丸山の「(本来の)インテリ」と「擬似インテリ」概念には、大衆の(本来の)インテリ化ないし同伴化という戦略が仕掛けられていたのである。*6


つまり、竹内先生は「戦後啓蒙の大衆戦略」と口を濁らしているが、
丸山のイデオロギー操作を指摘しているのである。
この事は当時の時代背景を知らないと良く分からないだろうが、
戦後の状況をワイマール共和国に比較するのが流行っていて、
丸山はワイマール共和国のように左傾化した後に、
反動としてナチスファシズム)ようなものが
現われる事を危惧していたのだ。*7


先の都市と農村のインテリを差別したことから分かる様に、
丸山真男という人は田舎に対して極めて偏見的であった。
彼の著作を読めば分かるが、
丸山は農村や大衆への蔑視を拭い去れなかった。
彼の弟子である地方出身の橋川文三先生などに対してもつらく当たっており、
今日で言うところのアカハラ近いものがある。*8


丸山は日本のリベラリストと言われているが、
共産主義にシンパシーをもつものが自由主義者だ」*9
などと言明する人が果たしてリベラリストと言えるのか、
我輩には甚だ疑問である。
戦後にあの戦争に抵抗したと言う人々が現われて、
吉本隆明は驚愕した*10が、
冷戦後と言う新しい戦後に、
リベラルだのリベラリストだのと自称する人々が現われて、
我輩などは内心戸惑いを隠せない。
所謂オールド・リベラリスト達が無力であったとして、
批判したのが左翼や進歩的文化人達であったからだ。


そもそも『丸山真男の時代』でも触れられているように、
戦前の東大はマルクス主義者、自由主義者国粋主義者
の三つ巴の抗争を繰り広げていた。
大学の事を「良識の府」などと呼ぶが、
実態は必ずしもそうではなかった。
戦前は国粋主義の運動家が跳梁し、
戦後は左翼マルキストの運動家が跋扈している。
自由に物が言える雰囲気などでは決して無かった。
むしろ高い理想を掲げた人々ほど
異論に対して非寛容的になる事が極めて多かった。


彼らは思想こそ違うが、
やっている事に大差は無い。
毛沢東スターリンをキリストの如く崇めた者に至っては、
ヒトラーを神に近いと絶賛した権威主義*11と同じ穴の狢に過ぎぬであろう。
そして、良識の名の下に批判を繰り返す彼らの姿は、
「アナテマ(呪詛)!アナテマ(破門)!」*12
と絶叫する教皇のようですらある。
彼らは理想によって自己を正当化、絶対視し、
理想を共にする孤立した集団の中で
自己陶酔に陥ってしまう傾向が顕著だ。


亜細亜主義大川周明にしても、
国粋主義蓑田胸喜すらも東大の出身である。
宮台氏が言うような
アカデミック・ハイラーキーの下層に居た人々ではない。
蓑田は慶応義塾大学予科国士舘*13の教授を歴任しており、
現在の首都大学東京の准教授と比べても、
まったく遜色の無い地位に居た。
むしろ高等教育が普及していない時代であった事を考慮すれば、
相対的には蓑田の方が上位に居るとすら言える。


我輩は宮台氏がどういう意図で
このような論考を発表したのか分からない。
宮台氏の事を馬鹿だとは思っては居ない、
むしろ鋭敏な知性を備えた人だとは思う。
しかし、この頃の氏の所説には疑問を呈せざるを得ない。
小はこうした(自称)保守知識人に対する批判的論考、
大は亜細亜主義に対する氏の言説である。


多くの問題にコミットする氏の姿は
芸術にも造詣が深かった丸山を彷彿とさせるが、
竹内先生が指摘しているように、
二重、三重の仲介者であることは、
 仲介者効果(利潤)を増殖させるが、
 半可通とか、誤解して紹介している
 という非難も大きくさせる
」のである。


例えば今回の件で言えば竹内先生の方が
知識人の歴史に通じているであろうし、
亜細亜主義や戦前思潮の問題であれば、
松本健一*14先生や古田博司*15先生の
見識にまったく及ばぬであろう。
何より今回の件で皮肉を覚えざるを得ないのは、
宮台氏が評価する丸山真男
宮台氏のようなジャーナリスティックな方面で
活躍する学者*16を嫌っていた事実である。


丸山が長きに亘って時代の寵児であった事、
時代の頂点に君臨していた事、
そしていくつかの業績は今日でも通じる事*17は否定できない。
しかし、彼が生きた時代はすでに遠い。
今日を生き、そして未来を作るであろう若者達に、
果たしてどれだけその影響が残っているであろうか。
昭和という時代の記憶も今はすっかり風化してしまった。
丸山に忘却と言う第二の死が訪れるのは避けられまい。
かつて、彼の論敵であった者達*18が、
今日ほとんど忘れ去られ、
その多くの著作が悉く絶版になっているように。
主体的にまったく関与しなかった*19とはいえ、
それを否応無く見せつけられてきた我輩は、
閲兵式で慨嘆するクセルクセスのような心情を懐いている。



本エントリーを書く上で
以下のサイトを参考にさせて頂いた。
なお、参考にした事を知らせるために
トラックバックは飛ばさせてもらったが、
問題がある場合はご一報願いたい。


http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060315/1142374433
http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20060325
http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20060316/1142463858
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060319/1142780774
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060319/1142768666


http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060613bk04.htm
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060614bk05.htm

*1:バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』(双風舎)参照した上で、引用は http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335 による

*2:後述するように国民は直接指摘されていない。と言うのも、当時の国民の大半は被害者意識しか持っておらず、後に右派反動として非難される竹山道雄先生の『ビルマの竪琴』のような文学作品も、そうした社会状況を反映して広く受容され、また書かれた。この辺の事情は馬場公彦『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』が詳しい

*3:農本主義と結びつけて論じたため農村型ファシズムとも呼ばれる。対してドイツのナチズムは都市型(アーバン)ファシズムと呼ばれた

*4:「日本の知識人」を参照されたい。この論文に関しては後日改めて批評を書きたい。嘆かわしい事に小熊英二の『民主と愛国』ですらも言及されていない。なお、松田先生は医師にして生粋のマルキストである

*5:例えば、アカデミーの世界に留まり、ジャーナリズムの世界に進出する事に慎重であった丸山が、戦前あれほど戦争を煽っていたジャーナリストを本来のインテリに入れたのは、彼の父がジャーナリストであったからと見られても仕方あるまい

*6:丸山真男の時代』(中公新書)p116〜117から引用

*7:林健太郎「ワイマル共和国と現代日本」を参照されたい

*8:もっとも、橋川先生の方も丸山に反発しており、丸山学派では少々浮いた存在となっている

*9:「ある自由主義者への手紙」『丸山真男集 四巻』

*10:竹内好「近代の超克」を参照されたい。丸山の友人であった竹内好は戦時中の知識人達の態度を正直に述べている。この点だけでも立派な人である

*11:著名な哲学者ハイデガーやC・シュミットですらナチスを賞賛していた

*12:ルサンチマンは貧しきものこそ幸いなれと説くキリスト教の背景抜きには語り得ない。キリスト教の精神は何所までも反権力的であり、世俗を否定せんとする。斯くして権力欲は地下に潜らざるを得ず、結果としてそれは歪曲し、自尊心は屈折せざるを得ない。詳しくはD・H・ロレンス『黙示録論』を参照されたい

*13:当時は大学ではない。専門学校である

*14:北一輝論』、『日本の失敗』などを参照されたい

*15:『東アジア・イデオロギーを超えて』などを参照されたい

*16:例えば、弟子の中では藤原弘達のような学者

*17:例えば、弟子の系列の内、渡辺浩先生、三谷博先生は俊英であられる

*18:特に福田恒存先生は丸山の天敵であった。亜インテリ論に関してはそもそもインテリ自体が擬似的なエリートに過ぎないではないかと皮肉を述べている。ポレミカーの先生らしい皮肉だ

*19:宮台氏の言う所の亜インテリであり、政治的にもノンポリであった我輩は、関与する気も無ければ、機会も能力も有していなかった